Decemberはハプニングの月
12月に入り、寒さが一層厳しくなりました。年の瀬で、結構いろんなことがありバタバタしていて、何をしていたかあんまり思い出せなかったのですが、手帳を見ながら振り返っていたら結構ハプニング尽くしの1か月だったなあと思います。
研究
内容的には11月の延長で特に変わったことはしてなかった印象。ひたすらサンプルを分析にかけ、連続反応させている触媒の実験で扱っている実験装置の状態を毎日、定期的に確認し、状態が良くなければ調整、帰るときには反応を一時的に止めた状態にして帰宅するというルーティンをこなしていました。
詳細に分析するところは別の研究ユニットの人に頼んでいたので、新しい結果が届いたりしましたが、特に面白い発見はありませんでした。今後も同じような展開が続きそうです。
作業系はほぼルーティン化してきたので、作業しない時のオフィスワークが結構大事になっていると思うので、論文を読むことはもちろんのこと、研究分野の触媒技術の細部だけでなく、触媒以外のほかのガス精製技術の比較、バイオマスガス化プラント全体の技術・コスト、アジア市場の需要動向などバイオマスガス化の全体が見渡せるようになっていたいですね。
生活
12月に起こったプライベートでの内容をだらっとフラッシュバック!
・クリスマスマーケット遠征(シュツットガルト、エスリンゲン)
12月4日。詳しくはリンク先で紹介しています。近場で行けてとっても良かった。
・ドイツの銀行口座の開設チャレンジ
12月5日。ドイツでは日本と違って銀行口座を作ると、口座維持手数料として毎月数€を払わないといけないんです。「学生」であることが証明できれば、口座維持手数料は無料になることが多いらしいですが、自分の場合は残念ながら学生の身分ではないので、口座を作るのに余計な手数料はかけたくない!
ということで口座維持手数料がかからないComdirectというネットバンキングの申請を行いました。他にも無店舗型のネットバンクはあります。詳しくは参考のリンク先を見てください。口座維持手数料がかかるのは店舗を構えている銀行が多い一方で、ネットバンクはほとんど手数料はかかりません。作った上で口座を使わなくてもいいのが気持ちとしては楽です。
そもそも、銀行口座が必要になったのは、スポーツジムに通おうと考えて入会の手続きを聞いたことからはじまりました。月々のジムの利用料は銀行口座から引かれるらしく、銀行口座を持っていない者は入会できないと言われました。おい、なんでやねん!
それ以外に銀行口座が必要になる場面には出くわしていないのですが(家賃は現金手渡しだし…)、ジムの入会以外にもこういう理不尽なこと起こりそうだなってことでとりあえず申請することにしたわけです。実を言うと。
で、ネット上で申請が終わった後、自分が記入した内容が印刷された書類が1週間以内にComdirectから送られてきます。(or 自身で申請時に書類を印刷することも可能)
こんな感じの書類が一式。ちなみにドイツ語で書かれているので内容は全く分かりません。念のためドイツ語ができる友人に確認してもらったあとに次のステップに移りました。(一緒に届く書類の中にも手順が記されています)
届いた書類と個人確認ができるもの(パスポートとか)を持って郵便局に行き、個人確認ができれば、郵便局のスタッフに受理され、無料でその書類をComdirectのほうに送ってくれます。
ここで僕はつまずきました。
残念なことに唯一持っている、そして一番強いであろう個人確認のパスポートが使えませんでした。理由は「出生地が確認できないから」の一点です。そうなんです。日本のパスポートには「本籍地 Registered Domicile」しか示されていないんです。他の国のパスポートには確実に示されているものなのに…訪れた郵便局のスタッフに「日本では出生地の情報はあまり重要でないし、本籍地と出生地は同じもんだからお願いしますぅ」と懇願したものの受理されませんでした。
