KENGO's memo

日々の思考の備忘録、ドイツ、カールスルーエ研究留学・インターン体験記

年末年始旅行⑩ イタリア編最終日

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。今回はイタリア(ミラノ)での最終日を振り返ります。

最終日は昼12時出発のスイス、チューリッヒ行きのバスに乗るまでの短時間だけの観光でした。せっかくなので、前日に行ったものの、結局開いていなかった2つの教会にリベンジすることになりました。

え?そんなところまで?

だまし絵の教会、サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ教会(Chiesa di Santa Maria presso San Satiro)という長い名前の教会はだまし絵が有名らしいという情報をゲットしていたので、それがどんなものか、観に行ってみることにしました。

敷地に入る前には柵があるのですが、前日はそれが閉まっていました。この日はそれが開いていたので、恐る恐る建物の中にも入ってみると…

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一見普通のどこにでもあるような教会かそれよりも少し装飾が凝っているぐらいの教会。奥の両サイドに空間があって、十字の構造をしているのは少し珍しいなという感じでした。「これのどこがだまし絵なんだろうか」と祭壇に近づいてみると、「んん?」

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「これのことか!!!!」という感じでした。正面から見ている上では祭壇のある方向に奥行きが感じられたのですが、その横に立つと、その奥行きは1mもないほどです。床に描かれている模様に注目してもらうと分かりやすいのですが、奥の壁に近い領域の模様がない領域の床の幅がその奥行きの狭さを示しています。奥の壁の装飾だけに注目していてもその奥行きの狭さは分かりません。装飾自体も奥行きがあるように配置されているからです。

それだけではありません。装飾や掘りだと思っていたところもよーく目を凝らしてみると、なんと画なのです。最初の正面からの写真の両端の柱の模様も、一見すると彫刻のように見えますが、これも画です。

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祭壇の壁の装飾も彫刻もでっぱりがないところ以外はすべて画。綺麗な彫刻だなあと思ってみていた天井ですら画だったのです。写真で伝えきれないのが残念ですが、メインの正面奥の壁のだまし絵以上に驚かされました。どんだけ画がうまいんだ…

もはや美術館な

次に訪れたのはフレスコ画の教会、サン・マウリツィオ教会(Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore)。さきほどのだまし絵の教会以上に画がメインの教会です。

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さっきの教会で彫刻にみえる天井の画を発見していたので、ここでも気になって天井を見てみると…ここでも彫刻ではなく、画でした。じっくり見てみないと見分けがつかないほどよく描かれています。

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これは入口付近を写した写真。これからも分かるように、中に入ったときは、フレスコ画がぎっしり描かれた教会は一見するとそこまで大きくない空間なのかなと感じまし。が、実は正面の壁を挟んで向こう側にも空間があります。

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正面からはこんな感じ。正面の壁だけでなく、両側の壁も全面がフレスコ画になっています。教会のことやフレスコ画の説明も英語でざっくり書かれてありました。それによると、ミサの際には手前の空間が一般用、奥の空間が修道女用と分けられているそうで、真ん中にある格子からその様子を垣間見ることができるそうです。

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また、格子とは違い、小さな小窓が右と左にあります。この写真では左の小窓を写していますが、その位置は両サイドに聖人が描かれてあり、その下には天使が描かれている場所にあります。緑色の小さな扉がついています。ミサの中で聖別されたパンとブドウ酒をキリストの肉と血と見立ててそれをいただく行為を聖体拝領(holy communion)というのですが、一般礼拝者は左の小窓からは「witnessed the raising of Host」ができ、右の小窓から「Communion(聖餐、一般にパンとブドウ酒)」を受け取ることができるそうです。これについてよく分からなかったので詳しく調べると、ローマカトリック式の聖体拝領では、パンとブドウ酒の聖杯が聖別されたあとに直ちに一般の人々に見せることがあり、そのあとは聖別されたパンのみが配られ、ブドウ酒は司式者だけがいただくそうです。説明書きにあった「witnessed the raising of Host」はおそらく聖職者による儀式で聖別されたパン(Host)を見ることができるということだと考えられます。Communionと言われているところでもブドウ酒は含んでいないのかもしれません。(キリスト教信者ではないのでもしかしたら間違っているかもしれません。)

さて、脱線してしまいましたが、この教会のフレスコ画のメインテーマは「キリストの受難(Passion of Christ)」でキリストの最後の晩餐から死に至るまでのことが描かれています。また、上段真ん中のよく見る聖母マリアの画は「聖母被昇天(the Assumption of the Virgin, Assumption of Mary等表現はさまざま)」と言われるもので、聖母マリアの霊魂がその肉体とともに天に上げられる様子を描いた宗教画です。名前を聞いたことのない聖人の画とそれに沿った画も描かれていました。

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この日はミサは行われていなかったので奥の空間へも入れました。この両側の椅子に座って修道女がミサを執り行うのでしょう。真ん中の壁はさっきみた仕切りの壁になります。こちら側にもたくさんフレスコ画が描かれています。描かれている絵は一般礼拝者用の空間での画と少し異なっていました。特に上部のアーチ状の部分。どちらの空間にもあるフレスコ画は1510年代から描かれ始め、1565年に親子二代かかって完成したそうです。

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修道女用の空間の一番奥側の壁には「最後の晩餐(the Last Supper)」が描かれていました。

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この「最後の晩餐」と対になっているのが、反対側の壁に描かれている「カナでの結婚式(the Wedding at Cana)」です。この写真の真ん中です。

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 その他にもこの空間には創世記のシーンである「原罪(the Original Sin)」だったり、「ノアの方舟 (Noah's Ark)」が描かれていたりしました。これまで断片的に理解していたキリストの受難だったのですが、ここでのフレスコ画を見ることでかなりはっきりと理解できました。教会というよりはもうここは美術館ですね。

イタリアでの教会の宗教画を鑑賞するにはやはりある程度の知識を持たないと分からないことが多いことが感じられたイタリア旅行でしたが、次イタリアに来るまでに少しずつでも学んでいけたらなと思いました。

スイスの物価高すぎワロタ

2つの教会を巡ったところで、ミラノ観光タイムオーバー!12時ごろ出発のチューリッヒ行バスに乗り、チューリッヒカールスルーエ行きのバスに乗り換えという算段です。(今回の旅の交通手段についてはこちらを参照)

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ミラノからチューリッヒに抜けていく道の光景はなかなか目が離せないほどの絶景が続きます。ミラノを出発した時点で残すはバスでの移動だったのですでに旅行終了モードに入っていたのですが、さすがに目が覚めました。ちなみに旅行に出る前に気になっていたイタリアとスイスの国境でのパスポートチェックはありませんでした。

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休憩所には蛇口をひねればスイスの雪解け水がそのまま飲めます。(個人的にはフィンランドの水が一番おいしかった)そしてこの旅行で初めて雪を見ました。(北欧では暖かすぎて雪は積もっていませんでした。)

ミラノ出発から4時間後、チューリッヒに着いて、カールスルーエ行きのバスの乗り換えの時間が2時間あったので、中央駅周辺を散策。駅地下にはスーパーがあったので、物価が高いと言われるスイスの品々の値段を見てみることに。

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そしたらなんと、こんなものを見つけました。ライスサンドとおにぎり。ライスサンドもおにぎりも日本のサイズとほとんど変わりません。(ライスサンドはサンドイッチと同じサイズの意)ドイツや他の国では「寿司BOX」は見かけるものの、おにぎりを見つけたのは初めてでした。そしてライスサンド、これに関してはスイスで独自に進化した日本食みたいです。そのお値段は…

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おにぎり3.8スイスフラン、ライスサンド6.7スイスフラン。この時期は1スイスフラン=114円だったので、それぞれ約433円、約764円と高すぎワロタでした。そのほかの商品を見ても、だいたい日本の物価の2倍はしていました。こんなに高いとは…スイスに観光行こうかと考えていましたが、これを機にそれを考えることはなくなりました(笑) カールスルーエ行きのバスに乗り換え、そこから4時間で無事にカールスルーエに到着!いつもはそんなに好きじゃないのに、長旅から無事に到着したときに感じたカールスルーエの居心地のよさ。カールスルーエはもうホームになったんだなという印象を受けました。

そんなこんなで最後まで新しい刺激を受けつつ、2016/2017の年末年始旅行は終わりを迎えました。8泊9日、1日1日が非常に濃く、いい思い出も悪い思い出もたくさんできました。また、年末を海外で過ごすという機会は今後そうそう来ないと思いますが、その時が来ればまたこの思い出を思い出すのでしょう。また休暇ができたときには、お金が許す範囲でほかの国に行きたいです!

そして、次の旅行カテゴリーのブログは、3月に行ったアイスランド編に突入します!こうご期待!(たぶんまたちんたら更新します(笑))

KENGO

 

 

年末年始旅行⑨ イタリア編3日目

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。今回はイタリア(ミラノ)での3日目と最終日を振り返ります。

物騒な街?

Venezia Mestre駅からMilano Centrale駅までTrenitaliaの高速鉄道で2時間。ベネチア2日目を共にした先輩2人とベネチアからミラノへ行きました。電車内は快適で、WiFiも使えます。(僕の場合はなぜか使えなかったのですが、先輩たちは使えていた模様)

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ミラノ駅についてホテルに向かう途中、ミラノ駅前の広場には軍車両が数台止まっていました。ちょうどこの日の2週間ちょっと前に起こった12月19日のベルリンのクリスマスマーケットに大型トラックが突っ込んだテロの容疑者が12月23日、ミラノで銃撃戦の末に射殺された出来事がありました。その影響だったのかなんなのか、とても物騒な雰囲気が漂っていました。

ミラノでのお目当ては、なんといってもドゥオーモ(ミラノ大聖堂)です。5世紀もの期間を経て作られた世界最大のゴシック建築で迫力もケタ違い。こんなもんはもちろん世界遺産に登録されています。

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駅近くのこの日に泊まるホテルに荷物を預け、ミラノの街を散策しがてらさっそくドゥオーモへ向かいました。市内には路面電車が走っており、めっちゃ細くて小さい、レトロ感満載の列車に遭遇しました。何年間現役なんだろう?

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徐々に見えてきた大きな白い建物はちょうどドゥオーモの背面でした。近づくととても大きく、ドゥオーモ周辺が建物に囲まれていたこともあり、正面に行かなくてはドゥオーモの全体像が見えないほどでした。

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着いたのがちょうど11時ぐらいで、この日は朝が早かったこともあり、ドゥオーモの周辺でやっていた出店でイタリアのB級グルメ?のArancini di risoというコロッケライスを3€で買いました。中の具材にベーコン、チーズが入ったものを選択。とてもおいしく、これ一個だけでもお腹いっぱいになりました。そのあとも並んでいるいろんな出店のおにいさんにめちゃくちゃ「プレゴ!プレゴ!(どうぞ!いらっしゃい!)」と声を掛けられますが、「そんなに食べられないよ…」って感じでした。(Prego(プレゴ)はありがとうの意味のGrazie(グラッツェ)と対にも使われるので覚えていた方がいいかも)

ドゥオーモ、どーん!!!!

