KENGO's memo

ドイツ、カールスルーエ研究留学・インターン体験記、日々の思考の備忘録、フィリピン留学回顧録など

Augustは休暇と帰国の月

帰国の準備が本格化し、8月はずっと「いよいよ帰国が近づいてきた。成果を残さないと」というムードになっていました。それとは裏腹にインターン先のほうでは8月に入りどんどん休暇に入っていく人が続出、仕事が全く進まない状況に。それはそれで自分も会社の休みの期間の1週間、そしてインターンの期間の終了後日本へ帰国するまでの間の2週間の休暇をキューバとメキシコで楽しんでいます。

インターンシップ

8月に入ってすぐにインターン中の上司2人とも長期休暇に入りました。しかもどちらも8月ほぼ丸1ヶ月間の休暇で僕がインターンを終える時期にいないなんて、最後まで面倒を見る気が無い所は、なんともドイツっぽいなと思いました。(外資企業は休みも面倒見もだいたいこんな感じなのかな。)

実際、インターンシップの最初の2~3週間に全体の概要が掴めるように適当な部署へ回してくれたこと以外は会社から面倒を見てもらったという認識は全くありませんでした。その期間以外は全て自主的に会社に必要だと思うことを考え、提案し、自分の仕事として確立させて行くような3ヶ月間だったので、自分の働き次第で良くも悪くも作用しました。それゆえに即戦力としてきちんとした成果を求められていることへのプレッシャーも感じながら、最大限会社に貢献できたような気がします。全体的に人がいないのもあってか送別会的なのももちろんないので、自分の中で区切りをつけるためにも、インターンの期間が終わった時点で自主的に自身のインターンの最終レポートを作成し、提出しました。

僕の上司以外にも長期休暇に入る人はたくさんいました。中には9月に長期休暇を取る人とに分かれていて上手く分散して会社の機能を保つような雰囲気がありましたが、8月の真ん中は会社全体が1週間休みということもあり、結果としてその前後の週では、お世辞にも会社の機能が保たれているとは言えないような印象を受けました。(特に僕の業務に関連して言うと、主戦力のスタッフが長期休暇に入り、様々な課題について議論することができませんでした。)

インターンの最後の日も会社に出社している人がいつもの3分の1などで、お世話になった人にちゃんと別れの挨拶することも出来ぬままドイツ出国の日を迎えました。なによりお世話になった2人の上司との写真を撮ることを忘れてしまっていたのは痛かったです。(インターンがまだ終わらないうちに休暇に入られたので8月冒頭にはそのことが全く頭の中になかったのです…)

そんな8月のたるい雰囲気を感じつつ、抱えている顧客の方々に的確なソリューションを提供することもできずに悶々とするしかないという結構最悪なタイミングでインターンシップが終わったわけですが、4ヶ月間、年の3分の1も即戦力としてなにも指示されずに主体性をもって働くという経験を通じて得られたものはたくさんありました。特に8月はトビタテ生や大学の後輩などで計3人の日本人学生が本社に見学しに来たのですが、1人で社内案内から技術的な説明を一通りできていること、技術的な課題、組織的な課題が何かも詳細に分かるようになっていたことに自分自身の成長を感じました。

そもそもインターンシップをする目的に、私の研究領域である「ガス精製技術に関する研究」から抜け出たビジネスの面やその他の全体の技術について理解することを考えていたのですが、(詳細な金銭感覚はまだ持ててないですが)それらは達成できました。今後も研究の中で、一点を見つめることを突き詰める必要がありますが、同時に俯瞰して全体を観るときに必要になってくる考え方ややるべきことはよりクリアになったと思います。まだまだ身につけないといけない知識や感覚(特に事業性を評価できるような数値感覚)がありますが、それも帰国後に養っていきたいと改めて思いました。

生活・プライベート

8月初旬には、パリでインターン中の高校の同期とミュンヘンで会っていました。高校の時はクラスも違うし部活も違うので何がきっかけで仲良くなったのかよくわからない関係なのですが、高校卒業後も定期的に会う仲で、同じ時期に欧州で留学兼インターンをしているというのはとても面白いです。お互いにいまのインターンのことや将来のことなどでいろいろ語り合えました。こういう仲間をどんどん増やしたいと思うのと同時に、高校の同期はほとんどが社会人になっているので、それぞれいまの近況がどんな感じなのか気になってきました。僕に関しては一浪して、大学院に進学して、今回の1年のドイツ修行で卒業が伸びるので、自分が社会人になる頃には高校の同期でストレートで入学し学部卒で社会人になった人と比べると4年も差があります。まあ自分の人生なので他と比べて遅れているということは気にならないのですが、すでに2年も差があればさぞかし皆それぞれ面白い経験をしているのだろうと思っています。関東進出組と集まりたいなと思うところです。

8月の真ん中の週で会社全体が1週間休みのタイミングがあったので、欧州最後の旅行に出かけることが出来ました。行先はこんな機会がないと行くことができなかったブリュッセルロッテルダムアムステルダムでした。両替していたユーロの金額も限られているのと時間だけは有り余っていたので、バス旅にして安く抑えました。

・欧州での平和学習

ブリュッセル行きはミュンヘン夜発のバスを選んだので、バスの出発の日のお昼にミュンヘン近郊のダッハウ(Dachau)強制収容所を訪れました。そこに到着するのが少し遅くなり、施設を見学する時間が2時間ぐらいしかなかったので、閉館の時間まで粘っていました。ちなみに入場料は無料になっています。

第二次大戦中、ダッハウ強制収容所が機能していた時に収容所内でチフス感染が拡大したことによって処刑されること以外にもたくさんの死者が出たそうです。その多数の遺体を焼却するための設備が拡張されたらしいのですがそれはいまでも残っていて見学することができます。残念ながら今回はその焼却設備を見るまでの時間が残っていなかったので見学出来ませんでしたが、友人によると未だに遺体が焼却された後かなにかの匂いが感じられるそうです。第二次大戦中の負の遺産として残り、いまでは「戦争の悲惨さ」や「平和とは?」を考えさせられる施設としてはかなり強烈なものです。その焼却施設に行かずとも、敷地内の建物の中に展示されている拷問器具や写真や映像の数々を見るだけでも酷い光景があるので、二度とこんなことが起こっては、いや、起こしてはいけないのだということを強く感じました。

この旅行ではアムステルダムにも足を運んでいるのですが、そこでは昔のアムステルダムユダヤ人居住地区だったところにあるシナゴーク(ユダヤ教の教会)とユダヤ歴史資料館、そしてアンネフランクの家を訪れました。ダッハウ強制収容所で学んだことと見た光景と相まって、アムステルダムではユダヤ人の迫害の歴史、どのようにアムステルダムに移り住むことになったのか、そして第一次世界大戦から第二次世界大戦の間にどのようにナチスが台頭し、オランダへ侵攻してきたナチスドイツ軍からフランク家が如何に逃れようとしたか、そしてユダヤ人の大量虐殺という最悪の結果に如何に繋がったのかというのを深く学ぶことになりました。

特にアンネフランクの家(隠れ家)は、結構しんどい思いもしながらもアンネフランクの日記を高校の課題図書として読み切った経験があったので、隠れ家の雰囲気や隠れ家生活がどういうものだったのかなどはそれを通じて知っていました。しかし、アムステルダムで実際にその隠れ家を見ると、8人が過ごすにはとても狭い空間で、ここで息を潜めて2年間も隠れて生活せざるを得なかったのだと思うととても胸が苦しくなりました。外に出るという自由が効かず、泣くことも笑うことでさえ声を出すことができない閉鎖空間で精神がおかしくなりそうになるのも容易に想像できました。アンネが日記を書いている時だけ平静でいられるというのも、高校生の時はよくわからなかった感覚でしたがいまとなっては納得できます。

こういう平和学習をしようということはあまり意図してなかったのですが、少なくともこうしてドイツ滞在中にもう一度戦争とはどういうものかというのをそれぞれの現場を見て考える時間ができたのは良かったと思います。

ブリュッセル

話を戻して、まずはブリュッセル編。ミュンヘンからは長距離バスでちょうど12時間でした。朝ブリュッセルに着くと気温は15℃程度と低く、出発直前にヒートテックとジーンズを履いてきた自分のファインプレーに感謝してました。ブリュッセルではひたすら歩いて観光していましたが世界遺産のグランプラスを中心に観光地と言われるところは全て回りました。世界三大がっかりに数えられる小便小僧もしっかり見てきました。あんな一角にあるとは…という感じでした笑… 実は他にも小便少女と小便犬もあるのですが全てコンプリート。グルメ的なところを言うと、フライドポテトはブリュッセル発祥と言われているらしくFritzと書かれた出店があちこちにありました。あとでわかったのはちょうどBrüssel Summer Festivalという音楽祭的なのが街中で行われている期間で、広場では特設ステージがいくつか組まれるなどしていました。Fritzを注文すると外はカリカリ、中はフワフワな太めのタイプのフライドポテトが出され、それに好きなソースを選べます。ソースの中にはSamuraiソースとかいう謎のソースがどの店でもありましたが、七味系の辛さがある激辛ソースです。辛いのは無理というと、タルタルソースを選んでくれました。

