KENGO's memo

ドイツ、カールスルーエ研究留学・インターン体験記、日々の思考の備忘録、フィリピン留学回顧録など

年末年始旅行⑥ スウェーデン編最終日&おまけにミュンヘン

2016/2017の年末年始旅行で8泊9日フィンランドスウェーデン→イタリアと巡ってきました。スウェーデンストックホルム2日間の最終日と乗り継ぎの時間に観光したミュンヘンを振り返ります。

弾丸観光で念願の黄金の間へ(ストックホルム市庁舎)

12月30日早朝6時半、まだ陽が全く出ていない時間に、友達が空港に行くのを見送るため、一行はそのままストックホルム中央駅へ。彼女はニューヨークで年越しするらしく、「テロに巻き込まれないでね!無事でー!またねー!」と無事を祈りながらバイバイしました。残された男2人は、眠い目をこすりながら朝ご飯を食べに、駅構内のEspresso Houseというカフェへ。このEspresso Houseというカフェはストックホルムでよく見かけました。スタバ以上におしゃれでのんびりできる空間で、朝の時間帯には隣で小さな子供を連れた家族が同様に朝食を取っていました。

腹ごしらえも済んだところで、さっそく、昨日目の前まで行っても中に入れなかったストックホルム市庁舎へ行くことに。駅から徒歩で向かいました。道に迷わなければだいたい15分以内で到着します。

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9時から開始されるガイド付きツアーは30分おきにあります。昨日の時点でそれを知っていたので1番最初のツアーの9時には間に合うように行きました。ガイドの言語は選べますが、基本的に英語ですね。プライベートでドイツ語のツアーが組まれたりしていました。この日は年末ということもあってか、14時までと言われていました。ツアーの料金は60kr(約800円)。これもクレジットで支払いました。荷物などがあってもツアー開始前に無料で預けることができますが、貴重品は自己管理でした。

結果的に言うと、このツアーで800円は内容的にも質的にもとても満足できました。ガイドの説明が綺麗な英語でとてもスムーズで分かりやすく、すべての情報がスーッと入ってきました。ガイドツアーの所要時間は約40-50分ほどかかります。

晩餐会の食器類

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まずはじめに目が留まったのが晩餐会に用いられる食器類です。一枚目の写真はノーベル博物館、二枚目は市庁舎で撮ったものですが、展示されている食器が若干違います。

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「面白い柄をしているナイフだなあ、どこが作っているんだろう」と調べてみたのですが、なんと!日本の新潟県に位置する山崎金属工業という会社でした!(参考)1991年のノーベル賞90周年事業の一環で晩餐会に並ぶ食器類すべてをスウェーデン製にする目論見があったそうです。しかしデザイナーに起用されたゴナ・セリン氏が複雑なデザインのカトラリーを要求。しかしスウェーデンの企業では研磨できる技術がなく、ゴナ・セリン氏が懇意にしていた山崎金属工業に依頼を出したのがきっかけだったそうです。そんなつながりがあったなんて面白い。ちなみに食器はスウェーデン製です。

青の間(ブルーホール)

最初に通されるのは青の間(ブルーホール)と呼ばれる屋内の広場のような空間。ここではアルフレッド・ノーベルの命日である12月10日に行われるノーベル賞授賞式のあとに開かれる晩餐会が行われます。晩餐会では”受賞者やその家族・親戚、友人や同僚、スウェーデン国王一家、大臣、政治家、国外来賓、さらには招待状を手にした一般市民など約1300人のゲストが参加します。そして230人ものウェイター・ウェイトレスが、総合指揮官のもと3時間半の接客を担当する”そうです。(引用元)。ガイドの方がおっしゃっていましたが、その人数のためゲスト一人が使えるテーブルの空間は50cmもないそうです。(もう少し詳細にその様子を見たい人はこちらへ。)上に載せた食器の写真の背後に見える晩餐会の様子を見ても、確かに人が多くてギチギチなのがわかります。

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 「青の間」の名前の由来は、床のタイルの色とも言われていますが、実はこの広場の外壁はもともと青く染められる予定だったというところが、本当の名前の由来だそうです。いまはレンガ造りのそのまま色をしていますが、建設途中にこの色のほうがいいということになり、青く塗られることはなかったそうなのですが、その時点ですでに「青の間」という名前で新聞などで各方面に知られてしまっていたため、青い外壁がないままでも「青の間」と言う名前が残ったそうです。

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この青の間には2階へ向かう大きな階段があるのですが、この階段を降りる際、ドレスを着た女性にとって嬉しい「ある仕掛け」があります。それは「向かいの壁にある星のマークを見ながら階段を降りると優雅に見える」というものです。星のマークはこの写真では向かいの壁のちょうど右から二番目と三番目の窓枠の間に刻まれています。