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ドゥオーモの正面へ向かうと広場には観光客がわんさか。そしてドゥオーモの中に入ると思われる集団の列がとても長くなっていることにびっくりしました。正面から見る大聖堂の迫力に興奮したまま、列に並ぶ前に、とりあえず正面から各々の好きなアングルを探して写真に収めました。大満足。同じゴシック建築でドイツにあるケルン大聖堂にも行ったことがありますが、僕は断然ドゥオーモのほうが好きです。この純白で厳かな感じ。たまりません。

そのあとに列に並びましたが、数分後にドゥオーモのスタッフらしき人が列に並んでいる人たちのチケットの有無を確認してきました。事前にチケットを買っておかないといけないことが判明。

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チケット売り場はどこなんだととても分かりづらい看板で場所を確認し、チケットを買うのに並んで20~30分。チケット売り場の列と、大聖堂の上にエレベーターで行く列とがごっちゃになっていてとても分かりにくかったです。ちなみに入館料は2€と格安。大聖堂の上にいくのには別途9~13€必要になります。そしてその場合、内部をみる列とは別に大聖堂の上に行く列にも並ばないといけないので、上に行くとなると相当な時間がかかります。僕たちはそれを考慮し、内部を見るだけのチケットを買うことにしました。

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チケットを買って、さっき並んでいた内部を見るほうの列に並びなおしました。この広場の周辺にはたくさん軍車両や警察車両があり、警察官も軍人も配置されていたのですが、並んでいる途中に荷物検査にかけられた人がいました。本当に物騒…

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列に並びなおして50分ぐらいでようやくあと少しで中に入れる順番に。大聖堂を間近で見るとこんなにも繊細な技巧が施されていることが分かります。にしても、こんなに時間がかかるとは…

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ボディチェックを受け、ようやく中に!待っていたのは巨大なホールと巨大な柱!全部石というのがすごすぎる…圧倒的…

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内部にあった石像すら圧倒的技巧。筋肉隆々感が石像から伝わるなんて、すごすぎます。

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ドゥオーモには地下室があり、一方の部屋には司教か誰かのお墓かなにかで、ガラスケースの中に綺麗に保存され、安置されていました。もう一方の部屋には厳かな感じの円形の会議室のような空間がありました。ドゥオーモを楽しみにしていたくせに、この空間についてはなんも下調べしていないので全然わかりませんでした。付け焼刃程度にこちらを参照してみてください。【ミラノ】これを読めばもう大丈夫!!イタリア最大のゴシック教会”ドゥオモ”まとめ - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)

展示数多めのドゥオーモ博物館

ドゥオーモの内部を一通り回り、圧倒的技巧を堪能したあと、ドゥオーモの隣にあるドゥオーモ博物館へも行きました。ドゥオーモの入館料2€の中にこの博物館の入館料も含まれていました。どうやら修復工事やドゥオーモ内部の装飾品などに関する博物館のようでした。博物館の展示はというと、

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「ささっ、そこの奥さん、この幸運の玉、お一つ50万円でいかが?」とか「おい~1人1球って話だったろ~なんでお前2球持ってんだよ~」とか言ってそうな銅像だったり、

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遊戯王のマジックカードとかで出てきそうな、宝石がちりばめられた銅盤だったり、

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ドゥオーモにもあった本物のステンドグラスだったり、大聖堂を修復する際に取り換えられた昔の傷ついた石像などが展示されていました。正直なところ、展示数が多すぎて、ほとんど見きれていません。ほかにも行きたいところがあったのであまり時間をかけずに、ざっと見回りました。

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また、何分の1スケールだったか忘れましたが、木製のミニチュアドゥオーモもありました。これには少し興奮。かなり細かいところまで再現されています。それでも上から見下ろすことはできません。

ミラノ、グルメ歩き

SPONTINI

昼前にライスコロッケ食べてから結構時間が経って、お腹が空いてきました。グルメな先輩の情報を頼りにしばらく観光がてらに食べ歩きに出かけました。

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まずはSPONTINIというピザ屋さん。おしゃれな外観で。先輩曰く結構有名な店だそう。

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店内はスタンドスタイルでテーブルが並んでいますが、かなり人気みたいで常に行列ができていました。メニューもシンプル。ピザの種類3つにセットメニュー3つのみ。セットの方が50セント安かったので、僕はマルゲリータペプシの6€のセットを頼みました。カウンター越しにピザを作っている様子を見れたのですが、ピザの生地を載せるプレートが深さ3センチぐらい、ちょうどピザの厚さほどで、直径は50センチほどありました。できあがったピザを一気に全部切るための、この店のピザのサイズにあったプレス式のカッターもあり、お店の雰囲気も含めかなり洗練されたものを感じました。ちなみにペプシはカップを渡され、自分で勝手に入れるスタイルでした。

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一切れの大きさがこんな感じ。上に乗ったチーズがもう、とろっとろで、ピザの生地はもっちもち、下の部分は焼く際にオリーブオイルが使われていたのか、カリッカリの食感、「なんだこのピザは…もはやピザといっていいのか?」のレベルで衝撃を受けました。これは本気でまた行きたい。ミラノ行ったら是非行ってみてください。

ガレリア

次は、ジェラートを求めに行くことに。「ミラノジェラートは食べとかんとな!絶対!!」というグルメの推しがあったので、しょうがなくついていきました。実はその時期、冷たいものがとても歯にしみる時期であんまり冷たいものは食べたくなかったのです。ちょうどSPONTINIと反対側のガレリア付近にそのお目当てのお店があったので、ガレリアも通ってみました。

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ミラノのガレリア、正式名称は「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリア(Galleria Vittorio EmanueleⅡ)」だそうで、イタリア王国の初代国王のヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられたそうです。(ミラノのガレリア Galleria Milano | アーモイタリア旅行ガイド)1865年から1877年の間に建設されたそうで、中の雰囲気は外の雰囲気とまるで違います。そして美しい。中に入っているお店も老舗の高級店が多い印象を受けました。そして、このガレリア、T東京ディズニーランドワールドバザールの屋根のモデルになっているそうです。(ミラノのガッレリアは東京ディズニーランドのモデル?!くるくる回る女の子の秘密! ソウル情報局)このブログにいろいろ書いてありました。TDLにはそんなに足を運んだことがないので。ワールドバザール自体をあまり認知していないのですが、こんな感じのものがあったようななかったような…

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そして、ガレリアの牡牛の紋章の股間部分を踵で踏んで回ると幸運になるという言い伝えがあるそうで、探していると、ありました!この時期にはこの手前にスワロフスキーのクリスマスツリーがあったので分かりにくかったのですが、観光客がちらほらと集まっていました。せっかくなので旅の思い出に自分も踵で回ってみたかったのですが、順番になって列に並んでいるわけではないので、しばらくタイミングを計っていました。が、全然入るタイミングを掴めず、他の観光客にバンバン先に行かれる始末。10分ぐらい経って、しびれを切らして、並んでいたちっさい子供たちを差し置いて、ようやくぐるぐる回りました。今思うとアホです。こんな奴に幸運が来るわけありません(笑)

Cioccolat Italiani

大人げない行動をしたあと、お目当てのジェラート店、Cioccolat Italianiへ行きました。

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なぜか日本語が入った「TEMAKI CREPES」なる商品名が。寿司文化の浸透によってそれに関連する言葉も浸透しているんですかね。

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店内はこんな感じ。チョコレートという店名なのは、右側のカウンターテーブルにチョコレートが蛇口から出ているのが分かるでしょうか?このチョコレートをアイスのコーンの中に入れるというのがこの店の売りのようです。アイスを作っているところを撮影しようとしたところ、店員に拒否られました。

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僕のは確か6.5€でした。結構強気な値段設定ですが、ここも人気店なのかどんどんお客さんが入ってきます。味はそこそこおいしかったです。歯が痛かったです。肝心のチョコの部分は、かなりどろっとしていて食べた後に口の中を潤したいと思うほど食べるのにしんどかったです。あまったるくなかったのはよかった点ではありました。

ミラノ名物?ミサンガ兄さん

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アイスを食べつつぶらぶらしているとレオナルドダビンチに会いました。「なんやお前」という感じに見下されました。ちなみにこのダビンチ像周辺(まあミラノ市内の観光地全域で言えることですが)には、「ミサンガお兄さん」がいます。アフリカ系のお兄たちが「ミサンガをプレゼントしてあげるよ!」と強引に腕にミサンガを付けて来るのですが、ほんとうに強引です。「へへへ、アフリカンからのプレゼントだぜ~」陽気に近づいてきて談笑しながらミサンガを腕に巻いてきて、そしてそのあと急に「おい、金よこせ」と豹変してきます。言い口では「アフリカへのドネーション」というのですが、明らかにそれで稼いでいる集団です。め~~~~ちゃしぶしぶ文句言いながら1€だけ渡しました。その際にもちょっと口論になったので、去り際に「ファック!コリアン!」と言われたのですが、コリアンでないにせよ、そのあと30分ぐらいずっと気持ちが穏やかではありませんでした。きっとガレリアの牡牛での行為がいけなかったのでしょう(笑) いままで訪れた都市の中でも覚えている限りで一番タチが悪いなと思いました。(デリー行ってないからなんとも言えないけど)皆さんも気を付けてください。

最後の晩餐

このあと結構デカめの要塞?とその裏の公園のほうまでひたすら歩き、歩き続け、そこからホテルへの帰り際にすこしお高めのスーパーに立ち寄って、イタリア編最後の晩餐の食材を調達しました。(正直、このところ毎日14キロはざらに歩く日々が続いていて、この日の夕方ぐらいにピークが来ていた感覚がありました。)

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夕飯といってもほぼワインのつまみをメインに、チーズ、生ハム、サラダなどなどです。このスーパーは運よくワインが豊富なところでした。というか多すぎて全く選べない…ワインをそんなに飲まない人なので何を選んでいいのか。グルメな先輩にお任せしました。

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噂には聞いていたのですが、イタリアではボトルを持参すれば安くワインを買えるという話。このスーパーにありました。持参したボトル、もしくはその場に売っているボトルに自分で注ぐみたいで1L単位で売られているようでした。2.5~3.2€で買えるなんて安いですね。(ちなみにこのワインは買いませんでした)

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お店で食べない分、かなり奮発して買いました。

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ホテルに戻り、ワイン片手に、チーズ、海鮮カルパッチョ、そして生ハムをほおばって、幸せを感じながら床に就くのでした。

翌日、年末年始旅行としては最終日となる1月3日には、2日に行けなかっただまし絵の教会(サンタマリアプレッソサンサティロ教会(Chiesa di Santa Maria presso San Satiro))とフレスコ画の教会(サンマウリツィオ教会(Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore))に行きました。イタリア編最終日につづく。

 

KENGO

 

 

年末年始旅行⑧ イタリア編2日目

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。今回はイタリア、ベネチアでの2日目(元旦の日)を振り返ります。

書き始める前に少しお断りを。年末年始旅行記を書き始めてもう3か月が経ってしまいました。研究所のほうでのレポート作成などに追われつつ後回し後回しとしていると、書く気も失せてきてしばらく放置してしまっていました。どんだけ放置してるんだよって感じがモヤモヤとあって、それに気づきながら何もしないのも気持ち悪くなってきたので、そろそろと終わらせるかと、身体に鞭を打って書いております…ほとんどやっつけ仕事です。追加で調べていることも特にないです。記憶があいまいだったりするので、ベネチア観光の参考に見ている人はご容赦ください。

さて、始めます。

遠いけど便利なおすすめホステル

昨夜、年越しイベント(打ち上げ花火)に行って、ホステルに帰って来たのは深夜3:30。そして、朝起きたら10時になっていました。

泊まっていたホステルは、Camping Ville Jollyという、 Mestre駅から徒歩30分のかなり辺鄙な場所に位置するところで、この場所には宿泊用コンテナがズラリと並んでいます。そんな作りなので当然断熱性は低いので、床に足を下ろすとものすごい冷たさで眠気が冷めました。ここには先輩2人と3人で泊まっていたので順にシャワーを浴び、11時ごろにこのホステルから出ているベネチア島行きのシャトルバスに乗りました。歩かずにバスで直接ベネチア島に行けるというのはとても便利でした。もちろん帰りのバスもベネチア島からホステルまで直接行ってくれます。敷地内にあったスーパーは改装中でこのホステル周辺で食料をゲットするには不便でしたが、交通の便はシャトルバスを駆使すれば良いので、ベネチア観光で宿泊代を安く済ませたいという方はCamping Ville Jollyをオススメします。男3人1部屋2泊でトータル1万円以下、1人3000円以下の安さです。あ、ちなみにレストランは併設しています。

お昼のぶらぶら、サンマルコ広場周辺

バスでベネチア島に着き、2日目の観光がスタートしました。相変わらず今日も快晴で、海からの風は強めです。

この日はまずはベネチア島を通るグランデ運河は通らないコースでバポレットで外洋からベネチアを観光することに。天気が良くて、街並みが綺麗だとどこをどう歩いても画になる風景が続きます。

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外洋なので運河よりも少し波がありました。

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常に「次はどんな景色が現れるのか?」とワクワクしっぱなしでした。ベネチア島についたのは昼だったので、昨日の年越しイベントであった日本人観光客に教えてもらったリゾットが美味しくて、そこまで高くないというレストランに行きました。

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こちらがそのリゾット。2人前から頼めます。1人の値段は16€とベネチア価格でした。量は少なめに感じましたが、魚介のダシがよく感じられました。