ソースをフライドポテトに直接かけるタイプの店もありますが、ほかには写真のようにフライドポテトを入れる容器にソース用のポケットが付いているようなタイプもあります。これぞデザインの力という感じですね。この4€のフリッツがボリューミーで昼ごはんはこれで済ませました。

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あとベルギーと言えばワッフルということでワッフルも有名店で食べたのですが、クソ甘ったるい+ワッフル自体もそんなに美味しくないのに4.9€もかかるというのには、正直腹が立ちました。

ロッテルダム

ロッテルダムは、第二次世界大戦のときにほとんどの建物が焼失した関係で、いまでは街中にこれでもかというほどの近代建築で溢れています。建築を勉強されている人は行ってみると楽しいところだと思います。有名なキューブハウスにも行き、3€払って内部を見学しました。住みにくそうな雰囲気の外観ですが中は思っていたよりは広くて、快適に過ごせそうという印象を受けました。

また、ロッテルダムには世界遺産の「キンデルダイク-エルトハウスの風車群」があります。1740年頃に建設された風車とその水管理システムについて学びました。オランダでどのように干拓地を作り、海抜0m以下での土地でも居住できるようにしたのか、涙ぐましい努力の結晶を目の前で見ることが出来ました。キンデルダイク以外の場所でも、ロッテルダムからアムステルダムに向かうバスからも水面より低い土地がたくさんありました。そうした光景を見る度に昔のオランダの人たちの偉大さを感じていました。

アムステルダム

アムステルダムでは博物館美術館尽くしの2日間でした。上記で述べたようにユダヤ歴史資料館とシナゴークでユダヤ教の行事などを学んだり、アンネフランクの家に行き過酷な隠れ家生活の様子を見ましたが、それ以外は映画博物館、ゴッホ博物館、セックス博物館、飾り窓 (red light district)へ行きました。

映画博物館はちょうどマーティンスコテッシ監督の特別展をやっていたので、シャッターアイランドディパーテッド、そしてウルフオブウォールストリートとマーティンスコテッシ監督とディカプリオとのタッグの作品に虜になっていた身としてはなんとしても行かなくてはという気持ちで行きました。家族の話から映画のロケ地、編集、カメラ、音楽、主人公の性質など様々な切り口でスコテッシ作品を紹介していてとても興味深かったです。ロバートデニーロとタッグを組んでいた過去の作品も観てみようという気になりました。

ゴッホ美術館では、ゴッホが色使いやディテールのドローイング、構成など様々な観点で実験的に表現方法を模索していたというのがしっかりと感じられました。そこで初めて知ったのが、ゴッホはたった10年しか画家として活動してないということでした。そんな短かったのかと驚きを隠せずにはいられません。日本の作品からも大変影響を受けていたというのは有名な話ですが、いくつか日本の版画の模写の作品を観ることが出来ました。が、日本語の文字(漢字)はぐちゃぐちゃで、雰囲気しか真似していないところについ笑ってしまいました。ほかの作品ではあの有名な「ひまわり」の作品も見ることができました。ミュンヘンのノイエピナコテークの「ひまわり」とゴッホ美術館の「ひまわり」と「ひまわり」をモチーフにした作品を2つも観ることができたというのは感慨があります。(ゴッホの「ひまわり」の作品は7作品制作され、6作品が現存しているそうです)ゴッホ博物館で展示されていた「ひまわり」についてオーディオガイドで知らされたことなのですが、よく観ると描かれているのは枯れているひまわりなのに、それを枯れていると感じさせないように全体として明るく、美しさが保たれているということにただただ不思議な感覚を覚えていました。

セックス博物館、飾り窓はアムステルダムを代表するような観光スポットで、アムステルダムに来たからには行きたい場所でした。博物館のほうには主に19世紀からのセックスや男根、女性器、ポルノにまつわるものやさまざまな性癖、驚きの光景を収めたものがずらりと並んでいます。プラハで知ることになった画家のミュシャなのですが、裸体の女性や女性器男性器をモチーフにミュシャの作品エリアもありました。中に来ている人も男性女性半々ぐらい(少し女性が多かったような気がします)でそれぞれ熱心に展示物を見ていました。他にも性にまつわるものとして売春博物館といって、飾り窓のエリアに位置している博物館があるのですが、飾り窓の売春婦の生活やプレイルームの展示などに焦点を当てているそうです。こっちにはお金がなくて行きませんでした。有名な売春街の飾り窓は大麻のにおいと酒をあおっている男女が夜中でもたくさんいるので、簡単に観光したいなら昼から夕方のほうがいいかもしれません。僕は夜中に行ってみましたが、なかなかの活気であふれていました。売春婦に相場を聞くと20分で50€だったので日本と比べたら安いのかもしれませんが、フランクフルトの売春街のほうがいいのでは?と思う値段設定とレベルでした。(ちなみに大麻も売春婦とのセックスもやっていません。)

約1週間の旅行でしたが最後の最後までプライベートも充実して良かったと思います。

・最後の週

休み明けの8月の最終週は帰国の準備をしていました。食材の整理や不要なものを廃棄したり、荷物を送ったりしていました。ドイツに来た時よりも荷物をかなり減らしたつもりなのに、なぜか逆に重くなっていました(笑) 荷物の重量以上に自分の中で培ったものとこれからまだ育ちそうなものが出来たことがこの1年が自分にとって重みのあるものです。

この1年を振り返ると、海外で生活する上での基本的な知識や欧米人の考え方やライフスタイルへの理解力はこの1年で随分付きました。(もちろんどの場所に行っても生活の中でケースバイケースで調べないといけないことはあると思いますが) 特に、これは海外に出ると毎回思うことですが、海外の人が日本の何に興味を持っていて、どんなイメージを持っているのかなどはより一層理解が深まったように思います。日本人としての純度を高めるというか、日本人のアイデンティティをより深めて行けるように日本の歴史や文化、精神性、そして日本に関する時事ネタなどについて引き続き学んで(/追って)いきたいと思っています。

ドイツでの1年のトビタテバイオマス修行を機に始めたこのブログですが、時に自分の生活のペースを保つために、時に週末の日課として、ドイツでの経験や旅行記をいろいろ綴りました。途中書くのが面倒な時もありましたが、最低でも1ヶ月おきに記録を残していたのは毎月経験の棚卸しができていて、いま振り返ってみてもよかったなと思います。今後も自分の成長や葛藤の記録のために1ヶ月おきに振り返りは書こうかなと思っているところです。

最後に

日本出国前の計画なら今頃は日本に帰国している計画だったのですが、6月に宣言していた通り、せっかくならと帰国ルートを使って2週間、キューバハバナとメキシコのカンクンに行っています。欧州の夏は大したことなく、(8月なのに最高気温が15℃になる日も30℃の日もありましたが平均的に26℃ぐらいでした)カリブ海の夏は半端なく暑いです。毎年日本の夏もこんな感じだったのかと思うと信じられないです。キューバでの旅行を終え、バカンス5日目ですが、もう全身が完全に焼けています。

ただ、不運なことにキューバではカメラをホステルに忘れ、今日はカンクンチェチェンイッツァツアーのバスに買ったばかりのサンダルを忘れてきてしまいました。そんな自分が情けなくてしょうがないです。

バカンスとは言いつつ、飛行機やバスの移動時間や待機時間でオフラインの時間が長い分、ドイツでの1年をいろんな切り口で文章でまとめたり、トビタテの事後研修の準備などをしています。振り返る度に「経験の言語化」をしていくのですが、それによって違った解釈ができたりとなかなか文章として論理的にまとまらないところではあるのですが、時間がたっぷりあり、そしてここに流れている時間もゆったりしている分、最高のアウトプットが出来そうな感じです。

 

 

KENGO

Julyはハレの月

ザルツブルクで参戦したEDMのフェスやLandshuter Hochzeitという4年に1度の祭りなどお祭り行事が続いたなと思うのと、天気予報では曇りや雨予報が多かったのにもかかわらず、観光の日にはほとんど雨に打たれなかったという意味で、7月はハレ(晴れ)の月でした!(ただ、用事がなにもない日は曇りや雨が多く、気温の30℃を超える日が続くと思ったら、最高気温が20℃を下回る寒い日が続いたりと、訳の分からん天気が続いています。また風邪ひきそう…)

生活

食あたり?+メンタル的なやつ+急激な気温の変化について行けず6月末から体調を崩し、熱はさめたものの、胃腸が4日間うまいこと機能していませんでした。いままでの人生の中で体調が悪化してここまで長引いたのは初めてかもしれない…