なのでいまだに銀行口座を作れないでいます。緊急に必要な状況ではないのですが、急に必要になるときが来そうで、早く手を打たなくてはいけないと思っています。
【参考】
・大惨事、ドイツでの散髪&パーマ
12月9日。これに関しては書いていたら長くなってしまったので、別のエントリーでみっちり書いています。3か月伸びた髪が陰毛の塊ヘアーになるまでをお届けします。
・カールスルーエ日本人会飲み
ちょうど僕の髪型が陰毛の塊みたいになった日の夜に、カールスルーエにいる日本人の人たちで飲み会をしました。KITの博士課程、ポスドクの人に囲まれて、けっこうくだらない話ばかりして盛り上がりました。中だるみしだして緩んでいた研究のモチベーションがちょっとだけ上がりました。
・ZKMにはじめていく
12月10日。カールスルーエのシンボル的施設、ZKM(Zentrum für Kunst und Medientechnologie)にルームメイトのウズベキスタン人のヨハン君と行ってきました。
メディアアートと現代アートが楽しめるということで行ってみたのですが、この施設は複数の展覧会が同時に開催できるほど大きな規模であって、建物ごと、その建物の中でもフロアごとに違う展覧会をしているのが興味深かったです。自分が行った時も、計4つの企画展を見ることが出来ました。(常設展がどれなのかちょっと分からなかった)
ドイツの建築家のフライ・オットーのThinking by Modelingという企画展では、テントのような膜構造を多様に用いた万博やミュンヘン五輪での建造物の記録であったり、膜構造の発想に至るまでの試行錯誤の記録、膜構造を構成する梁やガラス、設計された建造物のミニチュアの展示などがありました。建築が専門の人だったらかなり興奮するような内容だったと思います。
ほかには、あまりにも現代アートすぎて良くわからなかったやつと、1945年から1968年のヨーロッパのアート集めたやつとか、ゲームの企画展もありました。昔のゲームから最新のゲーム、チームラボを彷彿させるようなインタラクションゲームに至るまでとても楽しい内容でした。
・KITでクリスマスパーティー
12月15日には、自分が所属している研究所のクリスマスパーティーがありました。14時ごろから今年一年の研究所での出来事・進捗、大学組織の中で変わったこと(諸連絡?)などのプレゼンが1時間ほどあり、そのあといつもセミナーを行っている建物でクリスマスパーティーが開かれました。
ホットワインとおかしをつまみながら雑談。17時ごろからはビュッフェ形式のご飯、ビールが出てきました。研究所のメンツでもユニットごとにテーブルが勝手に分かれて固まってしまっていて、新しく知り合いになる人もおらず、周りは全員30歳以上、雑談も基本ドイツ語なので入っていけないもどかしさを噛みしめていました。
英語で雑談するのは苦手なわけではないのですが、英語での雑談以上に、年上の人たちとの距離の詰め方がつかめないので、研究所の同じユニットの中ではあまり話さないキャラになってしまっています。(日本語であっても向こうから来てくれないと結構難しいところ…)
「クリスマスパーティー」と言っても、日本で言うと、「忘年会」に近い感じを受けました。もちろんプレゼント交換とかもないです(笑)
この日を境に、みんなの研究活動が徐々に止まっていくのが分かりました。まあ、研究の内容的にも2~4週間で活動することを考えると当たり前なことのように思います。
自分も実験室でなく、オフィスにいる時間が増えたので、インターン先の候補の企業の情報を集めたりしていました。
・ビザ(residence permit)の申請書類提出
12月19日。ビザなし滞在期間あと10日のギリギリでようやく外国人局でビザの申請書類を提出&申請費用100€を支払ってきました。予約しないと外国人局でのビザ申請ができないと知ったのが11月中旬ごろ。その時点で予約状況はパンパンで12月19日が最速でした。本当に危なかった。