ちなみに、ベネチア島での食事は基本的に1日15〜25€でした。やはりベネチア、ちょっと値段が張ります。自分メインの食事と飲み物+みんなでシェアする料理一品みたいな形でいつもオーダーしていました。ただ、かなり歩いてるだけあって普通の三食では足りませんでした。それ以外にも歩き疲れて入るカフェでコーヒー1杯1.5€とピザ一切れやパンなどの軽い軽食3.0€などをオーダーして間食を取ったりしています。カフェに入って足を休め腹を満たしつつ、ネットに繋がるというスタイルです。(ベネチアには公共で無料で使えるWiFiはありませんでした) 実際この間食でも結構お腹が膨れます。いたるところにカフェがあるのである度に入りたくなるほど概してどこも美味しくいただけました。

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昼ごはんのあと、この日もサンマルコ広場へ寄りました。昨日行けなかったサン・マルコ教会と隣の展望台に行くためです。どちらもそれぞれ15〜20分ぐらい並んで入ることが出来ました。

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まず、サン・マルコ教会。1月1日は日曜日だったのでサンマルコ教会の開館時間は14時から16時までと限られていました。お昼ご飯が済んだころが14時だったのですぐに向かいました。中は撮影禁止でした。フラッシュ撮影でなくてもダメなようでした…内部はとても大きなホール、祭壇には豪華な装飾が施されており、壁にはフレスコ画がたくさん(あったようななかったような…もううろ覚えです…)まあ言ってしまえばヨーロッパで有名だと言われている教会とおんなじ雰囲気なのです。

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祭壇の奥のほうには黄金のプレート?があり、そこを見るときだけ2€ほどお金が必要でした。写真撮っちゃダメだよーっていう札が出てたので目に焼き付けようと思いましたが、その裏ではみんなそんなことに構わずにバシャバシャ写真を撮っていました。フラッシュ無しだったら良かったのかな?すいません。僕も撮りました(笑)

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次に展望台。入場料は大人1人8€でした。展望台へはエレベーターで行きます。下から見上げると相当でかい。

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100メートルは悠にあるおそらくベネチア島で一番高いところからの景色は絶景。さっきまでいたサンマルコ広場からサンタルチア駅方向まで見渡せました。上から眺めると、ベネチア島内の建物の密集具合が良くわかりましたし、ほぼすべての建物の屋根が茶色いことにも気づきます。全部茶色って結構珍しい気がします。文化財保存の関係で統一しているのかな?

夕方のぶらぶら、ムラーノ島

サン・マルコ広場で一通り名所を巡ったあとは、ムラーノグラスで有名なムラーノ島へ行くことになりました。ちょうど昨年9月、ドイツに来る前に見ていたNHKの番組でもベネチアがクローズアップされており、その時にムラーノグラスについて知りました。(まだベネチアが一つの国だった頃、技術の流出を防ぐために卓越したガラス職人をムラーノ島に留めたのがムラーノグラス始まりだったそうです。) ベネチア島内でもムラーノグラスのお店はありますが、それが作られている唯一の島なのでどんな雰囲気をしている島なのかというのが気になっていました。

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ムラーノグラスは、細長いカラフルなガラスを束ねられたのちにまるで金太郎飴みたいにスライスされるため、一つ一つがきめ細やかで鮮やかなことが特徴です。見た瞬間一瞬おいしそうに見えます。(たぶん僕だけ?)

ムラーノ島に着いたのはもう夕暮れになったころ。バポレットからムラーノ島を見るとところどころに煙突と工場らしき建物が見えてくるので、職人の島という感じがビンビン伝わってきました。元旦でありながら観光地だからなのか、お店は営業していたのですが、時間が遅いこともあって徐々に閉まっていく状況でした。ちなみにお店によってはガラス工芸のワークショップや見学ツアーもあるようです。

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何件かのお店でお手頃な価格のムラーノグラスを探しました。船乗り場から直進すると小さな運河に差し掛かるのですが、その運河にかかっている橋を渡ってすぐのところのお店には日本人のスタッフが働いていました。

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いろいろお話を聞くと、NHKでクローズアップされていたお店らしく、結局そこで各々のムラーノグラスのお土産を買いました。ペンダントやピアスから置物まで幅広く、値段も結構していましたが、その中でもまだ手が届く30€のムラーノグラスのお皿を買いました。

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完全に日が落ちてからだったので、もうほとんど散策する時間もなく、水上バスの時間も限られていたので、運河沿いをぐるっと回ったのですが、さすがガラス職人の島。置かれているムラーノグラスのオブジェに圧倒されました。美しい。感動。

ちなみにムラーノ島に似た名前の島で「ブラーノ島」もあります。こちらはとてもカラフルな街並みとレース編みの工芸品が有名です。どっちがどっちか分からなくなりますね。このブラーノ島の難点は、ベネチア島から水上バスで片道40分ほどかかることです。この日は遅い時間から行動しただけあって、時間に余裕がなかったので行くのを見送ることになりました。

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この日の観光はこれでおしまいで、ベネチア島に戻り、レストランで晩飯にピザを食べて、ホステルにシャトルバスで帰りました。この日も結構な距離を歩いたので、ベッドに入るとすぐに寝ました。

翌日は朝早くから高速鉄道ミラノへ。年末年始旅行、最後の観光地へ向かいました。

 

KENGO

 

 

 

Marchは健全なのに不健全な月

恒例の1か月間の振り返りログ。ほんとあっという間で3月も終わってしまいました。ついこないだ2月の振り返りを書いたと思ったのに。そして、僕のドイツ生活も6か月が終わりました。逆にまだあと5か月もあるのかよ!とか思っていますが、5月には環境が変わるのでそこからはまたあっと言う間に過ぎ去るのでしょう…カールスルーエもあと1か月。あと1か月で去るのかと思うとすでに寂しくなります。

研究

3月初めに提出予定だったインターンのレポートの提出は1週間遅れでしたが提出できました。論文形式でのレポートを英語で書くのが初めてだったので、なかなか苦労しました。今後、日本に帰っても英語でのレポートを作る機会はたくさんあるので、使いまわせるフレーズはまとめていった方がいいなあと思いました。

中旬には研究所長の研究室訪問があり、僕のインターン中の実験内容や成果を説明しました。指導教官も自分の研究成果をアピールする機会だったみたいで、僕以上に張り切って研究内容を説明していたのが印象的でした。研究所長は日本の教育における、学部4年以降は研究室に所属する形を取るという研究室のシステムについて興味があったみたいで、いろいろ質問してきました。他にも「このインターンは大学院のカリキュラムで必須なものなのか?」についても聞かれました。聞いた話によると、ドイツではインターンシップをすることが大学院のカリキュラムの中に組まれているみたいで、修士論文もそのインターン先での成果を書くことがあったりするらしく、大学院で研究室に所属して実験するということは一般的ではないみたいです。(KITだけのケースかもしれませんが。)修士論文を書くスパンも約半年らしく、ほとんどの期間は授業がメインだそうです。おそらく所長はこのKITでのインターンシップが僕の大学院のカリキュラムに関係しているのだと思っていたそうですが、このトビタテ!ドイツバイオマス修行(とでも改めて名づけておきます)は「日本での研究内容とここでの研究内容は近いし、同時に学べているが、ここでのインターンシップは大学院のカリキュラムと関係なく、個人的なものだ」ということを伝えておきました。

3月中旬には4月末のインターン終了時点までに終えることがおおよそ決まりました。実験機器の貸し出しの関係や分析機器の修理の関係で1月の終わり時点で組まれていた予定よりも半分ほど実験量が減りました。スケジュールの中でケツが見えているということで、本当に残すとこあと少しだという実感が湧いてきています。ただ4月の間にもまだまだ分析にかけないといけないサンプルもありますし、並行して実験を繰り返さないといけなかったり、いま想像するだけでも忙しそうです。データが出そろわない限りはプレゼンもレポートも仕上がらないので、分析機器の修理が終わるまではできる範囲のところに取り組んでいくことになりそうです。4月上旬には修理が終わっていて欲しい。でないといろいろヤバい。おそらくイースター休暇も返上でしょうね。(まあお金もないですし)

バイオマスガス化の触媒フィルターによるタール改質についての研究に並行して、バイオマスガス化技術、ビジネス、政策、社会の変化についての資料も徐々にまとめています。僕の今回のトビタテ!ドイツバイオマス修行(とでも改めて名づけておきます)では、技術研究だけにとどまらない包括的な視野でバイオマスエネルギーを考えることを掲げています。次の企業でのインターンシップが始まる前にそのあたりの基礎知識も整理しつつ、どこかのタイミングでこちらにもまとめて書いていこうと思っています!(自分でプレッシャーかけてます!)

生活

アイスランド旅行

3月3日から7日にかけて念願だったアイスランドに行くことができました。金曜月曜火曜と事前に休みをもらって、ドイツを飛び出し、アイスランドではゴールデンサークルの半日ツアーと氷の洞窟を見る南海岸への1泊2日のツアーの2つのツアーに参加しました。アイスランド、思った以上に寒くなかったです。アイスランドは風が強く、風が強い時はもちろん寒く感じるのですが、ガクガク震えるほどではなく耐えられる気温でした。

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目的の一つだったオーロラ観測も初日と2日目に見ることができたのでとても満足。(そのあとの日程では曇りが続いたので見ることはできませんでした)旅行に出る前にオーロラを撮るために買ったカメラの修理が間に合わないという事件があったのですが、先輩に借りていた一眼レフ(F値3.5)でもオーロラを写真に収めることができたのは不幸中の幸いでした。初めての氷河トレッキングも楽しめましたし、大自然あふれるアイスランド、相当満喫しました。(物価高すぎてビビり倒しましたが)これはまた別のエントリーで書こうと思います。

〇ランニングはじめました

陽が長くなり気温も15℃から18℃と上がってきたことから、3月は中旬になってからランニングをし始めました。いろいろ試行錯誤して考えた家の近くのランニングコースでしっかり走り込むとだいたい40分。家に帰って筋トレ20分のセットでちょうど1時間になるので区切りが良く丁度よい運動になります。

研究所から帰ったらだいたい17時半から18時半ぐらいなので、そこからいろいろ準備して、18時から19時ぐらいに走り出すというリズムが出来ました。サマータイムが3月26日からスタートした関係で、日没は20時ごろだし、危険を冒して夜道を走らなくてもいいのがいいんですよね。

そして、1月から積極的にPodcastを使うようになって、好きなDJをSubscribeしているので、DJの1時間のセットとこの運動の1時間セットがちょうど良い感じにマッチしています。DJがその週のお別れを告げる頃には、お風呂の準備に取り掛かっています。

気のせいか、ランニングをし始めてから朝起きる時間が前より早くなりました。ここまで継続して運動しているのは中学の部活以来なので、いまの年齢でこの運動を継続していくと何か新しい気づきがあるかもしれない…

1時間の運動のあとは風呂、プロテイン摂取、夕ご飯といった流れでだいたい1時間。20時から21時ぐらいからはフリータイムということになりますが、最近は寝るまでのこの約3時間から4時間のフリータイムがうまく使えないでいるのが悩みになっています。贅沢な悩みです。

〇引きこもりの週末

アイスランドに行った週以外の週末ではこれといって特にどこにも行くことがなく、ひたすら家に引きこもっていました。というかアイスランドに行った分お金を節約しないといけないので、どこにも行く気になれませんでした。これまで見たかった映画、ドラマをたくさん見ました。でもさすがに3週分の週末をずっとそうしていると「飽き」も来ますし、なにか、このままこの生活のスタイルだと廃人にでもなりそうな気分になります。3月中には、これは週末に限ったことではないですが、WBCやサッカーのアジア最終予選があったのはある意味いい感じのスパイスとなりましたが、明らかに、健全な週末の過ごし方ではないです。(ちなみにランニングは週4, 5回はしていますし、精神的に堕ちている状態ではないですが、なにかが引っかかっているのです。そういう意味での不健全です。)

さまざまな選択肢が広げられる「お金」があること、交友関係が広いこと、仕事以外のなにかに目標をもってコンスタントに取り組むこと、というのは生活のリズムを作って整えていく上において非常に大事なことだなあと思わされました。引きこもりもほどほどにしないとかえって休日が疲れて嫌になることを思い知らされた3月でした。やはり自分には2週間に1回ぐらいのペースでどこか遠くに出かけるのが合っていると確信しています。

〇4つの時間カテゴリー

「こんなに暇を持て余すことになるなんて…」と思うのは、ある意味で明確な達成目標がある生活リズムを失っているのが原因だと捉えられます。いかに無駄な時間を過ごしているのか理解するために、まずは毎日の時間をルーティン、ミッション、チャレンジ、リフレッシュの4つに振り分けてみました。