そんなことを嘆いてる間に、日本から友達と留学終わりの大学の同期が同時期にミュンヘンに遊びに来ました。ビザの申請とかもかねて会社を数日休ませてもらい、ベタなミュンヘン観光へ行きました。ノイエ・ピナコテークという19世紀以降の作品が展示されている美術館へははじめていきましたが、あの有名なゴッホのひまわりがここに飾ってあったのは知らなかったです。

ちょうど2人が来ていた週に、ようやくビザの申請が完了しました。12月にビザなし滞在期限がギリギリ切れるかどうかのところで仮ビザを発行してもらって以降、正式にビザの申請が終わるまで計7か月かかりました。本当は電子カード的なのをもらうのですが、もうあと1か月少しで帰国するという事情もあったので、そのカードの発行は見送られました。安っぽい紙切れの仮ビザのままで、とりあえずは滞在許可、そしてインターンシップの労働許可?が下りました。

その週末には、念願だった欧州でのEDMフェス参戦をオーストリアザルツブルクで果たしました。Electric Love Festivalというフェスで今年は5周年。会場はレーシングサーキットど真ん中で、この機会に初めてサーキット上を歩くことになりました。会場の規模は小さめでしたが、日ごろからテンションアゲさせてもらってる目当てのアーティストに会えたのでバチバチに盛り上がりました。日本では禁止されるような肩車やらモッシュやらがあちこちであって変な抑圧感がなくフリーダムに楽しめたのが印象的でした。(昔、ULTRA JAPANのスタッフを3日間やったことがあるのですが、さほど害はない行為でさえ細かく注意しなくてはならなかったので肉体的にも精神的にもやっていてしんどかったのを思い出しました。なんでスマホでの撮影はOKでGo Proは禁止やねん!とかね)

次の日はザルツブルク観光。ザルツブルク城(Fortress Hohensalzburg)からの景色が最高でしたが、さらに、値段もそこまで高くないランチもそこでできたので至福の時間でした。Schloss Hellbrunnという仕掛け噴水の場所もとても楽しめました。これぞエンターテイメントという予測不能な楽しさがたくさんあったので、ザルツブルクに行く機会がある人は何も調べることなくとりあえずそこに行ってください(笑)ミュンヘンからはバイエルンチケットという1日乗り放題券25€(2人目からは追加で6€なので人数が多いほうが安い)でザルツブルクまで行けるのでおすすめです。 

ザルツブルク1泊2日のあとはプラハ1泊2日でした。怒涛の旅程でしたが、レーゲンスブルクからFlixbusで3時間でプラハまで行けるのでそこまでしんどくはなかったです。プラハは街全体が世界遺産というのもうなずけるほどとても良い街で、街には、ジャズ、クラシック、ボサノバなど多種多様かつ質の高い音楽が溢れかえるほどで、まさに音楽の街であることが伺えました。(←後日、音楽の街だということを知りましたが、知らなくても音楽の街だと言われる所以は感じられました。)市民会館というところで弦楽奏者のみのコンサートにも行きました。1時間ほどの演奏だったのですが、有名な曲がメインで途中で感動して思わず泣きそうになるぐらいよかったです。クラシック音楽はこれまであまり聞いてこなかったのですが、やはり聞き覚えのある曲が聞けたときはとても感動しましたし、これからクラシック音楽も聞くようにしようと思うようになりました。

プラハは語り出すときりがないのですが、一つ注意点で言っておきたいのが「両替」のことです。ユーロ現金で支払いできるレストランもありましたが、チェコはユーロが使えず、コルナを使用しているので両替しないといけないのですが、必ず市街地に出てから両替する、もしくは正しい為替レートを知ってから両替するほうがよいです。僕はバスターミナルの最寄駅の中にある両替所で思いっきりぼられました。100€で2600コルナ得られるところ、1600コルナで両替してしまいました。なぜこんなに感覚が鈍っていたのかというと、駅の券売機が関係しています。チェコの地下鉄の券売機は、なぜかわかりませんが硬貨しか入れることができません。他の欧州では当たり前のクレジットカードが使えるような仕様でもなく、駅員もチケットを売っている雰囲気はなかったので、「さあ電車に乗ろう、券売機どこ?」⇒「券売機クレジットカード使えない、現金両替しないと、しかも硬貨が必要とか…(新しい土地でちょっとパニック)」⇒「あ、あそこに両替所あるやん。両替いこ。」⇒結果、ぼったくりに会う。というあまり思考しない人が陥るトラップにまんまと引っかかってしまいました。なので「両替」だけは気を付けてください。

怒涛の7月上旬から中旬でしたが、中旬以降にも友達が遊びに来ました。こんなクソ田舎に来てくれて本当にうれしい限りです。週末には自身3回目のノイシュバンシュタイン城へ。今回は城の中には入らず、周辺をぶらつきつつ、いつもとは違うアングルのノイシュバンシュタイン城を求めて山登りもしました。今回初めて時間にケツがなかったので気ままに巡れたのが良かったです。 

翌日は、Landshutという街の4年に1度の「Landshuter Hochzeit(ランドシュットの結婚式)」という祭りに行きました。Landshutはビザの関係で何度も通っている街なのですが、6月30日から7月23日まであるこの祭りは、4年に1度ということもあって、街全体が気合を入れて中世の雰囲気の装飾をしまくっています。この祭りでは毎週日曜日にパレードと騎士たちの馬上槍試合(Joust)とかがあります。パレードは中世の衣装がそのまま再現されており、貴族たちはなかなか豪華な衣装をまとって旧市街地を2時間練り歩きます。行きと帰りで別のアングルでみたのですが、帰りのパレードは旧市街地で最長の高さのMartin教会のベランダから見ることができました。友達がうちに来る途中でたまたま知り合った人の親が教会の管理者だったらしく、それでパレード中に関わらず教会内部に入れたのですがベランダは僕らしかいない+かなりいい眺めで本当にVIP席でした。騎士の試合はチケットがないと入れず、チケットも去年11月末に販売開始で即完売するという人気なものですが、Landshutの丘の上にある城から少しだけ試合会場で馬が颯爽と走っている様子が見れました。この祭りのためだけに作られた中世のキャンプ場にも3€払って入場できるのですが、パレードに参加している2500名のサポーターが中世の衣装のまま、そのキャンプ場でご飯を食べていたりと、当時の生活の様子をそのままに再現しているようなかなり作りこまれた空間で、すごすぎて終始うなっていました。4年に1度のタイミングでLandshuter Hochzeitに行くことができてとても運が良かったなあと思います。 

インターンシップ

よくよく考えると、自分のやっていることは、日本側の視点では、ドイツからの経験値を受け渡すことだったり、日本での問題に対して迅速に対応し、日本とドイツとの調整を効果的に行うことだったりするのですが、ドイツ側の視点では、全力で力はかけられないにせよ一番気にかけている日本市場の中ですでにある日本の顧客の運転状況を詳細に把握したいというニーズに対して一役を買っているのだなと最近気づきました。日本とのやり取り、顧客サイドでの問題とそれに対しての対処などがどのようなものだったのかを詳細にまとめていたファイルをドイツ側で共有することが、それだけ価値のあるものだったことに気付けたことが2か月の間の進歩です。

というか、自分がまとめた、英語的に正しいのかどうなのか分からない顧客の運転状況や連絡のやりとりに対して、上司がざっとでも目を通して、重要な問題があればそこで逐一対応してもらえるというのが、自分のやったことに対して何か変化を生み出せているという実感を得られているので、褒められないにせよなにか手応えを感じています。

どうしても避けられないものが、担当者が他の業務でギチギチで社内でなかなかつかまらないことによって対応ができない(というか根本的には自分に経験も実績もないため自分自身でメカニズムを理解した範囲では顧客の問題分析まで及ばず問題解決に寄与できない)こと、おまけに特定の分野に詳しい担当者が休暇を取っているためそもそもの対処ができないこと、時差の関係で自動的に7時間のラグが生じること、そして言語のニュアンスの違いなどがあります。顧客とメーカーのパワーバランスがドイツと日本で違うというか、文化的な違いの容認(担当者の休暇で正しい対応ができないことに対しての理解など)がないと、当然日本側では不満が生まれます。違う国同士をまたいで業務をするということは文化と文化の衝突の間で板挟みになることに他ならないなと考えさせられます。どんな問題でもあらかじめインプットされてあって、年中無休いつでも対応できるようなAIみたいな存在があれば、こういうところの課題は解消されそうな気もしますが、それが専門用語の混じる多言語で対応できるまで、なかなか時間がかかりそうな気がします。(以外に2、3年でできてくるのかもしれないけど…)一人の経験値や実績値に偏ったような対応の仕組みであると、そうした人材が長時間かけて育たない限り、改善はしていかないと思っています。(ほかの中小のメーカーも同じような問題抱えてそうですね。)

まだまだ仕事に向き合う姿勢であったり、仕事の進め方、対応のスピードの点で未熟さはあるのですが、目の前の業務以上に本質的なところまで俯瞰して見えてくることから得られた気づきで、少したるみかけていたインターンシップもあと1か月学びが多くなりそうです。スピーキングのレベルが日によって不安定すぎるのもなんとかしたいところです(笑)