申請書類を提出しさえすれば、紙状の仮ビザをもらえます。自分の場合は6か月先までの有効期限を有した仮ビザを発効してもらえました。パスポートとともに所持し、ビザの有無を聞かれた場合はそれを見せればいいというわけです。安心して年末年始の旅行に出ることができました。(結局のところ、年末年始の旅行でビザの有無を聞かれる場面には遭遇しなかったですが。EUすげえ。)
ビザ取得に至るまでの話は、また別のエントリーに書くことにします。
・オーロラ撮影のためにカメラ購入
かねてからオーロラを見たかった僕は、それを写真に収めたいと考えていたので、クリスマスのバーゲンにつられてカメラの購入を検討しだしました。どうせ、年末年始に北欧とイタリアに旅行に行くし、もうこの際買ってしまえということで、カメラのあれこれを調べ、かさばらず、それでいてオーロラが取れるSony Cybershot DSC-RX100を購入しました。
RX100はレンズの絞り値(F値)が1.8を有している唯一のコンデジで、値段も一眼やミラーレスに比べても安かったのと、自分がいま持っているコンデジも故障が続いていたのが相まって、購入を決断。その日に旅行者向けの三脚も購入。(三脚がないとオーロラは撮りづらいらしい)
さっそく年末年始の旅行で活躍するのですが、購入後1週間程経った12月31日にベネチアの石畳に落として壊すという、厄年が終わる最後の日に溜め込んでいた厄年パワーを発揮し、無駄な出費を重ねるのでした。おしまい。
RX100は現在修理中。オーロラを見るのにアイスランドに行くことも計画中。
・年末年始旅行 with 出身大学メンツ
12月26日から1月3日までの9日間、北欧はフィンランド、スウェーデン、そしてイタリアと年末年始旅行に行きました。
この旅のポイントは、留学中の同じ日本の大学の学生だけで回ったということ。北欧の期間は、学部の同期と3人で巡り、イタリアは先輩たちと3人と巡りました。意外とつながる留学中のネットワーク(笑)そして日本語が話せる楽さ。同時に同じ留学生の身でありつつ、それぞれがそれぞれの留学先でやっていることの話に、とても刺激を受けて、新年から頑張るぞという意識が強くなりました。
どの場所も行ったことがない場所で、特に、「初の海外年越し in ベネチア」は最高の思い出になるだろうなと計画段階からワクワクしっぱなしでした。
でも、なにより思い出に残っているのはフィンランドでの「サウナ体験」でした。
「サウナ」自体には親しみがあるものの、本場のサウナを知らないのはもったいないということでフィンランドへ出発する前に急遽行くことを決断。皆に「一応水着持って着といてね!」と伝えつつ、公衆サウナがあるかどうかを調べ、タンペレで公衆サウナに行く計画に。(ヘルシンキにも公衆サウナはありますが、運悪く自分たちのスケジュールに合わなかったので断念しました。)
サウナであったまった身体を、外気温-2度、冷たい風が吹き荒れるなか、水温1度の湖に体を沈めに行き、再びサウナに戻るというクレイジーな体験は、自分のなかの「サウナ」の概念を確実に変えました。
4回ぐらいサウナと湖を往復し、帰るころには皮膚の表面は確かに冷たいと感じるのに、内側に熱がたまっている不思議な感覚がありました。
この日を境にして1週間ぐらいは本当に寒さに強くなりました。寒いと感じるのは表面だけで芯まで冷えることがなくなりました。サウナパワー恐るべし。これからハマりそうです。
結果的に良くも悪くもたくさんの思い出ができたのでとってもハッピー。iPhoneが教えてくれたのですが、この9日間毎日平均13km、トータル126kmも歩いていたことに驚きました。(歩きすぎだろ(笑))
フィンランド編、スウェーデン編、イタリア編で忘れないうちに綴りたいと思うところです。
それではまた!!