まず「ルーティン」はランニング・筋トレなどから通学時間にやっていること、家事など、ほぼ毎日行うこと全般を指します。たとえば、英語は常々勉強しなくてはと思うのですが、机に向かって英語の勉強だけに取り組むということももう長年やってないので気が進みません。代わりといってはなんですが、NHKのWorld Radioは毎日通学時間や自炊している合間に聞いているのでこれは完全に「ルーティン」での学習に分けられます。(ニュースを教材に使うのはとてもオススメです。特にNHKは政治ネタを中心に扱うのでそちらの方面の英語の勉強になります。)ルーティンワークが確立していると生活リズムにもメリハリがつきます。

「ミッション」は、お仕事や学業全般。自分の掲げている目標に直結した活動を指します。人生の軸といってもいいでしょう。いまは細かなことを言うとKITでの実験活動、レポート作成などから、トビタテの留学計画に関連したバイオマスのレポート作成がこれにあたります。より大きな目標では細かな活動のその上の目標である「欧州とアジアをつなぐバイオマスエネルギーのリーダーになる」だと言えます。自分の人生設計を考える、長期的な戦略のために事前に歩を進めておくこともこれにあたるかなと思います。

「チャレンジ」は週ごと、月ごとの細かな目標、かつ新しい何かへの挑戦を指します。4月の間は当分Geroge Orwellの1984を読破することと改めてドイツ語のボキャブラリーを増やすことに地道に取り組もうかと思います。「チャレンジ」は「ミッション」にも間接的に効いてくるものやうまくいけばいずれルーティン化することにもなるものも秘めています。NHKのWorld Radioは思い返せばそういうものでした。「とりあえずやってみるか」というものだったのものがいつの間にかなくてはならないものになりました。

最後に「リフレッシュ」は少しの暇を埋めるもの、合間の気分転換、ストレス解消、エネルギー充填になるようなことを指します。無理せずに楽しんできることはこれにあたるのかなと思います。ブログを書くのも一種の「リフレッシュ」にあたるのかなとか思ったりしますが、ゆるくやりすぎてまだ年末年始旅行が終わっていないのは中途半端であんま良くないですね。(文章は書き終えていますが写真の選定が終わっていない…)ランニングもある意味「リフレッシュ」にあたるのかと思ったりしますが、そういう重複もありでしょう。最近はこれが映画とドラマに偏り過ぎて、あんまりバランスが良くなかったのが反省です。しかもその時間が長すぎるのも逆にストレスになっていました。(平日でさえフリータイムの時間がありすぎて困っているのに、休日にもやることがなさすぎるのがストレスなんですが(笑))とにかく、この時間はあまり長すぎない方が自分にとってはいいようです。そもそも暇を持て余していることが自分にとってはあまり良くないみたいです。それにお金がないことによる出不精は最大の原因でもあります。何に使うかのほうが大事なのはもちろんですが、お金があることってとっても大事だと感じます。

こちらでは帰る時間が早いので、家に帰ってしまうと早い時間にどうしてもミッションモードが切れてしまいます。時間はしっかりコントロールできるものだと思うので、無理してでもできるだけ「ミッション」「チャレンジ」の時間を長めに取るように心がけて、「リフレッシュ」の時間を適度に減らして行けるように頑張ろうと思います。

 

KENGO

Februaryはカーニバルと別れの月

容量がないのかパソコンの反応がとても遅いし、なんかもうレポートの進み具合が全然なので、息抜きがてらに2月振り返ります。

カールスルーエは2月に入ってとても暖かい日が続きました。最高気温が8~10℃がデフォルトになってきて、最近朝に車のフロントガラスとかが凍っている光景をあまり見なくなりました。でもまだ着込んでいかないと風がとても強い日には寒さを感じるときもほんとにたまーにあります。雨になる日もあり、春の到来を感じます。

そんなこんなでもうドイツに来て6か月があっという間にすぎました。留学期間自体も折り返し地点です。カールスルーエに来て、一緒に家さがしをしたことから仲良くなったイタリア人たち、偶然バスで居合わせた同じ大学の同期ももう帰っちゃいました。ちょっとさびしい。

カーニバルについて

でもドイツでは、先週の23日(木)から今日までカーニバルの時期でとっても盛り上がっています。(というかもはや「盛り上がっていました」が正しい。)キリスト教の祭りのことになじみがない人に向けてカーニバルをちょっと紹介します。

 

辞書によると「カーニバル」はラテン語で「肉を断つ」の意で、謝肉祭とも言われます。カーニバルの期間はAsh Wednesdayまでの1週間、正確に言うとLent(四旬節)が始まる前の1週間となっています。Ash Wednesday、Lent、なんぞや?を説明するには「イースター」を説明しないといけません。「イースター(復活祭)」はキリストが十字架にかけられた後3日目に復活した日を祝う日で、「春分の日以降の最初の満月のあとの最初の日曜日」と定められているため、移動祝日となっています。ちなみに今年のイースターは4月16日(日)です。イースターの前後の金曜日と月曜日は祝日になり、大型連休になります。そのイースターから日曜日を除く40日前の水曜日は、「Ash Wednesday(灰の水曜日)」と呼ばれ、このAsh Wednesdayから日曜日を除く40日間を荒野のキリストを記念するために断食や贖罪を行う期間として、レント(Lent)、四旬節といいます。つまり、断食の時期に入る前に、肉に別れを告げる意味でAsh Wednesdayの前夜にしていた宴がカーニバルの起源だそうです。もっとも、現代のキリスト教信者でちゃんと断食をしている人はごく一部だと思われます。というかあまりそういう話を聞いたことがないし…イスラム教のラマダーンよりは全然厳しくないはず…

ドイツのカーニバルの期間では街中でコスプレをしている集団にたくさん出会います。カーニバルでは派手な衣装を着て祝うのですが、年齢は関係なく老若男女コスプレしています。全員がコスプレをしているわけではないですが、ケルンにカーニバル遠征に行った際には、8割の人たちが仮装して飲み騒いでいました。お昼を食べたところでもほとんどのテーブルの客が仮装していたのですが、40代のおっさん集団が恥じらいもなく顔を青く塗りスマーフの仮装をしていたのには今思い出しても笑けてしまいます。街の雰囲気は渋谷のハロウィン。でも違うのは大音量で音楽が流れていることや、ゲリラ的に現れるマーチングバンドやパフォーマーの存在です。それらがあることで酒も入って気持ち良くなった人たちをアゲにアゲるのです。そして、ドイツのカーニバル期間でもっとも盛り上がるのが「バラの月曜日」。この日は街中でパレードが行われ、お菓子がばらまかれたりします。だいたいの場所では月曜日がクライマックスなのですがパレードが行われる曜日は都市によって違うようで、カールスルーエはなぜかAsh Wednesdayの前日の火曜日(今日)にパレードが行われました。ケルンの様子とカールスルーエの様子がまるっきり違ったので、その点に関してまた別に書きたいと思います。

ちなみに友達のイタリア人から聞いたところによると、イタリアではベネチアがカーニバルで有名ですが、ドイツほど街全体がカーニバルで盛り上がる都市はほとんどないらしく、コスプレするのも子供が多いそうです。もちろん夜のパーティーなどで仮装して騒ぐということはあるそうなのですが、いい年した大人たちが昼間っからコスプレして騒いでいるという光景はドイツだけみたいです。リオのカーニバルで有名なブラジルはドイツと比べてどうなのか気になるところです。でも確実に激しそう…

私生活

Hellotalkおすすめ!

Hellotalkという言語学習支援アプリで知り合った人たちとご飯に行きました。そこで知り合った、日本で言う高校三年生の女の子がめちゃくちゃかわいかったです(笑) でも絶対に手は出せません。新しい言語を勉強したいけど話し相手がいない、とか、日本で英語をもっと使えるようになりたい、とか思う人がいるならかなりおすすめします。 

外国人局追加書類提出

外国人局からの追加の書類提出指示の手紙が届いていました。提出を求められた書類は「在籍証明書?雇用契約書?」「家の契約書」「5月以降の保険証書」でした。なんと、追加提出期限は手紙が届いた日から約2週間後。申請時には4月末までの書類しか提出していなかったため、5月以降の分も送ってくれということだったのでしょう。ただ、4月末までの書類だったのには理由がありました。なぜなら、4月まではカールスルーエに居ることが確定していたのですが、申請時には5月から8月の予定が確定していなかったからです。この2月の間に5月以降の予定が確定したのですが、まだ5月以降の家の契約書や雇用契約書もそろっていません。確実に2週間後の提出期限には間に合いません。そのことも含めて、提出を求められている書類の内容が手紙の内容からはよくわからなかったので電話で問い合わせました。「明記されている書類の内容はなにか?」「5月からはミュンヘンのほうに行くが、カールスルーエで5月以降8月末までのResidence Permit(いわゆるVISA)が取得できるのか?もしくは4月末までのResidence Permitになり、5月以降はミュンヘンで申請しなくてはならないのか?」返事は4月末までになる可能性が高いということでしたが、追加で提出してくれと言われた書類は、なぜかすでに提出したはずの書類を指定されました。まったく訳が分かりません。とりあえず今日28日に提出を完了しましたが、いつになったら在留カードをもらえるのか、不明確すぎてちょっとイライラしています。

 踏んだり蹴ったりトラム罰金60€

17日にはカールスルーエのトラムでキセルが見つかり罰金60€課せられました。普段は定期券を60€で買っていたのですが、そこまでトラムを使わないようになったため、毎回の乗車で切符を買うことに挑戦していたのですが、たった2駅(乗車時間4分程度)隣の駅に行くために切符を買うことを忘れており、その間にコントローラーが切符の確認をして来ました。痛恨のミス。元を辿れば、いつも乗っているキャンパス間の無料のシャトルバスで自分の最寄りのバス停で降り過ごしたことからはじまっていました。乗る必要がなかったトラムで罰金60€。踏んだり蹴ったりでした。

 初めてのKSCホーム戦観戦

19日には地元のブンデスリーガ2部KSCのホーム戦を友人と見に行きました。スタジアムまでは無料のシャトルバスが運行していました。会場で残念だったのがビールがノンアルコールしかなかったこと。そして、KSCに在籍する山田大記選手はイエローカードの累積で出場できない日だったこと。ダブルパンチです。しかも、試合は序盤に相手にPKを取られ、そのまま状況を打破できず、後半に一点をPKで返すも1-2でKSCの負けでした。今度は勝ってほしい。たぶんまた応援しに行きます。

ユーロ円為替変動と欧州政治動向 

ユーロ円が欧州政局の不透明感、特にフランス大統領選の影響で大幅下落から大幅上昇で元通りという流れが続いており、120円台から118円台を上下している形で2月終了という感じでした。これまであまり継続して為替変動を見ていなかったのですが、IMFギリシャ支援の動きであったり、フランス大統領選であったりと政治が大きく為替を変動させているなあととても実感しています。全部後追いですが、世の中の動きを見ていくのにとても勉強になっています。

ケルン、カーニバル遠征 

25日(土)、ケルンへカーニバル参戦のための遠征。カールスルーエの友人と一緒にバスでケルンに行き、ケルンでアーヘンに住んでいる大学の同期と合流しました。ちづねえと尾方と。上にも書いた通り、ケルンのカーニバルは、かなりの人数の大人たちが恥ずかしげもなくコスプレし、街中で盛り上がっていました。渋谷のハロウィンみたいですが、伝統あるパレードやドラムがあるというのは違うところ。面白かったのが、道に面したほとんどのお店が店のガラスを守るためにベニア板を打ち付けガードしていたことでした。「そこまでせなあかんぐらいめちゃくちゃになるのか!?」自分たちがケルンを訪れたのは土曜でしたが、それでもかなり盛り上がっている状況で、月曜は一体どうなるんだろうと思わされました。

立て続けの別れの時期

半年だけの交換留学の人たちは、この2月にカールスルーエを離れていきました。同じ家に住んでいたルームメイトも結局ちゃんとした送別会はできないまま台湾に帰りましたし、ずっと仲良くしていた実は大学の同期だった友人も帰ってきました。そしてなにより、留学開始から家さがしの苦悩を共にし、毎週金曜の夜には集まって飲んでいたイタリア人たちも帰ってしまいました。カールスルーエでの滞在はあと2か月ですが、金曜の夜のいつもの会がなくなると思うととても寂しいです。一番仲良かったイタリア人のマティア君には日本から持ってきた日本の観光名所の綺麗な写真が一枚一枚入ったトランプをプレゼントしました。彼は日本食が大好きだと言っていたので、いつか本物の日本食を食べに日本に来て欲しいなーと思いました。またいつか会える日は来るでしょう!うん!