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拡大するとこんな感じ。レンガの色に紛れてよーく見ないと見えません。実際に、ツアーの一番最後に星マークを見ながら階段を降りることができます。自分でやったときは足元が見えないのでちょっと怖かったですが、上の写真のように、ガイドの人がデモンストレーションでやってくれた際には、とても優雅に見えていました。

市議会場

白く長い廊下を抜けていき、次に案内されたのは、ストックホルム市議会の議会場でした。

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ストックホルム市庁舎という名の通り、いまでも市庁舎としての機能があります。まさか議会場があるとは思ってませんでした。しかも議員は兼業であることが多いそうで、それには驚きました。この議会場にはスウェーデンのアートがちりばめられているというとでいろいろ説明を受けました。

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特に、議会場の天井が面白かった。議会場の天井はバイキング船の中にいるような造りの天井になっています。ちなみに、バイキング船の天井は真ん中が空洞になっています。その真ん中の空洞から空が見えるように、天井の真ん中にも星も一緒に青い空が描かれています。スウェーデンならではという発想ですが、「この議会場はストックホルム市内の空とつながっているので、嘘をついたらばれますよ!議会場での議論では内緒ごとはなしでオープンにしましょう!」という思いも込められているようです。素晴らしい!

フレスコの間(正式名称分かりません)

金の間に行くまでの間に、大きなフレスコ画があるホール?廊下?があります。

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階段を上ってきているのでこのホールは2階に位置しているのですが、廊下の左側は水辺が見えるようになっており、対岸の街並みがとてもきれいに見えます。対して、右側にフレスコ画が書かれています。

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フレスコ画の絵には、ガラスを通して見える、先ほどの廊下の左側の景色が描かれています。これはなぜかというと、この廊下?ホール?でもパーティーが開かれ、真ん中に長いテーブル席が置かれることがあるそうなのですが、その際に、どちらの席からでも窓からの景色を楽しめるように、という配慮でこのフレスコ画が描かれたそうです。なんとも粋なこと!

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このフレスコの間にはシャンデリアがあるのですが、鏡を利用したハーフシャンデリアが左側に並んでいます。これも面白い!鏡を用いることで、狭そうに見える空間も少し広く感じます。

黄金の間(ゴールデンホール)

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そして最後に通されるのがこの黄金の間。思わず息をのんで、見入ってしましました。こんな空間いままで見たことない!豪華絢爛とはこのことですね。この黄金の間で、ノーベル賞授賞式の舞踏会が行われます。映画の世界かよ!

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金の部分へ接近するとこんな感じ。一枚一枚タイルがあります。これで全体の絵が描かれています。

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ホールの左側はこれまでの時代の歴史や発明、発見などが描かれており、ホールの右側には神々や昔の王様やら女王様やらちょっとよくわからない人たちが描かれていました。(まるで教会っぽい感じ)とにかく、この空間に描かれているものはたくさんのモチーフ(エジプトのファラオ的な印も描かれていたり)が混ざっており、ちょっと不思議な感じがしました。これを設計したのはその当時(たしか)若干20歳の有能なドイツ人のアーティストだったらしく、長い年月をかけてこの金の間を仕上げたそうです。(正確な年数は忘れました…たしか8年とかだった気がします…)

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ホールの後ろはこんな感じ。上の方の絵が切れてしまっているのが分かりますか?

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 拡大したのがこれ。実は、上の写真でわかるように、絵の下に台座があること(女性が座っていますよね?)を計算に入れておらず、後ろの絵が全体的に台座の高さ分ずれてしまったようです。馬に乗ったのは王様。首が切れているのはマズい…となったわけですが、その時点でもう変更不可。そして行きついたのは、「実はこの王様は首を切られて亡くなったという経緯があり、それを表現した」という奇跡的な辻褄合わせでした。本当にこの王様がなくなった際に首が切られたのかどうかわかりませんが、そういうことで設計ミスがなかったことにしたそうです。これまた面白い話です。(もう少し詳しい説明があったのですが、すでに1か月経ってしまっていてすでに記憶があいまいです。気になる方はガイドツアーで聞いてみてください。)

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正面の絵がこんな感じ。この真ん中の人物は市庁舎が面しているメーラレンコ湖の女王だそうです。膝元には市庁舎が描かれています。その左右に描かれているのは西洋、東洋の国々らしく、