KENGO
ドイツの美容室でパーマ&散髪、大惨事。
「ドイツの美容院のレベルがかなりやばい」という噂があります。
どんな風にヤバいのか体験したことがないので、内心、「東南アジアでもあるまいし、そんなことないんじゃない?」と思ってあまり本気に捉えていなかったのですが、12月のある日、遂に自分にも散髪をする日がやってきました。
3か月も髪を伸ばしていたのでそこそこ長くなっており、「せっかくだからパーマでもあててみよう」と思い立ったのが運の尽き。ある意味、これも厄年パワーでした。(年末にも追い込みをかけたかのように厄年パワーを発揮しました。)
日本のように美容院の口コミサイト的なものはなく、あったとしてもドイツ語で書かれているだろうと思っていたので、実際に街を見回って、よさそうな美容院で散髪&パーマをすることを決めていました。他に比べてそこそこ値段が高く、妥当な値段を出しているところは安心できるだろうと高をくくって、ある店に決めました。
予約を電話でするのは億劫だったので、店に直接入りその場で予約を取ることに成功。自分の希望のパーマ&髪型を写真で見せ、翌日の夕方にパーマ&散髪をすることが決まりました。長年やっていそうなスタッフもチラホラいたし、事前に値段を聞くと、66€とパーマかけるなら妥当かな?と思う値段であったので、「まあ大丈夫でしょ」と翌日を待つことに。
当日。
「なんじゃゃぁぁこれ!!!!?????」
奴らにとっての3時間の大作は僕にとっての人生最大の失敗作になりました。
奴らの行動を僕の心情の変化とともに振り返ってみようと思います。
まず、パーマをかける工程。
美魔女に一歩届かないぐらいの中年のおばちゃんスタッフが自分の髪全体にロッドを巻き付けていきます。ロッドの直径によってカールのかかり具合が決まるのですが、人生でまだ1度しかパーマを当てたことがない人にとってはどの直径が最終的に自分が理想としているカールを作るのか、全く分からない状況であったので、そこには口を挟まず、とりあえずおばちゃん任せになります。あらかじめ理想形の髪型の写真を見せているので「まあ大丈夫でしょ」と思いながら、どんどんロッドを巻かれていきます。
ロッドを巻かれる時間は45分間はかかったと思います。
その間、全く話さない…
日本だったら気さくに話しかけてくれる美容師って多いですよね。それが嫌な人もいるでしょうけど、僕は話すのが好きな方なので、ほぼ初対面の人でも頑張って会話の引き出しを放出していきます。だってそのほうが楽しいですもんね。なので、45分無言でひたすらロッドが巻かれていく自分の髪と自分の顔を鏡越しに見るというのがマジで地獄でした。
しかも、そのロッドを巻いていくスタッフの手際の悪さと言ったら、いま思い出すだけでもイライラしてきます。一度巻き付けたロッドを何度も巻きなおす。その度に増える溜め息。
「おいおいふざけんなよ。何でお前が溜め息ついとんねん!こっちのほうがため息つきたいわ!」とイラっ。
ロッド自体もうまく分類できていないのか、自分の後ろでガチャガチャと探しに探して、次のロッドを付ける。その間、溜め息と沈黙。マジで地獄です。
地獄の45分を耐え抜き、次はパーマ液をかけられます。
なんとその工程に差し掛かったとき、さっきまでロッドを巻き付けていたおばちゃんスタッフが帰る支度をし出しました。「あ、最後までやんないんだ…」と唖然。まあ仕事の時間を守るという点では何も口出しできないなあと思いましたが、さっきまで担当をしていた自分に何も言わずに立ち去るその光景は日本では考えられなかった事態だったので、これにもちょっとイラっとしました。
自ずといかに日本のサービスが良くて、それに慣れてしまっているかに気づかされます。
パーマ液の工程は30分。さっきのおばちゃんスタッフよりも歳を召した、カリスマ風ばあさんスタッフに変わりました。
その後、パーマ液の洗浄、そして固定液?なるものを掛けられ、約20分の放置プレイに突入。
「パーマかけるのってこんなに時間かかるっけ?」とか思いながら、ずっと白い天井を見つめることしかできない僕。ここでさっきまでのイライラもなぜか少し浄化されました。