研究

2月に入ってからは新しく始まる実験で必要な触媒のサンプル作成と実験装置の組み立ての最終段階を終えるところから始まりました。指導教官の組んだ予定通り、2週間と少しの期間の間にサンプルの作成は終了し、2月の第2週にはすでに組み立ては完了しました。第3週目に入ってから16日(木)一日だけ原因不明の体調不良で欠席。ストレスか何かが原因かな?4週目からは触媒サンプルの「BET分析」という触媒中の比表面積を測る分析を開始。BET分析は計6日間で終了しました。

実験装置が組み上がったあと、22日(水)には実際に850℃まで電気炉の温度を上げ、電気炉の動作や挙動を確認。翌日にはガス分析装置とともに300℃から900℃の挙動を見ることに。ところが、これまでリアルタイムで生成ガスの成分分析に使用していたコンピューターが動かない事態に…翌週、代わりのコンピューターでなんとか分析することができるようになりました。昨年の年末から取り掛かって、ようやく、これまでの実験条件にならって新しい触媒サンプルで実験をし始めることになりました。めでたい!

自分に課せられたレポートの前半部分の提出が3月6日(月)で、それに向けて徐々に論文を読み始めました。バイオマスエネルギー、ガス化のメリット、白金触媒のメリットなど、改めて全体を理解するところから入っています。また、4月初旬に自分の部署内でのミーティングで5月に行われる研究所全体のプレゼンのプレプレゼンをすることになりました。3月は実験を行ってデータを取りながら、レポート、プレゼンとポスターを作成していくハードな1か月になりそうです。また、3月の中旬に、ITCの研究所長が実験の様子を見に来るらしく、どのような形で自分が働いているかも含めて実験内容を説明する機会が設けられるそう。

5月以降のインターンの決定とそれに伴うトビタテ変更申請について

12月ごろからバイオマスエネルギーの企業に絞って5月から3~4か月のインターンが可能かどうかの問い合わせをしていました。12月末に一度連絡を受けていたSpannerというバイオマスガス化の企業から1月31日(火)時点で再びコンタクトがあり、自分のCVを送って2月9日(木)の面接日が設定されました。9日に往復での総移動時間14時間、現地滞在時間1時間という強行スケジュールで面接を受けに行き、次の週の13日(月)には受け入れ許可をメールにてもらうことに成功。それまでの間にいろんな人に協力してもらっていたので、すぐさまインターン先が確定したことと感謝の連絡をしました。

これでトビタテの変更申請も確定し、次の週には自分の大学の事務を通じて変更申請を行いました。大学の事務の人も迅速に対応してくれたので、「留学内容の変更の2か月前に変更申請をしなくてはならない」というリミットも奇跡的にクリアしました。事務の人が言うには、「留学期間の変更がない限り、奨学金の支給が止まることはない」ということだったのですが、トビタテコミュニティの中で作られた「変更申請グループ」で共有されていた情報とは異なっているので、まだ安心はできません。中には変更申請の期間が4か月かかり、その間の奨学金の支給は停止されていたという人もいました。(申請が通った後に4か月分無事に振り込まれたそうです)

あと2か月したらインターンが始まるのかと思うと戦々恐々ですが、とりあえず今は目の前のことに集中です。

最後に

カーニバルの期間、特にAsh Wednesdayの前の月曜と火曜は都市によって、また学校によっては休みになるところがあるそうです。それもあってか、職場でも月曜、火曜を休む人たちがチラホラいました。自分はその休みをズラして取るというわけではなかったのですが、今週の金曜から、これまた念願だったアイスランドへ行ってきます!

心残りなのは、アイスランドでオーロラを撮るために買ったカメラを年末に壊して以降、修理に出していたのに、そのカメラがまだ帰ってきてないことです。先日、修理の状況はどうなっているんだとお店に確認したら、まさかの修理をする依頼をお店から修理工場に連絡していなかったことが判明。工場側でカメラの損傷確認が行われ、修理が可能と判断した後の見積もり額をもとに修理をするか否かの連絡をこちらがしなくてはならなかったのですが、それは確実に行っていました。しかもその見積もり後の修理依頼では店頭で書類にサインをしているんです。それにもかかわらず、修理されずに工場にただ連絡待ちの状況で放置されていた僕のカメラ。ほんま最悪です。(なんか常にハプニング起こりすぎてダメですね。なんなんですかね。今年厄年じゃないのに…)

運よく、高性能なミラーレスを先輩から借りているのでオーロラ以外の写真はなんとかなりそうです…先輩ほんまにありがとうございます。なにかもやっと残るものはありますが、あと数日でアイスランドに行けると思うと心が躍ります。写真たくさん撮りながら大自然を楽しんできます!

 

KENGO

年末年始旅行⑦ イタリア編1日目

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。今回はイタリア、ベネチアでの1日目(大晦日の日)を振り返ります。

念願のベネチア

12月31日の朝。起きるとそこはベネチアでした。

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ちょうどイタリア半島の本土のほうからベネチアの方面へ向かう橋の上で目を覚ましました。周りを見渡すとところどころが干潟になっているような浅い海が広がり、朝日がその水面にキラキラ光っているという素晴らしい景色が広がっていました。バスがTrochettoターミナルに着いたのが朝8時近く。そこからとりあえずSanta Lucia駅があるローマ広場のほうまで歩いてみました。

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朝日がきれいだったのでところどころで写真を撮りつつ20分ぐらいでローマ広場へ到着。(2枚目の右のほうに写っている橋が本土とつながっている)ローマ広場は島内で唯一車が入れる場所で、そこから先のエリアには車やバス、タクシーは全くありません。島内は昔の街並みのままで道が狭すぎるため主な交通手段は運河を通行する船と徒歩しかありません。(このためにのちのち大変な思いをするのです笑)

そもそもベネチアでの目的は、第一に路地好き人間にはたまらない路地だらけかつどこに行っても素晴らしい景色が観られるベネチアで「街歩き」をすること、そしてもう一つはそんなベネチアで「初めての海外での年越し」を経験することでした。

ベネチアで街歩きをするのは、本当に念願でした。NHKの「世界ふれあい街歩き」でベネチアが紹介されていたのをたまたま見たのはちょうど浪人生のとき。(ふれあい街歩きは旅人目線で街の雰囲気を味わえるとてもいい番組です)そのときは受験に合格すること以外の自由を徹底的に制限し、それで精神的にもかなり詰められていた時で、「ちゃんと東京の大学の合格を勝ち取って、いつか…いつかこんな景色が広がる面白い世界に出ていくんだ」と心を躍らせ、胸に誓ったことを思い出します。そんな日がついに…ついにやって来たのです。

そして、そんな思い出に残る年越しのタイミングに合わせるように、ちょうど同じ時期にヨーロッパに留学している先輩2人とたまたまベネチアにいる日程が被っていた同期2人を合わせた計5人でベネチアの観光&年越しを一緒にする予定になっていました。

その5人のうち、一番最初にベネチアに足を踏み入れたのは自分でした。他の人たちは昼過ぎにベネチアに着くという予定でした。それまでの時間は、主な観光地に行くことはあとに取っておくことにして、ベネチア島内と年越しイベントのあとの交通手段の情報収集に勤めることにしました。

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ローマ広場からSanta Lucia駅に向かう途中の景色に、さっそく圧倒されっぱなしでした。どこ撮っても画になる…

交通手段どうなっているんだ!?

Santa Lucia駅で朝ご飯にサンドイッチを買いつつ、スタンドでのコーヒー1杯の値段(1.0~1.2€)に驚きつつ、情報収集のためにネットが使える駅構内のカフェに行きました。(ちなみにそこではコンセントも使い放題で助かった…)年末年始旅行が始まる前にしていたことといえば、ベネチア島内のホテルはとても高かったので、本土のほうの主要駅(Mestre)周辺のホテルを抑えているぐらいでした。ただ、よくよく考えると年越しイベント後にそこに帰れる手段があるのかについては全く考えていませんでした。 (実は北欧での情報収集に時間を割きすぎて、ベネチアのことについては観光ポイント以外あまり調べきれてなかったのです。他の人も同様でした笑)

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しばらく調べていて、交通手段についてわかったことは、 

  • 島内を巡るには確実にベネチア島内のグランデ運河や島の外周で運航している水上バス(Vaporetto)の乗り放題のチケットを買うべきだということ (75分有効券7.5€、1日券20€、2日券30€、上の写真参照。クレジットカードでも買えます)
  • ローマ広場周辺は電車もバスもターミナルとなっていること
  • 電車でMestre駅までは1.25€
  • バスはMestre駅周辺から本土のほうの市街地に行くものがいくつかあること (バスの路線図は停留所の名前だけが並んでいる表示であり、行き先の地名が分からなければどのバスに乗ればいいか分からない理不尽なデザインでした。せめて地図上に路線図が書かれてあるようなデザインにしてほしかった…)
  • 電車、バスともに運航の終了時刻がそれぞれ0時半と22時程度までだったこと (バスは12月31日と1月1日のみ臨時運行があるというポスターが掲示されてありましたが、目当てのバスは夜中は走っていないということも判明しました。この通知のポスター、イタリア語だったのと分かりにくい構成だったので内容がよく理解できませんでした泣)
  • 他の交通手段としてタクシーが24時間営業していて、ローマ広場からMestre駅周辺まで定額(23€程度)で行ってくれること(詳しくは以下の写真を参照)

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タクシーの運ちゃんに話を聞いて、年越しの様子も聞けました。この時点で、帰りはタクシーでホテルまで帰ることを想定していました。問題は年越しのあとにそのローマ広場のタクシー乗り場でどのぐらい待たなくてはいけないかということ。もちろん他の観光客も同じ状況にあるので、タクシー争奪戦が繰り広げられるのは目に見えています。

「年越しで大騒ぎする大イベントのときに公共バスも電車も運行しないなんて、なんて理不尽なんだイタリア人!アホなんちゃうか?」

とバスも電車もその理不尽なデザインと倫理観に苛立っていたのですが……

結論から言うと、電車は年越しイベントが終わったあと夜中から朝まで運行していました!!無いものと思っていたのがあったので運行していることが分かった時は一安心できました。

一通りの交通手段については述べましたが、実はベネチアで感じた壁の中でも初歩中の初歩なのでした…

迷子必須の想定外の街歩き

ベネチア最大の問題は、「地図が手元にあっても自分の現在地を見失うこと」です。

全員と合流する前に街歩きの準備として足を慣らしておこうと軽く島内を歩いてみたのですが、新しい場所でも地図があれば迷わない派の自分であっても速攻で迷子になりました(笑)もらった地図上にはない路地に引き込まれ、方向感覚を失いました。そんなこんなで全員と合流する前には迷子から脱するためにGoogleMapを多用したせいでデータ量がオーバーしてしまいました。ほんまにアホです。合流したあとにもどの道を行けば目当ての観光地に行けるのか分からないほど道が複雑なので、結局、先輩の1人がプリペイドSIMに課金しまくって常にオンラインでGPSをオンにした状態になっていました。

*ドイツのプリペイドSIM vodafone 10€のプランで750MBで、その日1日で400MB使用して終了しました… ちなみに友達からの情報によるとフランスのプリペイドSIMだと20€程度で50GBぐらい使えるそうです。なんでそんな差がでるんや!笑

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ぐるぐる歩いていると「いかにもベネチア感」があふれていて道に迷いながらもとても楽しい一人の時間を満喫できました。(いや、ホンモノのベネチアなんやけどね笑)

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水上バス(Vaporetto)のチケットも買い、一度リアルト橋付近までいきました。こんな感じで主要ラインの水上バスは人でパンパンです。

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リアルト橋からの眺めはとても素晴らしい。リアルト橋は観光名所として出てくるのですが、橋自体がすごいというよりはこの景色がいいのでしょう。

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ちょっとアングルは違いますが夕方になるとこんな感じに。本当に画になります。しかし、みんなここでセルフィーしてるのでかなりの人でごった返してるため、結構いいアングルで写真を撮るのには時間がかかります。

ようやく合流、そして街歩き

一度本土に戻って、宿泊する先のホテルに行ってチェックインするなどのなんやかんやあり、5人全員が合流できた時点ですでに17時すぎ。

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リアルト橋付近で雰囲気のいいレストランがあったので、早めの夕食タイムになりました。イカ墨スパゲティをオーダーし皆でカニをシェア。

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そのあとは本格的に島内を街歩き。リアルピノキオ発見したり、途中で何度もカフェに立ち寄りカプチーノをすすったり、革製品のお店に寄ったり気ままに時間をつぶしながら、年越しイベントで花火が打ちあがるというサンマルコ広場へ向かいました。

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道中、年越しのときにみんなでつけようということで、ちょうど戦隊モノのカラーになるようにカーニバルの仮面をそれぞれ買いました。(今見たらそうでもないwww) 買ってからはどの場所に行くにも仮面をつけたままで、とんだ浮かれたアジアン観光客だったと思います(笑)

サンマルコ広場での悲劇①

先輩が課金しまくって使えるようになったネットでGPSを駆使し、なんとかサンマルコ広場に辿り着きました。

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時刻は21時頃。事件は起きました。先輩の両親が昔ベネチアに旅行に来たときにサンマルコ広場で一杯12€もするコーヒーを飲まされたという「サンマルコ広場周辺のカフェは物価高い話」で盛り上がっていた一行は、そのカフェがどこにあるのか探していました。

そこで目にした光景は、いかにも金持ちという感じの人たちが会し、カフェを貸し切りにしてパーティーをしていたものでした。そのカフェの年季が入ったとても良い外観を写真に収めようとカメラを手にし、何度かシャッターを切った、その時!!

