KENGO's memo

日々の思考の備忘録、ドイツ、カールスルーエ研究留学・インターン体験記

Augustは休暇と帰国の月

帰国の準備が本格化し、8月はずっと「いよいよ帰国が近づいてきた。成果を残さないと」というムードになっていました。それとは裏腹にインターン先のほうでは8月に入りどんどん休暇に入っていく人が続出、仕事が全く進まない状況に。それはそれで自分も会社の休みの期間の1週間、そしてインターンの期間の終了後日本へ帰国するまでの間の2週間の休暇をキューバとメキシコで楽しんでいます。

インターンシップ

8月に入ってすぐにインターン中の上司2人とも長期休暇に入りました。しかもどちらも8月ほぼ丸1ヶ月間の休暇で僕がインターンを終える時期にいないなんて、最後まで面倒を見る気が無い所は、なんともドイツっぽいなと思いました。(外資企業は休みも面倒見もだいたいこんな感じなのかな。)

実際、インターンシップの最初の2~3週間に全体の概要が掴めるように適当な部署へ回してくれたこと以外は会社から面倒を見てもらったという認識は全くありませんでした。その期間以外は全て自主的に会社に必要だと思うことを考え、提案し、自分の仕事として確立させて行くような3ヶ月間だったので、自分の働き次第で良くも悪くも作用しました。それゆえに即戦力としてきちんとした成果を求められていることへのプレッシャーも感じながら、最大限会社に貢献できたような気がします。全体的に人がいないのもあってか送別会的なのももちろんないので、自分の中で区切りをつけるためにも、インターンの期間が終わった時点で自主的に自身のインターンの最終レポートを作成し、提出しました。

僕の上司以外にも長期休暇に入る人はたくさんいました。中には9月に長期休暇を取る人とに分かれていて上手く分散して会社の機能を保つような雰囲気がありましたが、8月の真ん中は会社全体が1週間休みということもあり、結果としてその前後の週では、お世辞にも会社の機能が保たれているとは言えないような印象を受けました。(特に僕の業務に関連して言うと、主戦力のスタッフが長期休暇に入り、様々な課題について議論することができませんでした。)

インターンの最後の日も会社に出社している人がいつもの3分の1などで、お世話になった人にちゃんと別れの挨拶することも出来ぬままドイツ出国の日を迎えました。なによりお世話になった2人の上司との写真を撮ることを忘れてしまっていたのは痛かったです。(インターンがまだ終わらないうちに休暇に入られたので8月冒頭にはそのことが全く頭の中になかったのです…)

そんな8月のたるい雰囲気を感じつつ、抱えている顧客の方々に的確なソリューションを提供することもできずに悶々とするしかないという結構最悪なタイミングでインターンシップが終わったわけですが、4ヶ月間、年の3分の1も即戦力としてなにも指示されずに主体性をもって働くという経験を通じて得られたものはたくさんありました。特に8月はトビタテ生や大学の後輩などで計3人の日本人学生が本社に見学しに来たのですが、1人で社内案内から技術的な説明を一通りできていること、技術的な課題、組織的な課題が何かも詳細に分かるようになっていたことに自分自身の成長を感じました。

そもそもインターンシップをする目的に、私の研究領域である「ガス精製技術に関する研究」から抜け出たビジネスの面やその他の全体の技術について理解することを考えていたのですが、(詳細な金銭感覚はまだ持ててないですが)それらは達成できました。今後も研究の中で、一点を見つめることを突き詰める必要がありますが、同時に俯瞰して全体を観るときに必要になってくる考え方ややるべきことはよりクリアになったと思います。まだまだ身につけないといけない知識や感覚(特に事業性を評価できるような数値感覚)がありますが、それも帰国後に養っていきたいと改めて思いました。

生活・プライベート

8月初旬には、パリでインターン中の高校の同期とミュンヘンで会っていました。高校の時はクラスも違うし部活も違うので何がきっかけで仲良くなったのかよくわからない関係なのですが、高校卒業後も定期的に会う仲で、同じ時期に欧州で留学兼インターンをしているというのはとても面白いです。お互いにいまのインターンのことや将来のことなどでいろいろ語り合えました。こういう仲間をどんどん増やしたいと思うのと同時に、高校の同期はほとんどが社会人になっているので、それぞれいまの近況がどんな感じなのか気になってきました。僕に関しては一浪して、大学院に進学して、今回の1年のドイツ修行で卒業が伸びるので、自分が社会人になる頃には高校の同期でストレートで入学し学部卒で社会人になった人と比べると4年も差があります。まあ自分の人生なので他と比べて遅れているということは気にならないのですが、すでに2年も差があればさぞかし皆それぞれ面白い経験をしているのだろうと思っています。関東進出組と集まりたいなと思うところです。