最後に

ドイツ生活も残すところあと1か月を切りました。8月は真ん中の週で会社が休みになるので、最後の欧州旅行の仕上げとしてブリュッセルアムステルダムへの長距離バス旅行を計画中です。また日帰りで行けるニュルンベルク、街並みが世界遺産バンベルクへの国内旅行も週末を使ってやっていこうかと思います。インターンシップのほうも、実質3週間を切るのでラストスパートで翻訳作業を進めたいのと、同時に、帰国へ向けた準備もそろそろ本格始動していこうと思っています。

気温の上下が半端ではないので体調を崩さないように気を付けます。

 

KENGO

Juneは調整の月

6月は次の目標の洗い出し、帰国ルートと帰国の日程の決定、遊びに来る友達との予定の調整、日本オフィスのスタッフとの今後の仕事の進め方の打ち合わせ、自分の体調の管理などどれも「調整」が大事になった月でした。

生活

6月は祝日が多く、そのためドイツでは毎年6月は2週間程度の長期休暇を取るシーズンになっています。普通の3連休以外に、木曜祝日なので会社で金曜が休みになるケースがあり、4連休が一回ありました。同僚の人たちも長期で休む人が居たり、そのためか「あれ?この人たち絶対、する仕事ないな」という光景もよく目にしました。

連休のある週末はどこに行こうにもチケットが高いので、その週末を避けてバルセロナ、ロンドンに行っていました。どちらも金曜午後から3日間のみの滞在でしたが、バルセロナでは文化的な違いや料理などでいろんな刺激を受け、とてもいい思い出になりました。ヨーロッパの中でもバイクが多かったりしたせいか、アジア感を感じましたし、どことなくフィリピンの雰囲気を感じることがありました。特にロンドンは、これまで訪れていたヨーロッパの都市が東京と比べるとそこまで大きくもなかった分、ロンドンがあれだけ発展した都市だとは全く思っても見なくて、着いた瞬間から度肝を抜かされました。

その分、連休は家に引きこもり、いまだに終わらないレポートの作成、帰国便のルートを考えたり、7月になると友達が数人別々に遊びに来るのでその調整をしたり、就活を終えた大学の同期と連絡を取ったりしていました。

前々から帰国のついでに、インドネシアバイオマス事業の視察を行うか、メキシコのカンクンでセノーテダイビングをするか、のどちらかを考えていたのですが、バイオマス事業を行っている方の都合がなかなか合わないようなので、後者にすることに決めました。内心は「遂にセノーテ行けるよおおおおおお!!!!」って感じで考えるだけでいまからふつふつとテンションが上がっています。

カンクンに行くついでにハバナに寄るというプランもだいたい固まりました。学生のうちにやりたいなーとなんとなく思っていたことがこんなにギュッと詰め込めていることに自分でも驚きです。インドネシアは帰国後、就活が本格化する前、もしくは就活を終えた後にでも視察に行けたらと考えています。

プライベートを充実させると同時に、自分のミッションを振り返り、どこまで達成できたのかと自己評価するのも欠かしていません。正直なところ、6月は帰国後のプランをどう組み立てて行くか、これにかなり悩まされた時期でもありました。そのせいか、はたまたただの食あたりなのか、6月の最終週は体調を大きく崩していました。(というかまだ万全ではないです…)

修士の学生としてやるべきことはもちろんのこと、就活のことを考えるとなるとこれまでの人生設計を振り返りつつ、どのように今後のビジョンを「アップデート」していくかが肝心になってきていると思います。1年の修行を経て、見えていなかったものが見えてきた分、それを判断材料に、どのように舵をとろうか、岐路に立っているのを実感します。7月にはその部分についてもっと時間を取って考えていきたいなと思います。

ビザのこと

仮ビザの期限が迫っていたのもあり、申請中のビザの申請を完了させるために、中旬にこちらの管轄の外国人局に行きました。前回のカールスルーエでの申請時には学生のインターンは就労許可が要らないということみたいだったので、職員からも何も言われませんでした。ただ移った先のこちらの外国人局では、就労許可を取得するような手続きを求められました。

8月末までのドイツの大学の在籍証明があればすんなり行ったのだと思いますが、そもそもドイツに来た時から交換留学でもないので、カールスルーエでのインターンも身分は学生ではなかったですし、本当は就労許可を取らないといけなかったような気がします。(研究が目的だったら必要なかったのか?)どのみち私が「学生である」という証明が必要になるので、いま急いで日本の大学のほうに在学証明書について問い合わせているところです。7月中に手続きを完了させて、この煩わしいビザの申請を早く終わらせたいです。(←いやいや、もう帰国の時期ですよ(笑))

インターンシップ

先月の末から、「本社側での日本の顧客のサポート」と「日本語のマニュアルの翻訳修正」の2つの業務に取り組んでいます。前者のほうは、5月末に一気に押し寄せた分の課題がいまは徐々に改善しつつあるように感じます。これまで以上にスムーズになっていると聞き、とてもうれしく感じたのを覚えています。後者のマニュアルの修正は、マニュアルに用いる用語の統一や専門用語の理解(特に電気系)などでちまちまと地道に進めるしかなく、1か月でようやく計80ページを超えるところまで来ました。マニュアルの種類もさまざまあり、トータルで300ページ近くになるので、全然終わる気配がありません。が、おかげで普段は触れないがプラントを理解する上で重要な専門用語がどんどん理解できています。これに関しては唯一の救いです。

6月中旬には日本のスタッフもやってきました。日本で進んでいるプロジェクトの摺合せや僕と日本スタッフとの連携を深めるための協議をしました。自分の考えもつかないようなことがいろいろ起きていて、当初想定していた「インターンシップ」のイメージからかけ離れすぎて、いろんなことを考えさせられます。あまり語ることはできないので、これに関しては自分の中でおさめ、今後の糧にしていきたいと思います。

最後に

6月は完全に夏が訪れたという暑さ(気温も30℃を超えるほど)だったのですが、最終週で一気に気温が10℃近く落ちて、夜は寒さを感じることもありました。気温の急激な変化、食あたり?、帰国後のプラン等いろいろを考えすぎて受けているメンタル的なダメージなどのコンビネーションで、2日ぐらい寝込みました。そのせいで体重も2,3kgぐらい落ちた気がします。まだ体調(特に胃腸)は万全ではないのですが、7月は楽しみなことがたくさん待っているので、どうにかして早くこの状況を脱したいです… おいしいビールが飲みたい…

みなさまもストレス発散をほどほどにして、体調を崩さないよう心がけてくださいね。

 

KENGO

Mayは移動の月

5月に入ってからカールスルーエからミュンヘン近郊に引っ越してきました。主にやることも研究活動からインターンに変わりました。5月は環境の変化が多かったので何もしていないのになぜか疲れているというような日々が多かった気がします。インターン先でも部署を横断して学んだり、顧客の抱える問題に対応するのに、あちこちに足を運んだりする日々でした。

生活

・生活環境の整理

まず2週間ぐらいかけて生活環境を整えました。

いまの家に移る前に知っていた情報は、「キッチン、冷蔵庫、テレビ、ベッド、机、シャワーがついている個室」ということだけだったので、「洗濯機」、「ネット環境」をどうしようかと考えていました。しかも引っ越した日にオーナーに聞いても「近所にはコインランドリーはない」とのこと。まあ人口4000人程度の田舎の村なのでどこの家も自分で洗濯機を持っているのが当たり前でしょう。ネット環境を構築するにもプロバイダー契約とかドイツ語できないし面倒だなあとか思っていましたが、引っ越した当日に隣の部屋の隣人(イケメンのボスニア人)にあいさつがてらネットのことを話したら、「俺の無制限だし、使っていいよ!」という話になりました。でもタダで使うのは気が引けたので彼の月契約料金の半額の15€を毎月支払うということで話を付けました。後日、「洗濯機ないなら俺の洗濯機も使っていいよ」という話になり、彼のおかげで面倒事が一気に片付きました。ほんま感謝しかないです。

その他にも生活用品がいろいろ不足していました。ただ、買い出しにいこうにも近所のスーパーはNettoが一つだけ。食品はある程度Nettoで揃うのですが、それ以外に生活用品(電球、電気ケトル、物干し紐など)を買いに行くには隣の駅(4km先)のところに行くか、25km先の都市部に行くかしか選択肢がありませんでした。2週目の週末に一気に買い出しをして、身の回りのものはほとんど揃いました。なので、いまは基本的に近所のNettoで食材の買い足しをしている程度の買い物で済んでいます。

・住民登録・ビザ

住民登録もオンラインで済ませました。が、のちのち確認するとそれですべてが完了しているわけではないようでした。これが済まないと、次の手続きに移ることができません。次の手続きとは「Residence Permit」つまりビザの件です。