カメラを持っていた手につけていた手袋でカメラを滑らしてしまい、カメラが「ガッチャーンッ!!」と豪快に音を立てて、石畳の床に落ちてしましました。周りの人も騒然。「はあああぁぁぁ~~~~」と言いながら、カメラが落ちていく光景がスローモーションに脳内で繰り返される中、落ちたカメラを咄嗟に床から拾い上げ、状態を確認すると、画面が少し飛び出ている+ボディの凹み+レンズ部分の部品が外れかかっているという状態でした…とりあえず画面をはめ込み、再起動させると、運よく動いているではありませんか!!「よかったー!!」と胸をなでおろしているのもつかの間、それから1時間経ったころには電源オフにしてもレンズ部分が収納されなくなり、全く使えなくなりました…

「このカメラ、つい1週間前に買ったのに…」

良く考えると2016年は自分にとっては厄年。気を抜いていたのか最後の最後にやられました。そして振り返ると前にもこんなことが。前厄の2015年にも新品のiPad購入したあと2日で画面を割っていたのです。「ことごとく新品を破壊する」というのが自分の厄だったに違いない。そう思わされました。

サンマルコ広場での悲劇②

サンマルコ広場での悲劇はまだ続きます…

一度サンマルコ広場から離れ、別のエリアをぶらぶらした後に、またサンマルコに帰ってきました。年越しイベントに向けて空いた時間約1時間半をどうにかつぶそうと、良い感じのカフェを探していたのです。どのカフェもこの大晦日で込み合っていて、結局22時半ぐらいにサンマルコに戻ってきたのでした。さっきまで話していた「サンマルコ広場周辺のカフェ物価高い話」を忘れていたわけではないのですが、5人のうち1人がメニューの値段を確認したのちに「物価高い言うてたけどそうでもなさそう」ということで入店。運よく5人分の席が空いたところだったので、それまでずっと座らずに歩き回っていた我々は「運が良かったな~」とほっとしていました。店の名前は「EDEN」という名前でした。

席に通される際に、店員に「何か食べるか、それともドリンクのみか?」というのを英語で聞かれていたので、入店時の列の先頭にいた友人が「Both(両方)」ということを確かに伝えたのでした。

店員が持ってきたメニューを開いてびっくり!普通のコーヒーで8~9€、ビールだと11€とかそのぐらいでした。小腹も空いていたので、みんなでシェアできるサイズのピザを頼もうとメニューの中の料理ゾーンを見ても唖然。全然料理メニューが充実していなくて、普通のあんぱんとかのサイズのピザでも13€します。すでに席に着いてしまった上に、これから別のカフェを探すのもしんどいということでしぶしぶ各々のドリンクとピザ1つをオーダーし、食べたいだけその小さいピザを頼んでシェアすることにしました。ちなみにピザを注文するときにそのサイズ感を店員に聞いています。(←これあとで重要です)

ドリンクが来てから、ピザが来るまで、「このどこにでもあるようなカフェの雰囲気で、このドリンクの値段はまじでないわ~先輩の両親が経験したことそのまま二の舞やなwww」としばらく談笑を楽しむ一行。カフェの店内を見渡し、周りの客層やらなにを食べているのかにも目が行きました。左隣のカップルはデリバリーであるようなサイズのかなり大きめのピザを注文したみたいで、男性の方が食べているところでした。「あれ?あんなメニューあったっけ?」と思いつつ、「ここであのサイズのピザを頼んだらめっちゃ高そう…」とかも思っていました。そうしているうちにウェイターが我々が注文した13€の小さいピザを持ってきました。「まあ写真でみた感じのサイズ感やなあ。どうせなら大きいピザ食べたいけど、高いだろうししかたないなあ」という感じで、あんぱんサイズのピザを男3人で食べわけようとしていました。

そうしていると、右隣の、母親は50歳近く、娘は20代前半のどちらもブロンドで美人で気品がある親子がこちらの光景を見てえらい爆笑しています。笑いやんだと思ったらまた笑い出し、娘のほうは笑い泣きまでしています。そんなことを2分近くもしていました。しかもその親子の間で起こった何かで笑っているのではなくて、明らかにこちらの5人のほうを見て大爆笑をしているのです。ちょうど僕の座っている位置が近かったので、その大爆笑している理由をおそるおそる聞いてみました。

「すみません。なんで笑っているのか教えてもらえますか?僕たちを見て笑っていますよね?」

「wwww…ああ、ごめんなさいね。なんでもないのよ…www」的な雰囲気で応えてくれず、一度目は何も真相が分かりません…

それでも、まだ笑い続けているので、その大爆笑に自分たちもつられて「なんでこんなケラケラ笑っとんねん!なにがあってん!」と余計に知りたくなり、もう一度、

「なんで笑ってるんですか?」と再び聞いたところ、

「wwww…だってwww…あなたたちのピザwww…めっちゃ小さいwwwwww…」

そういうことだったのか!と真相が分かり、こっちも大爆笑!「そんなに笑うことか?!いや…たしかによくよく考えたら13€でこれで男3人で分けようとしている光景はたしかに滑稽だわ」と思いながら、徐々にその親子と仲良くなりました。オーストラリアから来ている家族で父親は年越しイベントの前に仮眠をとるためホテルにいるそう。にしてもこの娘のほうが可愛いし美人、しかも笑顔が素敵という女性の武器を山ほど抱えた女性で話しながら僕はかなりメロメロになっていました(笑)で、こちらの事情を伝え、「13€でこのサイズのピザが来たんだよ。ありえなくない?」と愚痴をこぼしていました。それでまた大爆笑。どんだけ笑いのツボが浅いんだ…と思っていましたが、ここで5人はふと冷静になり、「さっきから左隣のやつピザ食べてるけど、あれはいくらするんや?比較してみよう!」と店員から渡されなかった方のメニューをこっそり取り、確認してみることに…

そこにはドリンクメニュー以外で充実した料理のメニューがずらり。ピザのパートをみつけ確認すると「Pizza+1drink・・・・17€」と書かれてあるではありませんか。どうやらこのピザはあの左隣のカップルが食べている大きいサイズのやつ!「ドリンク付きで17€ってどういうことやねん!全然こっちのほうがお徳やんけ!!」「うわ、見事にカモられてるやん俺ら…」となり、さすがに渡されたメニューとこっそり取ったメニューでの値段が違うこと、そしてその内容が違うことについて店員を呼び、事情を聴くことにしました。

だが、この呼びつけた若い店員の態度がものすごく悪い。まずは持ってこられたメニューが他の客と違うのにはどういう事情があるのかを低い姿勢で聞いたのですが、相手はピザのサイズにケチを付けられたと思ったらしく、「このメニューのピザを確かに頼みましたよね?これがそのサイズなので問題ないです。」の一点張り、しかも口調がイラっとする感じで、対応にも態度の悪さが前面に出ていました。これにはあきれ果て何も言葉が出ない。こいつでは話にならないとなり、別の実際にメニューを持ってきた50手前ぐらいの店員に事情を聴くと「あなたたちが「ドリンクのみ」といったからこのメニューを持ってきた。それでこのメニューを注文したから小さいピザを持ってきた。なんか間違いがあるのか?」という主張でした。

こちらの主張としては、まず「飲食両方」と入店時に伝えたこと、そこでこのほぼドリンク+少しの軽食しか載っていないメニューを持ってきたことにそちらのミスがあるのではないかということを問いただしました。こちらとしては「今後こんなミスはしないでくれ」といういかにも日本人らしい終わり方を予定していたのですが、「何が不満なんだ?ピザのサイズを変えれば問題はないのか?」と返してきました。まあこちらとしてもピザのサイズを変えてもらえることに悪い気持ちはないのでそのように伝えたのですが、その店員すら「謝罪」の言葉が全くないことに、僕たち5人の顔は引きつっていました。

そののち、13€の小さいピザをキャンセル 、17€のドリンク付きの大きいピザへの変更をすることになり、追加でドリンクを注文し、大きいピザが来るのを待ちました。でも僕たちの気持ちの中ではこの問題はすっきり解決されたものではありませんでした。相手側から要求したメニューをミスしたことに対しての「謝罪」の言葉を聞いておらず、かつその問題の対応をする態度の悪さにも違和感を覚えており、2つのメニュー表で大きく異なる理不尽な値段設定にも納得がいっていなかったからです。

このやりきれない状況に、交渉の先頭に立っていた先輩が、相手のためを思ってのクレームを入れることに。もちろん僕が交渉の先頭に立っていても同じことをしていたでしょう。ちなみに右隣のオーストリア美人親子もこれに対して怒りを覚えていたようで、ほかの客からもドイツ語でサービスの不満を漏らしていたのを聞いていたそうです。それぐらいこのカフェのサービスの悪さに全員の腹が煮えくり返っていました。

「まずミスをしたなら謝罪の言葉から対応するのが接客の基本でしょ。なのにその悪い態度で対応されるのは、サービスとして本当に最悪。気分を害しましたし、周りの客についても同様のサービスの悪さを口にしています。我々はもう二度と来ないですが、せめてサービスは向上させてください。」

とさっきまでもめた店員に言い伝え、会計を済ませました。このクレームの価値観も日本の「お客様は神様」的な価値観から来るのかなあとか振り返りながら思いましたが、一流な店なら値段が高いこととは関係なく、お客に対して気分を害させるような接客をしないことが徹底されるべきでしょう。そしてよりサービスがいいところなら、客がピザのサイズを聞いている時点で、「もう少し大きいサイズのピザもありますけどいかがですか?」という提案までできるはずです。立地だけよくて、サービスがクソな店ははやく淘汰されてしまえと心の底から思いました。サンマルコ広場周辺のカフェ、特に「EDEN」とかいう全く名前にふさわしくないサービスをしてくるふざけたカフェには十分に気を付けてください。

いよいよ年越し!