8月の真ん中の週で会社全体が1週間休みのタイミングがあったので、欧州最後の旅行に出かけることが出来ました。行先はこんな機会がないと行くことができなかったブリュッセルロッテルダムアムステルダムでした。両替していたユーロの金額も限られているのと時間だけは有り余っていたので、バス旅にして安く抑えました。

・欧州での平和学習

ブリュッセル行きはミュンヘン夜発のバスを選んだので、バスの出発の日のお昼にミュンヘン近郊のダッハウ(Dachau)強制収容所を訪れました。そこに到着するのが少し遅くなり、施設を見学する時間が2時間ぐらいしかなかったので、閉館の時間まで粘っていました。ちなみに入場料は無料になっています。

第二次大戦中、ダッハウ強制収容所が機能していた時に収容所内でチフス感染が拡大したことによって処刑されること以外にもたくさんの死者が出たそうです。その多数の遺体を焼却するための設備が拡張されたらしいのですがそれはいまでも残っていて見学することができます。残念ながら今回はその焼却設備を見るまでの時間が残っていなかったので見学出来ませんでしたが、友人によると未だに遺体が焼却された後かなにかの匂いが感じられるそうです。第二次大戦中の負の遺産として残り、いまでは「戦争の悲惨さ」や「平和とは?」を考えさせられる施設としてはかなり強烈なものです。その焼却施設に行かずとも、敷地内の建物の中に展示されている拷問器具や写真や映像の数々を見るだけでも酷い光景があるので、二度とこんなことが起こっては、いや、起こしてはいけないのだということを強く感じました。

この旅行ではアムステルダムにも足を運んでいるのですが、そこでは昔のアムステルダムユダヤ人居住地区だったところにあるシナゴーク(ユダヤ教の教会)とユダヤ歴史資料館、そしてアンネフランクの家を訪れました。ダッハウ強制収容所で学んだことと見た光景と相まって、アムステルダムではユダヤ人の迫害の歴史、どのようにアムステルダムに移り住むことになったのか、そして第一次世界大戦から第二次世界大戦の間にどのようにナチスが台頭し、オランダへ侵攻してきたナチスドイツ軍からフランク家が如何に逃れようとしたか、そしてユダヤ人の大量虐殺という最悪の結果に如何に繋がったのかというのを深く学ぶことになりました。

特にアンネフランクの家(隠れ家)は、結構しんどい思いもしながらもアンネフランクの日記を高校の課題図書として読み切った経験があったので、隠れ家の雰囲気や隠れ家生活がどういうものだったのかなどはそれを通じて知っていました。しかし、アムステルダムで実際にその隠れ家を見ると、8人が過ごすにはとても狭い空間で、ここで息を潜めて2年間も隠れて生活せざるを得なかったのだと思うととても胸が苦しくなりました。外に出るという自由が効かず、泣くことも笑うことでさえ声を出すことができない閉鎖空間で精神がおかしくなりそうになるのも容易に想像できました。アンネが日記を書いている時だけ平静でいられるというのも、高校生の時はよくわからなかった感覚でしたがいまとなっては納得できます。

こういう平和学習をしようということはあまり意図してなかったのですが、少なくともこうしてドイツ滞在中にもう一度戦争とはどういうものかというのをそれぞれの現場を見て考える時間ができたのは良かったと思います。