「Residence Permit」はカールスルーエに居た時にすでに申請をしていました。その際は8月31日までの滞在を申告しました。ただその時に問題になったのは、申請時の12月末時点で、5月以降の企業でのインターンシップを証明する書類がないこと、加えてその時点ではまだインターンシップ先の企業を探している段階だったので次に住む場所も決まっておらず、次に移り住む住所の証明ができないことでした。4月末まではカールスルーエの大学での滞在証明があったので申請書類を受け取ってもらえ、その場では6月18日までの仮ビザ(らしきもの)をもらえたのでよかったのですが、それ以降、ビザ申請の手続きが完了したわけではありませんでした。

2月になってインターン先が決まったのとちょうど同じ時期に、ビザを申請したカールスルーエの外国人局のほうから「5月以降の滞在目的を証明する書類、5月以降の住所を証明する書類を提出してください」との催促の通達が来ました。まあ当たり前ですね。ただ、その通達があった時点で、「5月以降はカールスルーエを離れるけどどうすればいいのか」という旨を伝えたところ、「新しい住所で管轄の外国人局で仮ビザが切れる6月18日手続きを完了するように」と言われました。

先日ようやくその点について管轄の外国人局にメールを出しましたが、「まだ住民登録が完了していないなら、該当のビザに関する書類がカールスルーエから送られてこないので、まずは住民登録を済ませてくれ」との回答を得ました。6月の仮ビザ期限までにスムーズに手続きが完了できるのか、とても不安です。(アホなことに、ビザの期限のことを全く考えずにロンドンに6月末に行く計画を立ててしまっていました。どのみち、6月18日までにビザ申請完了させないといけませんが、いざいけなくなったらその分のお金がパアです…)

・旅行

生活環境を整える以外では、母親がドイツ旅行に来ていたので一緒にボンを観光をしたり、会社の同僚と近所で開催されていたラリーカーのレースを初めて見に行ったり、こっちでHellotalkを通じて知り合った同い年のマーカスと彼の地元で開かれていたVolkfestに行って飲みに行きました。(Volkfestは5月から各地で開かれている各地の地元民を対象にしたビール祭りみたいです)先週末はミュンヘンで日本人とドイツ人の交流をしているグループに初めて参加したり、同じ時期に留学中の大学の同期がこっちに遊びに来たのでノイシュバンシュタイン城レーゲンスブルクに行きました。と思っていたよりはまあまあエンジョイできています。

現時点で6月、7月の旅行も確定させました。6月は念願だったバルセロナとロンドンへ、7月はプラハザルツブルグミュンヘンから近くて行きやすいところへ行く予定です。バルセロナへはカールスルーエの時の友達とも合流できそうなのでとても楽しみです。

インターン中は長期の休みはないですが、会社の方が週40時間勤務(月~木は9時間勤務、金曜4時間勤務、ほかの人もだいたいそんな感じの働き方なのでびっくりです)と金曜午後から日曜までかなりゆとりのある週末があるおかげで、ある程度の旅行はできそうです。(が、帰国便のことも考えるとあまりお金がないので遠出もそこそこに控えないといけないジレンマ…)

また体力維持のためにもランニングも再開しました。ド田舎なので道が広く、走っていて気持ちいい景色が続くのが良い点。悪い点はところどころで家畜の屎尿のにおいが漂っていることです。気候も5月前半は雨が降ったりやんだりと不安定でしたが、最近は気温も25℃ぐらいになる日がほとんどなのでうれしい限りです。というかもう夏の気候になっているので、あまり無理して走ると危ないなとも思ってきています。

KIT

5月8日がKITでのインターンの最終プレゼンでした。7か月のインターン中の研究成果を発表する場だったのですが、準備していた通りの内容をスムーズに伝えることが出来ず、とても歯がゆい経験になりました。プレゼンではまず伝えたい内容の抽象化、そしてそれらをどのような言い回しでも具体的に伝えられる言語レベル、この2つの上達が必要だと思うのですが、「どうすればプレゼンテーションでも困らないレベルの英語に到達できるのか。」これが常に頭の中にあります。結局はある程度の言い回しは暗記に頼ること、そして場数を踏むことなのでしょうか?これから変えていきたいことの一つです。

最後にお世話になった研究所の人たちと記念写真を取ってお別れをしました。7か月もいたのに別れはあっけなかったです。KITで学ぼうとしていたことは、ドイツ語を上達させること以外はある程度達成できたのではないかと思います。タール除去技術を含めたガス精製技術の全体的なカテゴライズや各技術の特徴がつかめたこと、(もちろん触媒を用いたガス精製技術についても)、ガス精製技術だけでなく、原料の領域や最終利用として用いられる技術とのすり合わせがプラント設計の中で重要になるということを理解できたのはよかったと思います。研究の進め方のあれこれに関しては、自分が補佐的なポジションにいたこともあり、ある程度決まったことを指導教官の指示の下でこなしていくというスタイルでしたが、7ヵ月間の活動を通じて、帰国後の研究活動につながりそうなこともいくつか見えました。帰国後、研究室のプロジェクトの進捗具合によっては入学当初と全く違ったテーマになっていることも考えられますが、それはまたその時のことで。KITでの研究活動に関してはレポートを完成させて、一区切りです。(中旬に欠けていた実験結果が上がってきたのでレポート作成途中です…)

なにより、ドイツに着く前に予定していたインターン先から受け入れを断られていた中で、KITにいる期間でどうにかして代わりの、そして、自分の専門により近いインターン先を見つけられたことはよかったなと思います。

インターンシップ

インターンシップ先は小規模バイオマスガス化発電装置(ガス化ユニット、CHPユニット)を製造、販売している会社で、世界中、特にドイツでの導入数が多いですが、イギリス、イタリアへの販売数も多くなってきていて、最近はそれ以外の地域にもバンバン進出しています。日本にも進出しているので、日本の顧客と本社とのつなぎ役を買われてインターンを受け入れてもらいました。

会社へは家から徒歩15分、毎日朝8時ぐらいから夕方17時まで働き、金曜は午前中の4時間のみ(週40時間)という働き方をしています。KITのときもそうでしたが、朝7時ぐらいに働き始めている人もいたりして、帰る時間は15時から16時が普通っぽいです。正直まだその時間感覚に慣れていません。

5月の3週目までは現場の修繕や製造現場での各ユニットの組み立ての様子を見学しながら、各コンポーネントの理解を深めていました。みんな英語ができるわけではないので、適宜英語ができる人にあれこれ聞いたりしていました。現場での修繕ではかなりの肉体労働(ボルト締め、重い資材の運搬、コンクリ壁にドリルでおもいっきり穴を空けるなど)があるので、帰ると全身筋肉痛なんて日もありました。

4週目からは実際に日本の支社の方と顧客の方との関係を作り上げていくところから始まったのですが、配属された次の日から、日本で発生している技術的な問題の特定にむけて、本社側の経験ある方たちと問題を報告して解決策を話し合ったりと、いきなり実践の場に放り込まれた印象です。ある程度の共通知識を付けていないと何も対応できないですし、解決策を探ろうにも普段使わない英語を使ってコミュニケーションを取っていかないと具体的な解決策まで辿り着かないことを感じています。僕がたびたび発しているであろう意味不明な英語で社員の人のイラっとした顔をもう見なくて済むように、落ち着いて簡潔に話すことを心がけないといけないなとか思っています。具体的なことは守秘義務があるので(←どこまでのことかわかっていないけど)、あまり詳しいことは書けないのですが、8月上旬までのインターン期間で日本の運転率を向上させていきたいと思います。

また、顧客のサポート以外にも、日本語で書かれた運転マニュアルの翻訳修正も同時にやっています。基本的に日本への対応が優先、そのほかの時間はマニュアルの修正という配分なのですが、マニュアルの修正も日本人なら修正できるレベルの簡単な表現の修正から、その分野や機械の仕組みを知らないと分からない適切な日本語表現への修正まで修正の程度の幅が広く、そもそものマニュアルの構成についても「なんでこういう構成をしているの?」「これはどういう意味でここに使われているの?」というツッコみを入れたくなる箇所もたくさんあります。どこまで手を入れられるのか、翻訳を担当している会社との話し合いなども今後予定されそうです。

インターン中は大まかにこの2つの業務に取り組みますが、KITの時と違って、自分から動かないと進まない仕事ばかりがいきなり、そして大量にやってきたので、やりがいを感じるとともに、下手にへまを出来ないプレッシャーとその責任を感じています。もちろん会社側のリクエストだけでなく、自分自身でインターン中に知っておきたいこともあるので、そういうことをうまく時間を使って理解できるようになれればなと思います。

