KENGO's memo

日々の思考の備忘録、ドイツ、カールスルーエ研究留学・インターン体験記

Oktoberは家探しの月🏠

(FBに載せていた10月分の内容をそのままコピペしています。)

結論から言うと、1ヶ月かかって無事に家を見つけられました。サポートしてくれた方々に感謝します。ありがとうございました。下のほうに家を探し終えるまでの苦悩の日々を綴っています。これで研究もその他の勉強も遊びも加速できるぞ😁

Finally, I got accommodation in Karlsruhe after spending 1 month on searching for it. I want to thank you all who supported me like giving some valuable hints to search accommodation, introducing your friends, translation, and so on. 

At last, I can speed up my research, study what I have wanted, and enjoy my free time!!

--------------
ドイツに着いて約1ヶ月。異国に移って、その土地の時間の感覚と生活の勝手と自分のそれらを擦り合わせて、リズムを作り上げるには、これまでの経験上1ヶ月はかかるだろうと思っていた。でも今回はそういうことと同時に家探しをしなくてはならなかった。残念ながら大学を通じて寮を振り当てられることはなく、どう頑張っても出国前にドイツの家を決められなかったからだ。

過去にドイツで長期滞在したことのある数人に家探しのことを聞くと、物件情報が集まっているサイトWGgesuchtを通じて連絡を取って、現地で直接その物件を訪問して、物件のオーナーやフラットの場合はフラットメイトとも会ってから決めたほうがいいということだった。

それを聞いたときは、「なるほど、確かにそうだな。」と腑に落ちていて、現地に着いて2週間もあれば住む家が見つかるだろうと軽く考えていたが、現実はそんな甘っちょろくなかった。

フタを開けると、同じホステルに滞在していた大学生は皆家探しを既に敢行しており、ドイツ人ですらなかなか決まらないという事態だった。あとで分かったのは、カールスルーエ工科大(KIT)は卒業の時期は一斉ではなく、個人個人の自由であり、卒業に必要な単位と論文を書いて承認されればいつでも可能ということだった。これはあくまで推測だが、新学期が始まる10月は新入生が一斉にカールスルーエにやってくる一方で、上級生の卒業時期が曖昧なため、空くはずの部屋が空かないということで深刻な家不足が起こっているのだと感じた。

ここからが神経をすり減らして生活する地獄の日々の始まりだった…

KITの研究室のほうでは、デスクワークをするスペースとしてなんと一人部屋が与えられ、大学での諸々の手続きを終え、任された実験をやっていくなど、割と順調な滑り出しであった。私生活でもドイツ人の友達が少ないものの友達が数人でき、言語を教えあうタンデムのパートナーも見つかり、孤独ながらも適度に息抜きができるようになった。10月の唯一のビッグイベントはKITで同じ時期に留学しに来ている日本人とシュツットガルトのフォルクフェストに行けたこと。再びあの雰囲気を味わえるとは思ってもみなかった。

ただ、そうした楽しみもほんのひと時。あとの私生活の時間のほとんどは家探しにつぎ込む以外なく、それが終わらなくてはビザの申請など前に進まない状況であった。ドイツで家を探すときは基本的に不動産屋の出る幕は少ないらしい。家を探すにはWGgesuchtのようなサイトを通じてメールを送るのが主流。家が決まる過程では、オーナーが物件情報を載せて、オーナーが新しい入居者を選ぶパターンと空き部屋が出るフラットのフラットメイトもしくはその部屋の本人が募集をかけて新しい入居者を選ぶパターンの2パターンが主流だが、中には友人を介して家探しをして決まることも多々あるらしい。どの場合でも直接その物件に訪問したあとにオーナーもしくはフラットメイトが入居者を選んでいるのがほとんど。

ちなみにKITの国際課や学生課のようなところにも駆け込んだりしたのだが、私の場合、交換留学生ではなく研究室へのインターンであるためKITの学生ではないという扱いであったことが分かり、ほとんど力になってもらえなかった。ただ、力になってもらったとしても、深刻な家不足であることに変わりないことは確かだった。学生寮もパンパンであり、いつ空くか分からないし、空いたとしてもそれを待っている入居予定者が何人もいるということだった。もうそうなっては仕方がないので、ドイツの家探しのやり方に則って、サイトと大学構内で個別に募集がかかっている物件情報を得て、メールを送りまくった。

朝、研究室に着くとメールチェックと家探し。実験の合間に家探し。ホステル帰っても家探し。約1ヶ月、ずっとそんな感じだった。物件を探してはテンプレメールを適度にアレンジして投下。その件数は150件は優に超えてたと思う。そのうち訪問できたのが7件。自分がドイツ語をうまく話せないということ、6ヶ月しか住まないということ、理由はそれ以外にもたくさんあるだろうが、一つの家に10人以上も応募者が殺到している中で選ばれることがないまま時間だけが過ぎた。メールでやり取りして決めた訪問予定自体を入居者が決まったからという理由でキャンセルされることもあった。(それにはさすがにキレた) 断られすぎてもしかしたら訪問時や訪問後に何か間違ったことをしているのかもしれないと何度も思った。

ある日、不運なことに、他のホステルに比べて圧倒的に安かった(6ベットドミトリー、一泊14〜19€)ホステルから追い出されることになった。理由は「滞在しすぎ」ということであった。規約で14日以上は泊められないことらしかったが、すでに21日が過ぎており、「そんなんいきなり言われても知らんがな」のリアクションをとっていたが、なんともならなかった。家探しのための格安の生命線が一気に切れた。慌てて、安めの新しい生命線を探す。生命線を探すための生命線を探す不毛な時間。それでも諦めたら何も変わらない。だから探し続けるしかない。どこかで聞いたことのあるような気がする心理状況だが、本当にそうだった。