ブリュッセル

話を戻して、まずはブリュッセル編。ミュンヘンからは長距離バスでちょうど12時間でした。朝ブリュッセルに着くと気温は15℃程度と低く、出発直前にヒートテックとジーンズを履いてきた自分のファインプレーに感謝してました。ブリュッセルではひたすら歩いて観光していましたが世界遺産のグランプラスを中心に観光地と言われるところは全て回りました。世界三大がっかりに数えられる小便小僧もしっかり見てきました。あんな一角にあるとは…という感じでした笑… 実は他にも小便少女と小便犬もあるのですが全てコンプリート。グルメ的なところを言うと、フライドポテトはブリュッセル発祥と言われているらしくFritzと書かれた出店があちこちにありました。あとでわかったのはちょうどBrüssel Summer Festivalという音楽祭的なのが街中で行われている期間で、広場では特設ステージがいくつか組まれるなどしていました。Fritzを注文すると外はカリカリ、中はフワフワな太めのタイプのフライドポテトが出され、それに好きなソースを選べます。ソースの中にはSamuraiソースとかいう謎のソースがどの店でもありましたが、七味系の辛さがある激辛ソースです。辛いのは無理というと、タルタルソースを選んでくれました。

ソースをフライドポテトに直接かけるタイプの店もありますが、ほかには写真のようにフライドポテトを入れる容器にソース用のポケットが付いているようなタイプもあります。これぞデザインの力という感じですね。この4€のフリッツがボリューミーで昼ごはんはこれで済ませました。

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あとベルギーと言えばワッフルということでワッフルも有名店で食べたのですが、クソ甘ったるい+ワッフル自体もそんなに美味しくないのに4.9€もかかるというのには、正直腹が立ちました。

ロッテルダム

ロッテルダムは、第二次世界大戦のときにほとんどの建物が焼失した関係で、いまでは街中にこれでもかというほどの近代建築で溢れています。建築を勉強されている人は行ってみると楽しいところだと思います。有名なキューブハウスにも行き、3€払って内部を見学しました。住みにくそうな雰囲気の外観ですが中は思っていたよりは広くて、快適に過ごせそうという印象を受けました。

また、ロッテルダムには世界遺産の「キンデルダイク-エルトハウスの風車群」があります。1740年頃に建設された風車とその水管理システムについて学びました。オランダでどのように干拓地を作り、海抜0m以下での土地でも居住できるようにしたのか、涙ぐましい努力の結晶を目の前で見ることが出来ました。キンデルダイク以外の場所でも、ロッテルダムからアムステルダムに向かうバスからも水面より低い土地がたくさんありました。そうした光景を見る度に昔のオランダの人たちの偉大さを感じていました。

アムステルダム

アムステルダムでは博物館美術館尽くしの2日間でした。上記で述べたようにユダヤ歴史資料館とシナゴークでユダヤ教の行事などを学んだり、アンネフランクの家に行き過酷な隠れ家生活の様子を見ましたが、それ以外は映画博物館、ゴッホ博物館、セックス博物館、飾り窓 (red light district)へ行きました。

映画博物館はちょうどマーティンスコテッシ監督の特別展をやっていたので、シャッターアイランドディパーテッド、そしてウルフオブウォールストリートとマーティンスコテッシ監督とディカプリオとのタッグの作品に虜になっていた身としてはなんとしても行かなくてはという気持ちで行きました。家族の話から映画のロケ地、編集、カメラ、音楽、主人公の性質など様々な切り口でスコテッシ作品を紹介していてとても興味深かったです。ロバートデニーロとタッグを組んでいた過去の作品も観てみようという気になりました。

ゴッホ美術館では、ゴッホが色使いやディテールのドローイング、構成など様々な観点で実験的に表現方法を模索していたというのがしっかりと感じられました。そこで初めて知ったのが、ゴッホはたった10年しか画家として活動してないということでした。そんな短かったのかと驚きを隠せずにはいられません。日本の作品からも大変影響を受けていたというのは有名な話ですが、いくつか日本の版画の模写の作品を観ることが出来ました。が、日本語の文字(漢字)はぐちゃぐちゃで、雰囲気しか真似していないところについ笑ってしまいました。ほかの作品ではあの有名な「ひまわり」の作品も見ることができました。ミュンヘンのノイエピナコテークの「ひまわり」とゴッホ美術館の「ひまわり」と「ひまわり」をモチーフにした作品を2つも観ることができたというのは感慨があります。(ゴッホの「ひまわり」の作品は7作品制作され、6作品が現存しているそうです)ゴッホ博物館で展示されていた「ひまわり」についてオーディオガイドで知らされたことなのですが、よく観ると描かれているのは枯れているひまわりなのに、それを枯れていると感じさせないように全体として明るく、美しさが保たれているということにただただ不思議な感覚を覚えていました。