最後に

ドイツに来てからもう8か月が過ぎたわけですが、「ドイツの生活はどう?」と聞かれる度に考えるのは、「友達の存在」だったりします。食に関しても特に日本食が恋しいとか思わなくなりましたし、仕事の環境に対しても、あとはドイツ語がちゃんと話せるようになれればもう少し過ごしやすくなるのかなとか思うところもありますが、特に不満はありません。(というかむしろ日本の労働環境のことを考えるとドイツに残りたかったりもします)ただ、いかに仕事以外の時間を充実させるかについては、やっぱり友達の存在が大きいなと感じています。

カールスルーエの時と変わりなく、友達を作ることが非常に難しいです。人が集まってくる街中にいるわけでもないので余計に難しいです。ちょくちょく友達を作る努力はしていますが、それでも一人の時間が多いので、調べごとなどは捗りますが、やっぱり週末になると人が恋しくなります。

ま、そんなこんなで帰国まであと3か月。ビザの問題はまだありますが、6月になってくると帰国のこともそろそろ考えないといけなくなる時期なので、徐々に帰国後の日本での生活をどうするかというところにも目を向けていきたいと思います。

 

KENGO

 

Aprilは準備の月

いま序文を書いている時点でカールスルーエを出て4日経ちましたが、遠い昔のような、そんな感覚になっています。ミュンヘン近郊の企業でのインターンも始まりまだ数日しか経っていませんが新しい発見ばかりです。タイトルの通り4月はKITでの活動の締めとなるセミナーでのプレゼンの「準備」に追われたり、引っ越しの「準備」に追われた月になりました。KITでの最終プレゼンが5月8日になったので、インターンは始まっているのにKITでの活動が終わっていないという中途半端な時期ですが、KITの活動はプレゼンをしっかりやって、しっかり締めくくりたいと思います。

研究

サンプル測定の追い込みの時期だったものの、予定していた分析が機器の故障でできなくなり、一度修理が完了したと思われてからも全然直っておらず、その修理が間に合わないまま4月が終わってしまいました。この実験済みのサンプルの残りの分析、まだ実験できずに残っている作成済みの触媒サンプルの実験については指導教官が引き継ぎます。

そしてこれらの実験に並行して、5月上旬に開かれる部署全体のセミナーでのプレゼンの準備していました。4月の最終日にはそれに向けての発表練習があり、いろいろ改善点が見つかりました。KITでのインターンは4月で終わりですがセミナーでのプレゼンのためにまた1日だけカールスルーエに戻ります。それまでに理系特有の表現がサラッと言えるようにしっかり発表練習したいなと思います。

セミナーでのプレゼンと並行して課せられていたKITでのインターン中のレポートについては、結果が出揃っていないというのもあって、結果と考察のパートがまだ終わっていません。5月中に企業でのインターンと並行して取り組む予定です。

論文を書くときはデータから読み取れる事実と「何故そうなるのか」の解釈がとても大事なのですが、合理的な解釈ができるようになるまでにはなかなか時間がかかるなぁと思いました。ただ、7ヶ月間KITでやってきたことの社会的意義やその周辺の技術についてはかなり理解できるまでになりました。

バイオマスガス化はバイオマス燃料、ガス化炉、ガス精製技術、そして最終ガス利用方法(ガスエンジンなど)の大まかに4つのパートに分かれているのですが、どのパートでもさまざまな選択肢がある中の最適な組み合わせが必要で、それぞれのパートで前後のパートの技術の必要要件との擦り合わせが必要になります。それぞれのパートにある多数の選択肢のそれぞれの特徴を生かし、いかにして顧客のニーズに合わせた設計にするかが企業のやることで、いまはまだ世に存在しないが潜在ニーズを持っている各パートの新しい選択肢をそのメカニズムの解明と共に生み出すことができるかが研究機関のやるべきことなのかなと感じました。(もちろん前者、後者ともに研究機関や企業が担うこともあると思いますが、そのバランス配分でどちらが多いかということだと思います。)

レポートを書いていく中で特にガス精製技術の比較が出来たのですが、自分が携わったフィルター一体型の触媒によるガス精製技術は開発していく余地がかなり大きいことを感じられました。ほかの精製技術の課題をクリアしている触媒を使わないガス精製技術もありましたが、その場合だと精製ユニットが大きくなり、設置面積が大きくなってしまうなどの制約が出てしまったりもします。一方で触媒を使う場合は、どの場合でも触媒の長期安定化が課題になっています。

従来だと各不純物を除去するのに特化したリアクターをそれぞれ設置する必要がありますが、KITで携わったプロジェクトで目指しているのは、触媒を担持させたろうそく型フィルターを使って全ての不純物の精製を一つのリアクターで行ってしまおうという魅力的なものでした。しかし、それを実現するために必要な触媒の安定化を目指した触媒の組成の模索、触媒を担持させる支持体への触媒の添加方法などはまだまだ手探り状態です。

これは企業でも同じことが言えると思いますが、研究で成果を出すには長い目で見た視点とその時々に得る結果からのフィードバックのスピードと質がとても重要だと感じました。

今回、7ヶ月の間に携われたプロジェクトは2020年まで続くそうなので、そのころにはどんな成果が生まれているのかとても楽しみです。

5月からはミュンヘン近郊で小規模バイオマスガス化発電装置を開発しているメーカーでのインターンが始まりますが、正直なところちゃんと働けるのか不安で一杯です。インターン先では採用されているガス精製技術の特性とそれ以外の全体の技術全般の理解、企業における技術開発の指針や小型バイオマスガス化発電装置のマーケティング戦略(特にアジア市場をどう考えているのか)とその弊害など、たくさん吸収したいと思います。

生活

4月の出来事を一文で。

上旬

・ランニングで左足故障、しばらくランニングやめる

・4つの時間配分に沿って、毎日の一言ログ開始

・英語学習がてらにGeorge Orwell1984読書、開始

カールスルーエ、アジアの野郎だけのBBQ

・国際情勢が緊迫しだした(日中首脳会談中に米軍シリア空爆北朝鮮の核実験に対する牽制、日本のメディアも北朝鮮報道で一色)

・同時期にユナイテッド航空暴行事件、世界的にかなり話題になった。

中旬

イースター連休始まりにランニング再開

イースター連休は寒い+雨降るしでどこも行かず、代わりに旅番組見ることで旅行行きたい欲を紛らわす

・KITでのインターンでの締めになるプレゼン作成のプレッシャーと戦う日々

・トビタテの変更申請が無事に承認された(2月21日変更申請提出、4月17日承認で承認まで約2か月かかった)

下旬

・20日にたまたま見たゴミ収集風景からタンデムのパートナーとの話も通じてドイツ(というかEU全体)のごみ収集システムについて理解

・ずっと前から欲しかった完全ワイヤレスイヤホン(Bragi社のThe DASH)を買った

・ドイツ 2度目の散髪、前よりはマシなところだった。29€もしたけど。

カールスルーエの日本人と最後の飲み会で、前からずっと気になっていた電車の車両を使ったレストランにやっといけた。鶏肉めっちゃうまかった。

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カールスルーエ近郊最後の観光で、こっちで知り合ったドイツ人と日本人と計3人でハイデルベルクへ。もっと街歩きしたかったってぐらいいい街並みだった。

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・出発ギリギリまで荷造り、すべての荷物を抱えバスでミュンヘンへ。ミュンヘンでは同じ時期にトビタテで留学中の高校時代の部活の後輩に再会。

生活面においては5月以降とても楽しみ満載。とりあえずミュンヘン、レーゲンスブルグからロンドン、バルセロナザルツブルグプラハには行きたいな!!!インターンに、旅行に、充実させるぞ!!!

 

KENGO

アイスランドに旅立つ前に読むべきこと(交通・必需品・お金etc.)

2017年3月3日から3月7日にかけて3泊5日のアイスランド旅行に行きました。その旅行に行く前に知るべき情報(交通・必需品・お金のことなど)についてまとめました。

はじめに - なんでアイスランド

こちらでの生活で長期休暇が取れたら絶対にしたかったことは「オーロラを思う存分観ること」でした。いろんな検討の末選んだアイスランドは、オーロラが発生するオーロラベルトががっつりかかっている国で、温暖な北大西洋海流によって、ほかのオーロラが見れるスポット(スカンディナビア諸国やカナダの北極圏付近)よりも暖かい環境でオーロラ観測ができる唯一の場所です。スカンディナビア諸国、カナダともに気温が-20℃になることは必須で、そのために電子機器類の防寒対策も必要で、高価なカメラが壊れてしまうこともあるそうです。それに比べてアイスランドは気温で言うと最低でも-4~5℃ぐらいです。これにアイスランド特有の強めの風が重なり体感温度は最低でも-10℃ぐらいになるみたいですが、日中はそこまで冷え込みません。僕は激さむな環境はできれば避けたい派の人だったので、当初はフィンランド付近を考えていたのですが、アイスランドのほうがいいと考えるようになりました。

気温だけでなく、オーロラを観測する場所まで行くアクセスもリサーチ段階で他の場所と比べると良い気がしました。アイスランドの首都、レイキャビクからは夜20時~21時ごろ出発のオーロラハントのバスツアーがほぼ毎日多数の観光会社で開催されています。運がよければレイキャビク市内でのオーロラ観測も可能という情報もありました。これはなおさらよし。