サンマルコ広場での2つの悲劇のあと、23時30分ぐらいから年越しイベントがある海側のほうへ移動しました。海からの風が吹き荒れ、とても寒かったです。年越しイベントといってもそれは「打ち上げ花火」だけなのですが、調べていた情報によると海上に特大の打ち上げ花火が何発も打ちあがるということでした。

時間が刻々と流れ、そこに集まっていた人も徐々にヒートアップしていきます。2016年があと5分になったところから、1分おきに上空にランタンが一つずつ打ちあがります。打ちあがる度に沸き起こる歓声。いよいよ最後の1個がはなたれ、スマホを片手に2017年になるタイミングをじっと待ちます。カウントダウンがあるのかと思っていたのですが、それほど大きな全員で合唱するカウントダウンはなく、スマホの時計が0:00を指して数秒後、打ち上げ花火が始まりました。

およそ20分間。何発打ちあがったのかわかりませんが、日本でみるのと同じぐらいきれいな花火がどんどん打ちあがります。

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最後のクライマックスに「これで満足かぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」ってぐらい特大の花火を連発で上げていくのには圧倒されました!「海外の年越し、次にできるのはいつになるんだろうか?そんな日は来るのかな?」とか思いつつ、「やっぱり日本の年越しみたいに家族で紅白見て、年越しそば食べてしっとり迎える正月もいいなあ」と思っていました。

ベネチア遭難の恐怖の中

20分間の打ち上げ花火を楽しんだ後、その場で一夜を明かす若者以外の会場にいた人全員が帰路に着いていました。皆決まってセントルチア駅・ローマ広場方面を目指して歩きます。この時間にはもう水上バスはやっていないので全員もれなく徒歩で駅方面を目指すのですが、その場所に着くまでに約1時間半ぐらいは歩いたような気がします。よく取りがちな行動の「人の流れに乗って進んでいく」なんていうのはベネチアでは自殺行為でした。なぜならほぼ全員が道に迷っているためです。最初のサンマルコ広場から少しした距離の部分ではだいたいみんな同じ道を調子良くずんずん進んでいきます。途中からどんどん分散していき、細くかつ暗い路地を行く中でどんどん迷子になり脱落していく集団が増えていくのです(笑)中には10人ぐらいの集団でベネチアに来ていたと思われる集団が途中で2人を見失い、連絡が取れなくなっており途方に暮れているという光景も目にしました。主要な大きな道などあってないようなもので、分岐点ができるほどに人の塊が分散していくため、「ベネチア遭難」なんて余裕で起こるのです。

我々一行は先輩のスマホで常にGPSをオンにほぼ最短距離で駅方面に辿り着くことができました。一度先輩とはぐれていたらそれでその夜は終わっていたに違いありませんでした。GPSオンで最短距離を徒歩移動してすら1時間以上はかかっていたことを考えると、ベネチア民がいかに水上交通を重要視しているのかが分かりました。(水上バスなら運河に面したところから約20分あれば駅に着きます。本当に便利です。)

サンタルチア駅についたあと、タクシーを使おうとローマ広場に行く前に、時刻表通りに電車が本当に動いていないのか確認しに行くと、なんと!かなりの本数が動いているではありませんか!1.25€のチケットを買い、電車に乗り込みました。そのあとは本土のMestre駅についてタクシーを待っていたのですが、結局徒歩でホテルまで向かうことに。不運なことにホテルの場所はMestre駅からまあまあ遠い場所にあったので、寒空の下、約30分歩きました。結局寝床についたのは3時半。

足場があまり良くない石畳が続くベネチアをひたすら歩いたので足はパンパン、いろんなハプニングあって精神もすり減らしていたので疲労困憊でした。次の日は10時に起きるのでした。

2日目につづく。

 

KENGO

年末年始旅行⑥ スウェーデン編最終日&おまけにミュンヘン

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。スウェーデンストックホルム2日間の最終日と乗り継ぎの時間に観光したミュンヘンを振り返ります。

弾丸観光で念願の黄金の間へ(ストックホルム市庁舎)

12月30日早朝6時半、まだ陽が全く出ていない時間に、友達が空港に行くのを見送るため、一行はそのままストックホルム中央駅へ。彼女はニューヨークで年越しするらしく、「テロに巻き込まれないでね!無事でー!またねー!」と無事を祈りながらバイバイしました。残された男2人は、眠い目をこすりながら朝ご飯を食べに、駅構内のEspresso Houseというカフェへ。このEspresso Houseというカフェはストックホルムでよく見かけました。スタバ以上におしゃれでのんびりできる空間で、朝の時間帯には隣で小さな子供を連れた家族が同様に朝食を取っていました。

腹ごしらえも済んだところで、さっそく、昨日目の前まで行っても中に入れなかったストックホルム市庁舎へ行くことに。駅から徒歩で向かいました。道に迷わなければだいたい15分以内で到着します。

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9時から開始されるガイド付きツアーは30分おきにあります。昨日の時点でそれを知っていたので1番最初のツアーの9時には間に合うように行きました。ガイドの言語は選べますが、基本的に英語ですね。プライベートでドイツ語のツアーが組まれたりしていました。この日は年末ということもあってか、14時までと言われていました。ツアーの料金は60kr(約800円)。これもクレジットで支払いました。荷物などがあってもツアー開始前に無料で預けることができますが、貴重品は自己管理でした。

結果的に言うと、このツアーで800円は内容的にも質的にもとても満足できました。ガイドの説明が綺麗な英語でとてもスムーズで分かりやすく、すべての情報がスーッと入ってきました。ガイドツアーの所要時間は約40-50分ほどかかります。

晩餐会の食器類

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まずはじめに目が留まったのが晩餐会に用いられる食器類です。一枚目の写真はノーベル博物館、二枚目は市庁舎で撮ったものですが、展示されている食器が若干違います。

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「面白い柄をしているナイフだなあ、どこが作っているんだろう」と調べてみたのですが、なんと!日本の新潟県に位置する山崎金属工業という会社でした!(参考)1991年のノーベル賞90周年事業の一環で晩餐会に並ぶ食器類すべてをスウェーデン製にする目論見があったそうです。しかしデザイナーに起用されたゴナ・セリン氏が複雑なデザインのカトラリーを要求。しかしスウェーデンの企業では研磨できる技術がなく、ゴナ・セリン氏が懇意にしていた山崎金属工業に依頼を出したのがきっかけだったそうです。そんなつながりがあったなんて面白い。ちなみに食器はスウェーデン製です。

青の間(ブルーホール)

最初に通されるのは青の間(ブルーホール)と呼ばれる屋内の広場のような空間。ここではアルフレッド・ノーベルの命日である12月10日に行われるノーベル賞授賞式のあとに開かれる晩餐会が行われます。晩餐会では”受賞者やその家族・親戚、友人や同僚、スウェーデン国王一家、大臣、政治家、国外来賓、さらには招待状を手にした一般市民など約1300人のゲストが参加します。そして230人ものウェイター・ウェイトレスが、総合指揮官のもと3時間半の接客を担当する”そうです。(引用元)。ガイドの方がおっしゃっていましたが、その人数のためゲスト一人が使えるテーブルの空間は50cmもないそうです。(もう少し詳細にその様子を見たい人はこちらへ。)上に載せた食器の写真の背後に見える晩餐会の様子を見ても、確かに人が多くてギチギチなのがわかります。

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 「青の間」の名前の由来は、床のタイルの色とも言われていますが、実はこの広場の外壁はもともと青く染められる予定だったというところが、本当の名前の由来だそうです。いまはレンガ造りのそのまま色をしていますが、建設途中にこの色のほうがいいということになり、青く塗られることはなかったそうなのですが、その時点ですでに「青の間」という名前で新聞などで各方面に知られてしまっていたため、青い外壁がないままでも「青の間」と言う名前が残ったそうです。

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この青の間には2階へ向かう大きな階段があるのですが、この階段を降りる際、ドレスを着た女性にとって嬉しい「ある仕掛け」があります。それは「向かいの壁にある星のマークを見ながら階段を降りると優雅に見える」というものです。星のマークはこの写真では向かいの壁のちょうど右から二番目と三番目の窓枠の間に刻まれています。

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拡大するとこんな感じ。レンガの色に紛れてよーく見ないと見えません。実際に、ツアーの一番最後に星マークを見ながら階段を降りることができます。自分でやったときは足元が見えないのでちょっと怖かったですが、上の写真のように、ガイドの人がデモンストレーションでやってくれた際には、とても優雅に見えていました。

市議会場

白く長い廊下を抜けていき、次に案内されたのは、ストックホルム市議会の議会場でした。

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ストックホルム市庁舎という名の通り、いまでも市庁舎としての機能があります。まさか議会場があるとは思ってませんでした。しかも議員は兼業であることが多いそうで、それには驚きました。この議会場にはスウェーデンのアートがちりばめられているというとでいろいろ説明を受けました。

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特に、議会場の天井が面白かった。議会場の天井はバイキング船の中にいるような造りの天井になっています。ちなみに、バイキング船の天井は真ん中が空洞になっています。その真ん中の空洞から空が見えるように、天井の真ん中にも星も一緒に青い空が描かれています。スウェーデンならではという発想ですが、「この議会場はストックホルム市内の空とつながっているので、嘘をついたらばれますよ!議会場での議論では内緒ごとはなしでオープンにしましょう!」という思いも込められているようです。素晴らしい!

フレスコの間(正式名称分かりません)

金の間に行くまでの間に、大きなフレスコ画があるホール?廊下?があります。

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階段を上ってきているのでこのホールは2階に位置しているのですが、廊下の左側は水辺が見えるようになっており、対岸の街並みがとてもきれいに見えます。対して、右側にフレスコ画が書かれています。

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フレスコ画の絵には、ガラスを通して見える、先ほどの廊下の左側の景色が描かれています。これはなぜかというと、この廊下?ホール?でもパーティーが開かれ、真ん中に長いテーブル席が置かれることがあるそうなのですが、その際に、どちらの席からでも窓からの景色を楽しめるように、という配慮でこのフレスコ画が描かれたそうです。なんとも粋なこと!

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このフレスコの間にはシャンデリアがあるのですが、鏡を利用したハーフシャンデリアが左側に並んでいます。これも面白い!鏡を用いることで、狭そうに見える空間も少し広く感じます。

黄金の間(ゴールデンホール)

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そして最後に通されるのがこの黄金の間。思わず息をのんで、見入ってしましました。こんな空間いままで見たことない!豪華絢爛とはこのことですね。この黄金の間で、ノーベル賞授賞式の舞踏会が行われます。映画の世界かよ!

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金の部分へ接近するとこんな感じ。一枚一枚タイルがあります。これで全体の絵が描かれています。

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ホールの左側はこれまでの時代の歴史や発明、発見などが描かれており、ホールの右側には神々や昔の王様やら女王様やらちょっとよくわからない人たちが描かれていました。(まるで教会っぽい感じ)とにかく、この空間に描かれているものはたくさんのモチーフ(エジプトのファラオ的な印も描かれていたり)が混ざっており、ちょっと不思議な感じがしました。これを設計したのはその当時(たしか)若干20歳の有能なドイツ人のアーティストだったらしく、長い年月をかけてこの金の間を仕上げたそうです。(正確な年数は忘れました…たしか8年とかだった気がします…)

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ホールの後ろはこんな感じ。上の方の絵が切れてしまっているのが分かりますか?

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 拡大したのがこれ。実は、上の写真でわかるように、絵の下に台座があること(女性が座っていますよね?)を計算に入れておらず、後ろの絵が全体的に台座の高さ分ずれてしまったようです。馬に乗ったのは王様。首が切れているのはマズい…となったわけですが、その時点でもう変更不可。そして行きついたのは、「実はこの王様は首を切られて亡くなったという経緯があり、それを表現した」という奇跡的な辻褄合わせでした。本当にこの王様がなくなった際に首が切られたのかどうかわかりませんが、そういうことで設計ミスがなかったことにしたそうです。これまた面白い話です。(もう少し詳しい説明があったのですが、すでに1か月経ってしまっていてすでに記憶があいまいです。気になる方はガイドツアーで聞いてみてください。)

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正面の絵がこんな感じ。この真ん中の人物は市庁舎が面しているメーラレンコ湖の女王だそうです。膝元には市庁舎が描かれています。その左右に描かれているのは西洋、東洋の国々らしく、

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左の、西洋側には当時(1900年ごろ)できて間もない自由の女神像とともにアメリカ国旗が描かれています。自由の女神像の右側はタイタニック号ですかね?エッフェル塔も見られます。対して、右側の東洋側には像やモスク、トルコの国旗が描かれています。日本的な要素はないので、この当時、まだまだ日本は極東の国としてもまだ広く認知されていないようでした。(当然ですよね、日本がようやく鎖国を終え、近代化し始めた時ですから)

ツアーのガイドの話を聞きながら、この黄金の間の細部を鑑賞するにはとても時間が短かったように感じました。また行く機会があれば、また面白い発見があるかもしれません。

不運?幸運?17世紀最大の軍艦(ヴァーサ博物館

実は前日にも足を運んでいたヴァーサ博物館。閉環間際に行ったもののやっぱり入れませんでしたというオチで、市庁舎と並んで悔しい思いをしていたのですが、こちらも行くことができました。入館料は100kr(約1300円)とちょっと高い値段。クレジットカードで払いました。館内を回った時間はフライトの関係もあったので1時間ちょっとだったのですが、正直なところ2時間ぐらいじっくり見たかったです。