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左の、西洋側には当時(1900年ごろ)できて間もない自由の女神像とともにアメリカ国旗が描かれています。自由の女神像の右側はタイタニック号ですかね?エッフェル塔も見られます。対して、右側の東洋側には像やモスク、トルコの国旗が描かれています。日本的な要素はないので、この当時、まだまだ日本は極東の国としてもまだ広く認知されていないようでした。(当然ですよね、日本がようやく鎖国を終え、近代化し始めた時ですから)

ツアーのガイドの話を聞きながら、この黄金の間の細部を鑑賞するにはとても時間が短かったように感じました。また行く機会があれば、また面白い発見があるかもしれません。

不運?幸運?17世紀最大の軍艦(ヴァーサ博物館

実は前日にも足を運んでいたヴァーサ博物館。閉環間際に行ったもののやっぱり入れませんでしたというオチで、市庁舎と並んで悔しい思いをしていたのですが、こちらも行くことができました。入館料は100kr(約1300円)とちょっと高い値段。クレジットカードで払いました。館内を回った時間はフライトの関係もあったので1時間ちょっとだったのですが、正直なところ2時間ぐらいじっくり見たかったです。

さて、この博物館、一体何がメインかというと、17世紀の処女航海で不運にも沈んでしまったスウェーデンの軍艦「Vasa号」です。沈んでしまったものの、333年の時を経て海底から引き揚げられたため、当時の軍艦をそのままの形で見られるという世界遺産レベル級の素晴らしい博物館なのです。大航海時代といわれるのは15世紀から17世紀前半にかけての期間なので、このVasa号が作られた時期と少し時期がかぶっています。パイレーツオブカリビアンなどの大航海時代の海賊系の映画が好きな人には、当時の船の雰囲気がここで存分に楽しめます。ちなみに、その当時の船がそのままの形が保たれた状態で展示されているというのは世界でここが唯一だそうです。

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チケットを買って、館内に入るとすぐに目に入るのがこの光景。大きすぎて全貌が分かりません。朽ちることなく残った17世紀最大の木造船のこの重厚感のある色合いに圧倒されました。

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館内はこのヴァーサ号がある吹き抜けのエリアの隣に5階か6階まで展示スペースが広がっています。1階のエリアは、少し進むとミニチュアのヴァーサ号も発見しました。当時の色合いを再現してあったので、いかに美しかったか目にすることができます。

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同じ階には、いかにしてヴァーサ号が沈み、いかにして発見され、いかにして引き上げられたのかが展示されていました。

1625年、ヴァーサ号が発注された年にスウェーデン海軍は時化によって10隻もの戦艦を座礁させ失っていました。「一国の富は、神の次には国の海軍にかかっている」と国王も言っていることから、スウェーデンにとって海軍はとても重要なものであると考えられており、この10隻の難破は海軍にとってとても痛いものになっていました。その後、ポーランド軍との海戦での略奪や別の時期の時化による座礁などで1620年代に合計15隻の戦艦を失うことになります。ヴァーサ号はそのうちの1隻ですが、これは端的に言うと設計ミスによる沈没でした。ヴァーサ号はさまざまな装飾を施された最高の戦艦で、敵国からもその建造が注目されており、ストックホルム市民からは建造時から称賛の的となっていました。が、結果的に、上に重心が行き過ぎてしまっていたという設計ミスで不安定な戦艦になってしまい、処女航海時に沈没するという結末になってしまいました。沈没の原因となったのは、ヴァーサ号はこれまで作られた船の中でもより大型で、頑丈で、大砲の数も多い船だったため、これまでの造船では通用した経験や寸法が通用しなかったからだったと結論づけられています。

ヴァーサ号は沈没した直後に、処女航海を監督していたフレミング提督のもとで引き上げの作業が行われようとしていたのですが、うまくいかず、高価な大砲のみを引き上げることも試みられるのですが、結局、1660年代まで進展はありませんでした。その間、いろんな冒険家や宝探し屋がヴァーサ号の貴重品を取ろうと何度も試みられていますが全て失敗に終わっています。

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1660年代になって、ヴァルムランド地方(スコットランドから車で5時間北西にいった地方)の人とドイツ人たちの試みによって、釣鐘型の潜水器を使って大砲の引き揚げ作業をすることになったそうです。空気が釣鐘の上部にたまるので潜水夫が釣鐘の中に入り、そこで息をしながら鉤や特殊な工具を使って作業を進めるという方法が取られました。これで海底30mまで行き作業をしたらしいのですが、実際に展示されていた釣鐘に入るととても窮屈で、しかも足元しかない視界はほとんどないといってもよく、こんな足元だけの狭い視界の中でよく海底で作業ができたなあと感銘を受けました。しかも、作業をしていた時期は10月末、水温はとても低いことが容易に想像できますが、潜水夫は革製の服を着て、皮のブーツを履いて潜水していたそうです。1664年から1665年の間に64門の大砲を引き上げることに成功しました。その後もう1門の大砲が1683年に引き上げられ、17世紀の引き揚げ作業は終了しました。船体全体を引き上げるのは価値がなく、相当の労力をかけなくてはならない上にそのような技術が確立されていないこともあり、断念されたようです。