アイスランドに行く前の諸々の手配

そして、アイスランドに行くことを決定してから、いろんな観光情報を調べていると、出るわ出るわこれぞ大自然の力という観光スポット。中でも気になった「間欠泉」と「氷の洞窟」は間近で見てみたいということで、レイキャビク発の「ゴールデンサークルツアー」(85€)と「1泊2日の氷の洞窟&南海岸ツアー」(598€)の2つのツアーを申し込みました。火山活動が活発なことによって起こる「間欠泉」、緯度が高く氷河があることによってできる「氷の洞窟」、アイスランドはまさに火と氷の国です。

ちなみに氷の洞窟へ行くにはガイドが必要になるので、その場所まで車をレンタルしていき、氷の洞窟ツアーに参加するか、レイキャビク出発の氷の洞窟ガイド付きの1泊2日のツアーに参加するかの2択しかありません。アイスランドに行ったことのある友人から情報をもらってレンタカー代、ガソリン代、現地宿泊代、現地出発の氷の洞窟ツアー参加費(178€ぐらい)を考えると、レンタカーで自力で氷の洞窟ツアーが行われる場所に行き現地からツアーに参加するほうがレイキャビク発の1泊2日ツアーと比べてトータルで100~150€ぐらい安くなります。アイスランドの運転は急な天候変化、吹雪、路面凍結と海岸沿いの横からの強い風などかなりシビアなコンディションでリスクが大きいこと、今回は1人であるためレンタカー代金も安くならないことも考えて、氷の洞窟行きにはレイキャビク発の1泊2日のツアーに参加しました。

ツアーの手配以外に値段を抑えたいのが航空券の値段。飛行機のチケットもWOW airというアイスランドの格安航空会社がフランクフルトに就航しているため安く手に入れることができました。往復フライトは217€でした。

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ちなみにWOW airの就航都市はこのようになっています。ドイツ以外のEU諸国以外にも、カナダやアメリカともつながっています。(実際にアイスランドではアメリカ人が多かったです。というか観光客はほぼアメリカ人でした…)

それ以外に必要になった手配は、カールスルーエとフランクフルト往復バスチケット(Flixbus)、アイスランドのケプラヴィーク空港とレイキャビク市内を結ぶ往復バスチケット、ツアーに含まれないレイキャビク市内のホテルぐらいでした。空港と市内を結ぶバスのチケットはWOW airで航空券を購入するときに一緒に購入できます。バスチケット単独で買うこともできますが、航空券と一緒に買った方が若干安いです。

ちなみにケプラヴィーク空港とレイキャビク市内を結ぶ公共交通機関はありません。民間のバス会社(Flybusとか)が運行しているだけなので、バスチケットの購入は空港から車をレンタルすることを考えている人以外は必ず必要になります。

これらの手配に加えて、オーロラがばっちり撮影できるように、F値が1.8のレンズがついている高性能コンデジSony Cybershot DSC-RX100)と軽量コンパクトな三脚を購入していました。合わせて434€。いろんな方のオーロラ撮影のレビューを見て三脚を購入しましたが、長時間露光が必要なので結果的にも三脚は必須でした。ないと綺麗な写真は撮れません。カメラのほうは、F値(絞り値)が低いものほど光をたくさん取り入れられるので、夜景やオーロラ撮影には向いています。しかし、F値が低いレンズ自体も高く、それを付けられるデジタル一眼やミラーレスの購入を考えるととても高くなり手が出ませんでした。また高性能コンデジのほうが持ち運びには楽だなと感じたので、それらが理由でDSC-RX100を購入したのですが、年末年始旅行で最後の厄年パワーを発揮してしまい、壊してしまいました。そして修理には出していたのですが、この旅行までに修理が間に合わなかったので、代わりに先輩から借りているミラーレス一眼のOlympus E-M10Ⅱを持っていきました。(このミラーレスはF値は3.5なのですが、結果的に綺麗にオーロラ撮影ができました。)

 

服装・装備・持っていた方がいいもの

アイスランドに行くときの服装、特に1泊2日の氷の洞窟ツアーに行くときの服装と装備について少し触れます。結論から言うと、防風防水仕様のアウター上下、防水仕様のトレッキングシューズ(できれば足首まで覆えるもの)、代えの靴下いくつか、タオル、サングラス、ニット帽です。順に説明します。

レイキャビク市内で観光する分にはほかの寒い地域で観光するのと同じような服装であれば問題ないです。ただレイキャビクを離れて遠出する場合は、天候が非常に変わりやすいので、雨風をしのげるように防水仕様のアウトドアアウター上下を持っていく方がいいです。靴も防水仕様のトレッキングシューズを履いていくことをオススメします。僕は普段履きからローカットのトレッキングシューズを履いているのでそのままいきましたが、氷の洞窟ツアー以外の場所ではだいたいそれでいけました。雪が積もっている場所ではとうぜん靴下はぐちょぐちょになったりしました。預け荷物以外の手持ちの荷物に代えの靴下と濡れた靴下をしまえる防水用の簡易バックは持って行った方がいいかもしれません。

特に、1泊2日氷の洞窟ツアーに行く場合、必ず靴下あるいは全身が濡れるポイントが2つあります。一つはSeljalandsfossという滝です。この滝は滝の裏側に行けるという面白さがありますが、その裏側に行く道で、滝から落ちてくる水が滝つぼに落ちる衝撃で生じる水しぶきで全身がずぶ濡れになります。足元も水を多量に含んだ雪道になるのでぐちょぐちょです。僕の靴下はぐっちょぐちょになりました。裏からみる滝は迫力があります。なので濡れてもいいように防水仕様のアウター上下と防水仕様のトレッキングシューズ、代えの靴下とタオルは必須です。

もう一つは氷の洞窟です。厳密には氷の洞窟に辿り着くためのヴァトナヨークトル(Vatnajökull)氷河のトレッキング中に濡れます。氷河トレッキングではピッケルとヘルメット、クランポン(アイゼン)はツアー代金に含まれていたので追加でレンタルする必要はありませんでした。ただし、足首まで隠れるようなトレッキングシューズを持っていない場合は、追加で1000ISK(約1000円)でレンタルしないといけません。強制です。まあトレッキングシューズがアイスランドの物価で1000円でレンタルできるなら、これに向けてわざわざ購入するよりはお得かもしれません。しかしそれでも氷河トレッキングをしているとところどころで凍っていない場所に足を踏み入れるケースがあります。そうなるとトレッキングシューズを履いたところで靴下はずぶ濡れです。氷の洞窟付近でも、今回は3月と少し暖かかったせいか、かなりの水量がある中を歩かないといけない場面もありました。代えの靴下、タオルは持っていきましょう。

アイスランドではサングラスは必須です。アイスランドの特に南海岸に向かって車で移動する際は、ほとんどの場合で太陽に向かって移動することになるからです。しかも南海岸方面は陸側に崖といっても過言でない傾斜が険しい山々があり、海岸側には昔の火山活動で溶岩が流れたことでできたフラットな平地が広がっています。道路はその険しい山々の脇を通っているので、南から差し込む太陽を遮るものはなにもありません。サングラスがないと運転していなくてもめちゃくちゃまぶしくてしんどいです。

そして日差しだけでなく、風もとても強いです。さっきも言った通り、海岸側から山まではなにも遮るものがないため、どこの観光スポットでも強烈な風が吹きます。それが体感温度を下げているのですが、できれば頭や耳を防げるようなものがあったほうがいいと思いました。僕は運よくフードつきのパーカーを着て行っていたのでまだよかったですが、風で剥がされることが多かったので、その都度ニット帽をもってくればよかったなあと後悔していました。なかったら頭からかなり冷え込みます。(というかなんでニット帽持っていかなかったんだろう…)

アイスランド旅行のお金の話

カメラの購入金額を除くと、この旅行での総金額は954€と18400ISK(アイスランドクローナ)で合計約14万円でした。結構かかってしまいましたが、これでもかなり抑えたほうなんです…

ツアー代が高くなるのはリスク回避として仕方ないと考えていますが、滞在中の食費はできるだけ抑えたいという思考が働いていました。アイスランドは外食だと1食で2000円ぐらいは軽く行ってしまうほど物価が高いので、旅行中の食事は夜はほとんどスーパーで購入したパスタ(それでも一食600円とか)や朝や昼はバナナやパン屋さんのパンをチビチビ食べることで済ませています。ツアー中も昼食は休憩所のレストランで食べる事が出来るのですが、いちいち高いです。ちなみに僕はドイツからパンを持って行ってたので昼食代をかなり浮かせていました。また、現地通貨のアイスランドクローナは一度も手にしていません。北欧の旅行のときでもあったように、ここでもすべての支払いはクレジットカードで済ませられました。

そんなこんなで、旅立つ前に読むべき情報をまとめました。次回からはアイスランド旅行記をお届けします。1日目はレイキャビク観光、そして念願のオーロラ観測について書きます!