下手したら不法滞在になるかも…
でも一回EU圏から出ればまた3ヶ月間滞在期間延長できる?そしたらビザの申請は要らない?その間はずっと住所不定でも生きてはいける?研究室の自分の部屋に住めば居住費はタダ?みたいなことすら考えていた。(今思うとそれもいい手なのかもしれないが確実に不自由するだろう。)

なんとか次の1週間を寝泊まりできる環境を抑え、ほぼルーティーン化した家探しを続けた。10月の初めは、「11/1から入居可能」が並んでいた物件リストも、いつしか「12/1から入居可能」になっていた。もしいま住む家が決まったとしても12月までホステル暮らしをしなくてはならない可能性が非常に高くなっていた。ルーティーン化しているためほぼ無表情でパソコンの画面を見つめていたが、内心では相当焦っていた。このまま家が見つからないまま、ほぼ違法な強行手段に出ることになるのか?と思っていた。

かなり悲観的になりながら、家探しを続けていたある日、変なメールが1通来た。それは短文で「うちの部屋、見に来たい?」みたいなものだった。どこから自分の連絡先を知ったのか、そして、それは以前自分がサイトを通じて送った物件の人なのか全く見分けがつかなかった。同じような名前をたくさん見ながら、とにかくメールを送っているので、どの物件が誰々さんなんて全く覚えてないのだ。送った先の人の名前は、送信履歴から辿ればほとんどわかるのだが、今回の人はAntonioであっても、自分がメールを送ったことのあるAntonioではなかった。怪しいと思いながら、藁にもすがる思いで家探しを続けていたので、その怪しい誘いに乗っかることにした。それから2,3通やり取りしたがいずれも短文。怪しさが増すばかりだったが、後には引かなかった。

そしてその訪問予定日。来てみると割と通学にも便利な地区であった。静かな住宅街が並ぶ。最寄駅についてすぐAntonioから電話が来た。10分遅れるらしい。とりあえず、教えられた住所の前の建物で待っていると、レンタカーのバンに乗ってやってきたグラサン姿のお兄さんが目の前に現れた。自分の名前を聞かれた。イケている雰囲気が漂っていた。

車から降りてこっちにやってきて、第一声が「チャオ!」ガッチリと握手した。案内された家はまだ改装中。ただ、話を聞くとそれは来週には終わってる予定で、3人部屋で家具付き、冷蔵庫はそれぞれ1台ずつ、食器も部屋ごとに色分けされるらしい。他の家では見たことないフラットに対しての哲学があった。そして広大な庭が付いている。

実はこのAntonio、あとからわかってきたのだがなかなかのやり手であった。この年の8月に約5600万円で三階建ての家を丸々購入したらしい。各階でフラットシェアを学生に向けてやっていく予定で、ゆくゆくは広大な庭のほうにもデカいフラットを建設する予定らしい。自分も薄々感じていたがこのカールスルーエという街、不動産で確実に儲かる気がしてならなかった。学生数に対して大学近郊のフラットの数が圧倒的に足りておらず、郊外に追いやられる人達もたくさんいる。そんな状況を知ってのことであろう、Antonioはイケていた。

見せてもらった部屋はもちろん新品の家具が入っており、ほかの設備についてもピカピカのまま。キッチンが広いこと、冷蔵庫が一人1台というのが自分にとっては嬉しいことだった。なにより、他の家では1年間など長い期間契約するのが基本であるところに対し、最低契約期間は3ヶ月であり、退去もフレキシブルにできるらしく、その際は新たな入居者を自分が探す必要が無いということだった。料金は少し高めの設定であったが、家探しに難航している上にここに来てなかなかの好条件の物件に当たっていた。

入居者の決め方や他の応募者の数について詳しく聞くと、「他にも訪問予定の人が4人ぐらいいるけど、基本的に早い者勝ちだよ」と、聞いた瞬間、迷いなくその場で契約を即決した。というかいままでのそういう状況に来ることがなかった。スーパーマリオだと、どうあがいてもなかなかクリアできなかったステージで急に才能が開花して突破できた感覚だった。

そこからの話は早かった。何度もさっきから話していた内容を確認し、「もうこの部屋は君のね!」と口約束ではあるが確約することができた。この口約束はやり手のAntonioのことだから信頼できた。この2,3日で契約を結ぶためにまた会う運びになった。

その帰り道に、一瞬で沸き起こった達成感と沸々と沸き起こる充足感で満たされた時、偶然、綺麗な夕焼けを見た。それが10月史上、最高の瞬間だった。

こうして家探しの呪縛から解放され、明日からは心機一転、研究とドイツ語の勉強に専念できる。入居日は11月に入ってからすぐらしいがいまにも待ち遠しい。はやく日本から持ってきた味噌汁が飲みたい。

だが生活面についての心配事はこれで終わりでは無く、まだ序章であるのは間違いない。これから待ち受けてるのは、家が決まってから進められる住民登録、保険への加入、ビザの滞在許可申請などである。家探し以上に面倒なことになることはなさそうだが、これらに関してはすんなり進んで欲しいものである。

最後に。今回の家探しを手伝ってくれた人達に感謝したいです。自分の誕生日がきっかけでメッセージをくれた、フィリピン留学時代に出来た友達がカールスルーエの友達と繋げてくれたり、浪人時代の友達、大学の先輩、所属していたインカレの先輩が友達の友達経由で家探しをサポートしてくれました。本当に本当にありがとうございました。

それではまた!

KENGO