さて、この博物館、一体何がメインかというと、17世紀の処女航海で不運にも沈んでしまったスウェーデンの軍艦「Vasa号」です。沈んでしまったものの、333年の時を経て海底から引き揚げられたため、当時の軍艦をそのままの形で見られるという世界遺産レベル級の素晴らしい博物館なのです。大航海時代といわれるのは15世紀から17世紀前半にかけての期間なので、このVasa号が作られた時期と少し時期がかぶっています。パイレーツオブカリビアンなどの大航海時代の海賊系の映画が好きな人には、当時の船の雰囲気がここで存分に楽しめます。ちなみに、その当時の船がそのままの形が保たれた状態で展示されているというのは世界でここが唯一だそうです。

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チケットを買って、館内に入るとすぐに目に入るのがこの光景。大きすぎて全貌が分かりません。朽ちることなく残った17世紀最大の木造船のこの重厚感のある色合いに圧倒されました。

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館内はこのヴァーサ号がある吹き抜けのエリアの隣に5階か6階まで展示スペースが広がっています。1階のエリアは、少し進むとミニチュアのヴァーサ号も発見しました。当時の色合いを再現してあったので、いかに美しかったか目にすることができます。

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同じ階には、いかにしてヴァーサ号が沈み、いかにして発見され、いかにして引き上げられたのかが展示されていました。

1625年、ヴァーサ号が発注された年にスウェーデン海軍は時化によって10隻もの戦艦を座礁させ失っていました。「一国の富は、神の次には国の海軍にかかっている」と国王も言っていることから、スウェーデンにとって海軍はとても重要なものであると考えられており、この10隻の難破は海軍にとってとても痛いものになっていました。その後、ポーランド軍との海戦での略奪や別の時期の時化による座礁などで1620年代に合計15隻の戦艦を失うことになります。ヴァーサ号はそのうちの1隻ですが、これは端的に言うと設計ミスによる沈没でした。ヴァーサ号はさまざまな装飾を施された最高の戦艦で、敵国からもその建造が注目されており、ストックホルム市民からは建造時から称賛の的となっていました。が、結果的に、上に重心が行き過ぎてしまっていたという設計ミスで不安定な戦艦になってしまい、処女航海時に沈没するという結末になってしまいました。沈没の原因となったのは、ヴァーサ号はこれまで作られた船の中でもより大型で、頑丈で、大砲の数も多い船だったため、これまでの造船では通用した経験や寸法が通用しなかったからだったと結論づけられています。

ヴァーサ号は沈没した直後に、処女航海を監督していたフレミング提督のもとで引き上げの作業が行われようとしていたのですが、うまくいかず、高価な大砲のみを引き上げることも試みられるのですが、結局、1660年代まで進展はありませんでした。その間、いろんな冒険家や宝探し屋がヴァーサ号の貴重品を取ろうと何度も試みられていますが全て失敗に終わっています。

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1660年代になって、ヴァルムランド地方(スコットランドから車で5時間北西にいった地方)の人とドイツ人たちの試みによって、釣鐘型の潜水器を使って大砲の引き揚げ作業をすることになったそうです。空気が釣鐘の上部にたまるので潜水夫が釣鐘の中に入り、そこで息をしながら鉤や特殊な工具を使って作業を進めるという方法が取られました。これで海底30mまで行き作業をしたらしいのですが、実際に展示されていた釣鐘に入るととても窮屈で、しかも足元しかない視界はほとんどないといってもよく、こんな足元だけの狭い視界の中でよく海底で作業ができたなあと感銘を受けました。しかも、作業をしていた時期は10月末、水温はとても低いことが容易に想像できますが、潜水夫は革製の服を着て、皮のブーツを履いて潜水していたそうです。1664年から1665年の間に64門の大砲を引き上げることに成功しました。その後もう1門の大砲が1683年に引き上げられ、17世紀の引き揚げ作業は終了しました。船体全体を引き上げるのは価値がなく、相当の労力をかけなくてはならない上にそのような技術が確立されていないこともあり、断念されたようです。

20世紀に入り、16世紀及び17世紀の海戦史研究をしていて、特に沈んだ軍艦を中心に研究をしていたアンダシ・フランセーン氏が1956年に再びヴァーサ号を発見しました。17世紀の引き揚げ作業終了以降、再びどこにヴァーサ号が沈んでいるのか分からなくなっていたそうなのですが、実際に四爪錨とおもりを何度も海底に下すことで見つけることに成功したそうです。その年数、約5年。

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これがフランセーンの研究資料と実際に使われた錨(いかり)とおもり、そして発見の瞬間の再現です。バルト海の海水の塩分含有率が低いことにより、バルト海には船食虫が存在しないため、沈没した木造船が浸蝕されずに海底にそのまま残る、という条件を知っていた上で、ひたすら錨をおろしたフランセーンの熱量に感無量です。

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20世紀のヴァーサ号引き揚げで次にキーパーソンとなったのがペール・エドウィン・フェルティングという潜水夫でした。上の写真が当時使われていた潜水器具一式です。いまと比べるととても重そうな印象を受けます。フランセーンの発見後、フェルティングが実際に潜って、ヴァーサ号がその場所にあることを確認しました。もともとフェルティングは経験豊富な潜水夫であったので、その後、ヴァーサ号の引き揚げ作業の潜水関係の責任者になります。翌年の1957年には、スウェーデンの企業ネプチューン社と海軍が引き揚げに協力することが決定。「ヴァーサ号を救おう」という全国的なキャンペーンが行われて、寄付金や必要な物資が基金、個人、企業からあるまり、海軍からは船や人員が無料で提供されたそうです。ヴァーサ号の建設時にも国を挙げてのことであったので、このように時を経て再び国を挙げての動きに発展したのはとても面白いですね。

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1957年秋に始まった引き揚げ作業は、まず船体に傷がつかないように船底の地面に6つのトンネルを作り、そこにそれぞれワイヤーを通し、6本のワイヤーで船体を引き揚げていくという手順でした。その作業をするのはもちろん潜水夫たち。とても危険で労力のいる作業だったことが想像できます。重い潜水スーツに身を包み、海底30mという光がちょっと届きにくくなるぐらいの海の底で、いつ崩壊してもおかしくない1000トンのヴァーサ号を上にしながら、トンネルを掘り、ワイヤーを通していくという作業に毎日命をすり減らしていたことでしょう。トンネルの掘削作業は2年間続き、1959年8月末に第一引揚日が来ました。ここから16段階の引き揚げ作業が行われましたが、浅瀬に辿り着いてから最終引揚をする前にさまざまな準備が必要でした。それは船体が崩壊しないように船体の穴が開いたところを塞ぐこと、一部の壊れた船尾や砲門を修理することでした。これが出来なくては、船体の水を抜ききることが出来ず引き上げることが困難です。これにさらに2年間の時間が費やされました。

そして1961年、20世紀に再び発見されて約5年の歳月、沈没してから333年の歳月を経て、ヴァーサ号は再び太陽の光を浴びることになりました。フランセーンとフェルディング、この2人と引き揚げ作業を支えたスウェーデンの企業や海軍そしてスウェーデンの人たち、そして17世紀に引き揚げ作業をしていた人たち、それらの努力の結晶がこの館内に形作られていると思った時、思わず鳥肌が立ちました。

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ちょっとぼけてしまっていますが、船尾の下のほうから見たヴァーサ号。とても大きく、そして彫刻の数々が、色あせてしまっていてもはっきりと形を残しているので圧倒されます。

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実際の色合いも、プロジェクターで後ろの壁に移されていました。嬉しいことに、どの彫刻がどんな意味をしているのかといったことが船体の周辺にたくさん紹介されています。

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ほかの階の展示では、船内に残っていた船乗りたちの食器や服、装飾品といった生活品であったり、砲弾、剣、銃といった戦闘時に用いる武器、船内の断面図、船体の彫刻品に使われた塗料、引き上げ後にどのように保存作業を行っていったかなどが展示されていました。砲台があった空間も再現されていましたが、思っていた以上に狭い空間でした。

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でもメインは船体に施されている彫刻の説明です。言ってしまえば、この船一つが一つの美術館のようなもので、すべての説明を見ていると、地下1階から5階、ととてつもない量の彫刻を見ないといけませんでした。さすがにそんなに時間もなかったので飛ばし飛ばしで見ていきました。

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嬉しいことに日本語表記もあったりしたので、英語表記と合わせて彫刻の解説や説明文を読んでいきました。船の基本的な説明から、彫刻の細かな意味まで書かれてあります。船の彫刻には、神話に出てくるような海の神々や伝説の生き物系、スウェーデンに関係する国王や紋章、これまでの海戦に関係があるものなどなど多岐に渡っていました。なかでも面白かったのが「ポーランド人」という彫刻品。これは船の前方付近にあったのですが、ポーランドとの戦いの最中に建造された船であったので、「戦いにおびえる姿をしているポーランド人」を船の彫刻にわざわざ取り入れるというところに面白さがあって笑えました。

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ヴァーサ号はそのままの形で海底にあったと言っても、やはりところどころに欠けている部分はあります。そういったところは補われていていますが、上の写真のように木の材質が異なっていてはっきりと見分けがつきます。(横にずらっと並んだ砲門の獅子のいかつさにはもちろん惹かれました)

不運にも処女航海で沈んでしまったヴァーサ号。それから389年経ったいま、こうして当時の戦艦が目の前で見られるのは、逆にとても幸運なことだなあと思いました。皆さんもぜひ行ってみてください。

※WIREDではヴァーサ博物館のことが記事になっているので、こちらも見てみてください。

「はい、一旦ドイツでぇ~す」(ミュンヘン新市庁舎)

ヴァーサ博物館をあとにしたあと、あらかじめ予定していた市内出発の時間を少し過ぎていたので、バタバタでアーランダ空港へ向かいました。電車で空港付近の駅まで行き、そこからバスに乗り換えてどうにか時間内に空港に着くことができました。しかし、飛行機の搭乗は30分ほど遅れている始末。ストックホルムからベルリンへ行き、ベルリンからトランジットでミュンヘンに行く計画だったので、トランジットの時間が間に合うかが問題でしたが、結局何も問題なく乗り込むことができました。

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昼過ぎにストックホルムを飛び立ち、気付けばもう夕方でとてもきれいな景色を見ることができました。

そして、19時にはミュンヘン中央駅へ。実はミュンヘンへは3年前に来たことがあります。当時学部2年生で、ドイツで3週間環境スタディーツアーに参加しながらいろいろ頑張っていたのですが、ミュンヘンで最終日にオクトーバーフェストに1人で参戦し、3L飲んでゲロゲロになりながらホテルまでなんとか辿り着き、翌朝のフライトで日本に帰ったというとっても濃い~思い出があります。ミュンヘン自体には、ベネチア行の夜行バスを乗るためだけに寄ったのですが、23時半出発だったので時間つぶしに、夜ご飯を済ませた後、3年前ぶらぶらしていたマリエン広場(新市庁舎)方面へ行くことにしました。

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ストックホルムよりも寒い謎の寒波でミュンヘン市内はとても寒く、さらに全体的に霧がかっていたのですが、それもとても綺麗で思わず新市庁舎をパシャリ。この日は12月30日、年の瀬であったので、少し早目の新年を祝って、通りがかりの人たちを沸かしているパフォーマーがいました。

それでも全然時間を潰しきれないのでまた駅に戻って暖を取りながら、ネットを使いまくります。この時は「逃げ恥」を見漁っていたのでずっと見ていました。めちゃくちゃキュンキュン状態で寒い冬に一人。とても人恋しかったです(笑)

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23時ぐらいからコーヒー片手に、中央駅から歩いて15分ぐらいのZOBというバスステーションに向かって歩き出しました。ベネチア行きはいつもお世話になっているFlixbusで行くことになっていたので、専用の待合室でバスが来るのを待ちます。

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バスが来て、「よし、あとは寝るだけ。朝起きたらもうベネチア…あーこれから念願のベネチアに行くのか」と思うとなかなか眠りにつけませんでした。ただ、一瞬でも3年ぶりにミュンヘンにやってきたこと、そしてまさかいまこんな旅行に出ているということ、そのどちらも改めて「信じられない出来事だなあ」とか、この3年間どんな成長をしてきただろうかとか、いろいろ振り返ったりしていると次第に意識が薄れていきました。「このまま眠りについてしまおう。」

 

朝。起きるとそこはベネチアでした。(イタリア編へ続く)

 

KENGO