KENGO

年末年始旅行⑩ イタリア編最終日

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。今回はイタリア(ミラノ)での最終日を振り返ります。

最終日は昼12時出発のスイス、チューリッヒ行きのバスに乗るまでの短時間だけの観光でした。せっかくなので、前日に行ったものの、結局開いていなかった2つの教会にリベンジすることになりました。

え?そんなところまで?

だまし絵の教会、サンタ・マリア・プレッソ・サン・サティロ教会(Chiesa di Santa Maria presso San Satiro)という長い名前の教会はだまし絵が有名らしいという情報をゲットしていたので、それがどんなものか、観に行ってみることにしました。

敷地に入る前には柵があるのですが、前日はそれが閉まっていました。この日はそれが開いていたので、恐る恐る建物の中にも入ってみると…

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一見普通のどこにでもあるような教会かそれよりも少し装飾が凝っているぐらいの教会。奥の両サイドに空間があって、十字の構造をしているのは少し珍しいなという感じでした。「これのどこがだまし絵なんだろうか」と祭壇に近づいてみると、「んん?」

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「これのことか!!!!」という感じでした。正面から見ている上では祭壇のある方向に奥行きが感じられたのですが、その横に立つと、その奥行きは1mもないほどです。床に描かれている模様に注目してもらうと分かりやすいのですが、奥の壁に近い領域の模様がない領域の床の幅がその奥行きの狭さを示しています。奥の壁の装飾だけに注目していてもその奥行きの狭さは分かりません。装飾自体も奥行きがあるように配置されているからです。

それだけではありません。装飾や掘りだと思っていたところもよーく目を凝らしてみると、なんと画なのです。最初の正面からの写真の両端の柱の模様も、一見すると彫刻のように見えますが、これも画です。

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祭壇の壁の装飾も彫刻もでっぱりがないところ以外はすべて画。綺麗な彫刻だなあと思ってみていた天井ですら画だったのです。写真で伝えきれないのが残念ですが、メインの正面奥の壁のだまし絵以上に驚かされました。どんだけ画がうまいんだ…

もはや美術館な

次に訪れたのはフレスコ画の教会、サン・マウリツィオ教会(Chiesa di San Maurizio al Monastero Maggiore)。さきほどのだまし絵の教会以上に画がメインの教会です。

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さっきの教会で彫刻にみえる天井の画を発見していたので、ここでも気になって天井を見てみると…ここでも彫刻ではなく、画でした。じっくり見てみないと見分けがつかないほどよく描かれています。

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これは入口付近を写した写真。これからも分かるように、中に入ったときは、フレスコ画がぎっしり描かれた教会は一見するとそこまで大きくない空間なのかなと感じまし。が、実は正面の壁を挟んで向こう側にも空間があります。

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正面からはこんな感じ。正面の壁だけでなく、両側の壁も全面がフレスコ画になっています。教会のことやフレスコ画の説明も英語でざっくり書かれてありました。それによると、ミサの際には手前の空間が一般用、奥の空間が修道女用と分けられているそうで、真ん中にある格子からその様子を垣間見ることができるそうです。

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また、格子とは違い、小さな小窓が右と左にあります。この写真では左の小窓を写していますが、その位置は両サイドに聖人が描かれてあり、その下には天使が描かれている場所にあります。緑色の小さな扉がついています。ミサの中で聖別されたパンとブドウ酒をキリストの肉と血と見立ててそれをいただく行為を聖体拝領(holy communion)というのですが、一般礼拝者は左の小窓からは「witnessed the raising of Host」ができ、右の小窓から「Communion(聖餐、一般にパンとブドウ酒)」を受け取ることができるそうです。これについてよく分からなかったので詳しく調べると、ローマカトリック式の聖体拝領では、パンとブドウ酒の聖杯が聖別されたあとに直ちに一般の人々に見せることがあり、そのあとは聖別されたパンのみが配られ、ブドウ酒は司式者だけがいただくそうです。説明書きにあった「witnessed the raising of Host」はおそらく聖職者による儀式で聖別されたパン(Host)を見ることができるということだと考えられます。Communionと言われているところでもブドウ酒は含んでいないのかもしれません。(キリスト教信者ではないのでもしかしたら間違っているかもしれません。)

さて、脱線してしまいましたが、この教会のフレスコ画のメインテーマは「キリストの受難(Passion of Christ)」でキリストの最後の晩餐から死に至るまでのことが描かれています。また、上段真ん中のよく見る聖母マリアの画は「聖母被昇天(the Assumption of the Virgin, Assumption of Mary等表現はさまざま)」と言われるもので、聖母マリアの霊魂がその肉体とともに天に上げられる様子を描いた宗教画です。名前を聞いたことのない聖人の画とそれに沿った画も描かれていました。

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この日はミサは行われていなかったので奥の空間へも入れました。この両側の椅子に座って修道女がミサを執り行うのでしょう。真ん中の壁はさっきみた仕切りの壁になります。こちら側にもたくさんフレスコ画が描かれています。描かれている絵は一般礼拝者用の空間での画と少し異なっていました。特に上部のアーチ状の部分。どちらの空間にもあるフレスコ画は1510年代から描かれ始め、1565年に親子二代かかって完成したそうです。

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修道女用の空間の一番奥側の壁には「最後の晩餐(the Last Supper)」が描かれていました。

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この「最後の晩餐」と対になっているのが、反対側の壁に描かれている「カナでの結婚式(the Wedding at Cana)」です。この写真の真ん中です。

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 その他にもこの空間には創世記のシーンである「原罪(the Original Sin)」だったり、「ノアの方舟 (Noah's Ark)」が描かれていたりしました。これまで断片的に理解していたキリストの受難だったのですが、ここでのフレスコ画を見ることでかなりはっきりと理解できました。教会というよりはもうここは美術館ですね。

イタリアでの教会の宗教画を鑑賞するにはやはりある程度の知識を持たないと分からないことが多いことが感じられたイタリア旅行でしたが、次イタリアに来るまでに少しずつでも学んでいけたらなと思いました。

スイスの物価高すぎワロタ

2つの教会を巡ったところで、ミラノ観光タイムオーバー!12時ごろ出発のチューリッヒ行バスに乗り、チューリッヒカールスルーエ行きのバスに乗り換えという算段です。(今回の旅の交通手段についてはこちらを参照)

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ミラノからチューリッヒに抜けていく道の光景はなかなか目が離せないほどの絶景が続きます。ミラノを出発した時点で残すはバスでの移動だったのですでに旅行終了モードに入っていたのですが、さすがに目が覚めました。ちなみに旅行に出る前に気になっていたイタリアとスイスの国境でのパスポートチェックはありませんでした。

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休憩所には蛇口をひねればスイスの雪解け水がそのまま飲めます。(個人的にはフィンランドの水が一番おいしかった)そしてこの旅行で初めて雪を見ました。(北欧では暖かすぎて雪は積もっていませんでした。)

ミラノ出発から4時間後、チューリッヒに着いて、カールスルーエ行きのバスの乗り換えの時間が2時間あったので、中央駅周辺を散策。駅地下にはスーパーがあったので、物価が高いと言われるスイスの品々の値段を見てみることに。

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そしたらなんと、こんなものを見つけました。ライスサンドとおにぎり。ライスサンドもおにぎりも日本のサイズとほとんど変わりません。(ライスサンドはサンドイッチと同じサイズの意)ドイツや他の国では「寿司BOX」は見かけるものの、おにぎりを見つけたのは初めてでした。そしてライスサンド、これに関してはスイスで独自に進化した日本食みたいです。そのお値段は…

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おにぎり3.8スイスフラン、ライスサンド6.7スイスフラン。この時期は1スイスフラン=114円だったので、それぞれ約433円、約764円と高すぎワロタでした。そのほかの商品を見ても、だいたい日本の物価の2倍はしていました。こんなに高いとは…スイスに観光行こうかと考えていましたが、これを機にそれを考えることはなくなりました(笑) カールスルーエ行きのバスに乗り換え、そこから4時間で無事にカールスルーエに到着!いつもはそんなに好きじゃないのに、長旅から無事に到着したときに感じたカールスルーエの居心地のよさ。カールスルーエはもうホームになったんだなという印象を受けました。

そんなこんなで最後まで新しい刺激を受けつつ、2016/2017の年末年始旅行は終わりを迎えました。8泊9日、1日1日が非常に濃く、いい思い出も悪い思い出もたくさんできました。また、年末を海外で過ごすという機会は今後そうそう来ないと思いますが、その時が来ればまたこの思い出を思い出すのでしょう。また休暇ができたときには、お金が許す範囲でほかの国に行きたいです!

そして、次の旅行カテゴリーのブログは、3月に行ったアイスランド編に突入します!こうご期待!(たぶんまたちんたら更新します(笑))

KENGO