セックス博物館、飾り窓はアムステルダムを代表するような観光スポットで、アムステルダムに来たからには行きたい場所でした。博物館のほうには主に19世紀からのセックスや男根、女性器、ポルノにまつわるものやさまざまな性癖、驚きの光景を収めたものがずらりと並んでいます。プラハで知ることになった画家のミュシャなのですが、裸体の女性や女性器男性器をモチーフにミュシャの作品エリアもありました。中に来ている人も男性女性半々ぐらい(少し女性が多かったような気がします)でそれぞれ熱心に展示物を見ていました。他にも性にまつわるものとして売春博物館といって、飾り窓のエリアに位置している博物館があるのですが、飾り窓の売春婦の生活やプレイルームの展示などに焦点を当てているそうです。こっちにはお金がなくて行きませんでした。有名な売春街の飾り窓は大麻のにおいと酒をあおっている男女が夜中でもたくさんいるので、簡単に観光したいなら昼から夕方のほうがいいかもしれません。僕は夜中に行ってみましたが、なかなかの活気であふれていました。売春婦に相場を聞くと20分で50€だったので日本と比べたら安いのかもしれませんが、フランクフルトの売春街のほうがいいのでは?と思う値段設定とレベルでした。(ちなみに大麻も売春婦とのセックスもやっていません。)

約1週間の旅行でしたが最後の最後までプライベートも充実して良かったと思います。

・最後の週

休み明けの8月の最終週は帰国の準備をしていました。食材の整理や不要なものを廃棄したり、荷物を送ったりしていました。ドイツに来た時よりも荷物をかなり減らしたつもりなのに、なぜか逆に重くなっていました(笑) 荷物の重量以上に自分の中で培ったものとこれからまだ育ちそうなものが出来たことがこの1年が自分にとって重みのあるものです。

この1年を振り返ると、海外で生活する上での基本的な知識や欧米人の考え方やライフスタイルへの理解力はこの1年で随分付きました。(もちろんどの場所に行っても生活の中でケースバイケースで調べないといけないことはあると思いますが) 特に、これは海外に出ると毎回思うことですが、海外の人が日本の何に興味を持っていて、どんなイメージを持っているのかなどはより一層理解が深まったように思います。日本人としての純度を高めるというか、日本人のアイデンティティをより深めて行けるように日本の歴史や文化、精神性、そして日本に関する時事ネタなどについて引き続き学んで(/追って)いきたいと思っています。

ドイツでの1年のトビタテバイオマス修行を機に始めたこのブログですが、時に自分の生活のペースを保つために、時に週末の日課として、ドイツでの経験や旅行記をいろいろ綴りました。途中書くのが面倒な時もありましたが、最低でも1ヶ月おきに記録を残していたのは毎月経験の棚卸しができていて、いま振り返ってみてもよかったなと思います。今後も自分の成長や葛藤の記録のために1ヶ月おきに振り返りは書こうかなと思っているところです。

最後に

日本出国前の計画なら今頃は日本に帰国している計画だったのですが、6月に宣言していた通り、せっかくならと帰国ルートを使って2週間、キューバハバナとメキシコのカンクンに行っています。欧州の夏は大したことなく、(8月なのに最高気温が15℃になる日も30℃の日もありましたが平均的に26℃ぐらいでした)カリブ海の夏は半端なく暑いです。毎年日本の夏もこんな感じだったのかと思うと信じられないです。キューバでの旅行を終え、バカンス5日目ですが、もう全身が完全に焼けています。

ただ、不運なことにキューバではカメラをホステルに忘れ、今日はカンクンチェチェンイッツァツアーのバスに買ったばかりのサンダルを忘れてきてしまいました。そんな自分が情けなくてしょうがないです。

バカンスとは言いつつ、飛行機やバスの移動時間や待機時間でオフラインの時間が長い分、ドイツでの1年をいろんな切り口で文章でまとめたり、トビタテの事後研修の準備などをしています。振り返る度に「経験の言語化」をしていくのですが、それによって違った解釈ができたりとなかなか文章として論理的にまとまらないところではあるのですが、時間がたっぷりあり、そしてここに流れている時間もゆったりしている分、最高のアウトプットが出来そうな感じです。

 

 

KENGO