20世紀に入り、16世紀及び17世紀の海戦史研究をしていて、特に沈んだ軍艦を中心に研究をしていたアンダシ・フランセーン氏が1956年に再びヴァーサ号を発見しました。17世紀の引き揚げ作業終了以降、再びどこにヴァーサ号が沈んでいるのか分からなくなっていたそうなのですが、実際に四爪錨とおもりを何度も海底に下すことで見つけることに成功したそうです。その年数、約5年。

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これがフランセーンの研究資料と実際に使われた錨(いかり)とおもり、そして発見の瞬間の再現です。バルト海の海水の塩分含有率が低いことにより、バルト海には船食虫が存在しないため、沈没した木造船が浸蝕されずに海底にそのまま残る、という条件を知っていた上で、ひたすら錨をおろしたフランセーンの熱量に感無量です。

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20世紀のヴァーサ号引き揚げで次にキーパーソンとなったのがペール・エドウィン・フェルティングという潜水夫でした。上の写真が当時使われていた潜水器具一式です。いまと比べるととても重そうな印象を受けます。フランセーンの発見後、フェルティングが実際に潜って、ヴァーサ号がその場所にあることを確認しました。もともとフェルティングは経験豊富な潜水夫であったので、その後、ヴァーサ号の引き揚げ作業の潜水関係の責任者になります。翌年の1957年には、スウェーデンの企業ネプチューン社と海軍が引き揚げに協力することが決定。「ヴァーサ号を救おう」という全国的なキャンペーンが行われて、寄付金や必要な物資が基金、個人、企業からあるまり、海軍からは船や人員が無料で提供されたそうです。ヴァーサ号の建設時にも国を挙げてのことであったので、このように時を経て再び国を挙げての動きに発展したのはとても面白いですね。

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1957年秋に始まった引き揚げ作業は、まず船体に傷がつかないように船底の地面に6つのトンネルを作り、そこにそれぞれワイヤーを通し、6本のワイヤーで船体を引き揚げていくという手順でした。その作業をするのはもちろん潜水夫たち。とても危険で労力のいる作業だったことが想像できます。重い潜水スーツに身を包み、海底30mという光がちょっと届きにくくなるぐらいの海の底で、いつ崩壊してもおかしくない1000トンのヴァーサ号を上にしながら、トンネルを掘り、ワイヤーを通していくという作業に毎日命をすり減らしていたことでしょう。トンネルの掘削作業は2年間続き、1959年8月末に第一引揚日が来ました。ここから16段階の引き揚げ作業が行われましたが、浅瀬に辿り着いてから最終引揚をする前にさまざまな準備が必要でした。それは船体が崩壊しないように船体の穴が開いたところを塞ぐこと、一部の壊れた船尾や砲門を修理することでした。これが出来なくては、船体の水を抜ききることが出来ず引き上げることが困難です。これにさらに2年間の時間が費やされました。

そして1961年、20世紀に再び発見されて約5年の歳月、沈没してから333年の歳月を経て、ヴァーサ号は再び太陽の光を浴びることになりました。フランセーンとフェルディング、この2人と引き揚げ作業を支えたスウェーデンの企業や海軍そしてスウェーデンの人たち、そして17世紀に引き揚げ作業をしていた人たち、それらの努力の結晶がこの館内に形作られていると思った時、思わず鳥肌が立ちました。

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ちょっとぼけてしまっていますが、船尾の下のほうから見たヴァーサ号。とても大きく、そして彫刻の数々が、色あせてしまっていてもはっきりと形を残しているので圧倒されます。

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実際の色合いも、プロジェクターで後ろの壁に移されていました。嬉しいことに、どの彫刻がどんな意味をしているのかといったことが船体の周辺にたくさん紹介されています。

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ほかの階の展示では、船内に残っていた船乗りたちの食器や服、装飾品といった生活品であったり、砲弾、剣、銃といった戦闘時に用いる武器、船内の断面図、船体の彫刻品に使われた塗料、引き上げ後にどのように保存作業を行っていったかなどが展示されていました。砲台があった空間も再現されていましたが、思っていた以上に狭い空間でした。

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でもメインは船体に施されている彫刻の説明です。言ってしまえば、この船一つが一つの美術館のようなもので、すべての説明を見ていると、地下1階から5階、ととてつもない量の彫刻を見ないといけませんでした。さすがにそんなに時間もなかったので飛ばし飛ばしで見ていきました。

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嬉しいことに日本語表記もあったりしたので、英語表記と合わせて彫刻の解説や説明文を読んでいきました。船の基本的な説明から、彫刻の細かな意味まで書かれてあります。船の彫刻には、神話に出てくるような海の神々や伝説の生き物系、スウェーデンに関係する国王や紋章、これまでの海戦に関係があるものなどなど多岐に渡っていました。なかでも面白かったのが「ポーランド人」という彫刻品。これは船の前方付近にあったのですが、ポーランドとの戦いの最中に建造された船であったので、「戦いにおびえる姿をしているポーランド人」を船の彫刻にわざわざ取り入れるというところに面白さがあって笑えました。

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ヴァーサ号はそのままの形で海底にあったと言っても、やはりところどころに欠けている部分はあります。そういったところは補われていていますが、上の写真のように木の材質が異なっていてはっきりと見分けがつきます。(横にずらっと並んだ砲門の獅子のいかつさにはもちろん惹かれました)

不運にも処女航海で沈んでしまったヴァーサ号。それから389年経ったいま、こうして当時の戦艦が目の前で見られるのは、逆にとても幸運なことだなあと思いました。皆さんもぜひ行ってみてください。

※WIREDではヴァーサ博物館のことが記事になっているので、こちらも見てみてください。

「はい、一旦ドイツでぇ~す」(ミュンヘン新市庁舎)

ヴァーサ博物館をあとにしたあと、あらかじめ予定していた市内出発の時間を少し過ぎていたので、バタバタでアーランダ空港へ向かいました。電車で空港付近の駅まで行き、そこからバスに乗り換えてどうにか時間内に空港に着くことができました。しかし、飛行機の搭乗は30分ほど遅れている始末。ストックホルムからベルリンへ行き、ベルリンからトランジットでミュンヘンに行く計画だったので、トランジットの時間が間に合うかが問題でしたが、結局何も問題なく乗り込むことができました。

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昼過ぎにストックホルムを飛び立ち、気付けばもう夕方でとてもきれいな景色を見ることができました。

そして、19時にはミュンヘン中央駅へ。実はミュンヘンへは3年前に来たことがあります。当時学部2年生で、ドイツで3週間環境スタディーツアーに参加しながらいろいろ頑張っていたのですが、ミュンヘンで最終日にオクトーバーフェストに1人で参戦し、3L飲んでゲロゲロになりながらホテルまでなんとか辿り着き、翌朝のフライトで日本に帰ったというとっても濃い~思い出があります。ミュンヘン自体には、ベネチア行の夜行バスを乗るためだけに寄ったのですが、23時半出発だったので時間つぶしに、夜ご飯を済ませた後、3年前ぶらぶらしていたマリエン広場(新市庁舎)方面へ行くことにしました。

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ストックホルムよりも寒い謎の寒波でミュンヘン市内はとても寒く、さらに全体的に霧がかっていたのですが、それもとても綺麗で思わず新市庁舎をパシャリ。この日は12月30日、年の瀬であったので、少し早目の新年を祝って、通りがかりの人たちを沸かしているパフォーマーがいました。

それでも全然時間を潰しきれないのでまた駅に戻って暖を取りながら、ネットを使いまくります。この時は「逃げ恥」を見漁っていたのでずっと見ていました。めちゃくちゃキュンキュン状態で寒い冬に一人。とても人恋しかったです(笑)

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23時ぐらいからコーヒー片手に、中央駅から歩いて15分ぐらいのZOBというバスステーションに向かって歩き出しました。ベネチア行きはいつもお世話になっているFlixbusで行くことになっていたので、専用の待合室でバスが来るのを待ちます。

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バスが来て、「よし、あとは寝るだけ。朝起きたらもうベネチア…あーこれから念願のベネチアに行くのか」と思うとなかなか眠りにつけませんでした。ただ、一瞬でも3年ぶりにミュンヘンにやってきたこと、そしてまさかいまこんな旅行に出ているということ、そのどちらも改めて「信じられない出来事だなあ」とか、この3年間どんな成長をしてきただろうかとか、いろいろ振り返ったりしていると次第に意識が薄れていきました。「このまま眠りについてしまおう。」

 

朝。起きるとそこはベネチアでした。(イタリア編へ続く)

 

KENGO