固定液も洗浄し、ここまでで2時間が経過。
もとの席に戻り、濡れた髪をドライヤーで乾かしていきます。
しかし、乾ききった自分の髪を見て、唖然としました。
なぜなら、ここに来てようやくリクエストしたパーマではないことに気付いたからです。しかも、その時点での見た目はこれぞ大阪のおばちゃんのヘアースタイル。
もっと言うと、見た目は陰毛の塊でした。
「は?なんこれ?」と半分キレながらも、もう後戻りはできない…
この時点で結構キていました。
そこに被せたかのように「いいじゃん!最高の髪型じゃん!」とハイテンションで褒めちぎるカリスマ風ばあさん。
「どこがやねん!こいつのセンスどうかしてるわ」とか心の中でツッコみを入れていると、
「これでOK?」
・・・・・正直、ビビりました。リクエストした髪型になってることに謝りもせず、開き直り、かつ、明らかに不満そうな顔をしている自分に向かって、「これでOK?」のセリフを繰り出せるなんて、このババアにはただただ恐怖を抱くだけでした。
美容師と客の関係って客側が美容師にかなり信頼を置いていないとめっちゃしんどいなと初めて気づかされた瞬間でした。
「このババア、本気でこの髪型がいいと思ってんのか?やとしたら、こいつのセンスやべえ。でもここまで来たらあとには引けねえ。」と思いつつ、長髪にパーマをかけただけでボリュームがヤバかったので、さすがに「全体的にカットしてくれ」と頼みました。
カットの工程。30分かかりました。
「もう・・・・このババアのカット、クッソヘタクソやんけ!!」
切られながら、鏡を見てすぐにわかりました。しかも、カットの時間があまりにも長い。切っては遠くから全体を見るの繰り返し。「どんだけ時間かけんねん。ボケぇぇぇぇ!!!!」と最初の15分ははらわたが煮えくり返ってましたが、執拗に続けるババアのループ攻撃に、とうとう「怒り」から「呆れ」のフェーズに入ってしまいました。
露骨に白目を剝く僕。
それを見て、ババアは「あなた疲れているねえ。私も手の握力がもうないのよぉ。」とほざく。
「……んなん知らんがなあああああああああ!!!!はよ終わらせんかい!!!!」
と心の中で絶叫する僕。
しかも、ハサミを入れられていく髪の先は、全体的にガタガタ。本当に美容師免許を持っているのかと本気で疑うぐらい、カットのスキルがクソでした。
髪に入れる櫛に対して、垂直にハサミを入れるのがこれまで知っているカットの技術。
ここでは櫛に対して、水平にハサミを入れるので、絶対に切ったところが揃ってしまいます。(ドイツのほかの美容室でもそうらしい)
そうやって、ガタガタになっていく僕の毛先を見ることもできなくなって、最後の5分は本当に白目を剝いていました。
挙句の果てに、ガタガタの髪先を揃えるのにバリカンを使いだしました……
ハサミの意味って……
2時間30分かかって、最初のごわごわの陰毛の塊状態から20%ぐらいマシになりましたが、それでも陰毛の塊には変わりない状態。
そこでまたババアが満面の笑みでまた例のごとくほざきます。
「これでOK?」
もう、年数重ねすぎて、センスがいいのか悪いのか、判断がつかなくなってるのかとちょっと哀れに思いながら、
「いいわけあるかい!なんか整髪料とかないの?」とキレながら言いました。
整髪料を求めるものの、「どんな整髪料がいいの?分からないから見てちょうだい」と言われる始末。整髪料があるゾーンに歩かされました。
「親に切ってもらってるわけじゃないのに…なんやねんこれ…はぁ…もう疲れた…」
その場にあったジェルを陰毛の塊に自分で塗りたくってセットし、なんとかおしゃれな感じに決め込むことができました。この時点ですでにクソババアのセンスに付き合うことは辞めていました。何を言われても無視。まるで家で自分で髪をセットしている時間のよう。
そんなこんなで、18時に入店して、時計の針はもう21時を指していました。3時間もかかって出来上がったパーマヘア、いや陰毛の塊に対して支払いの時間。
昨日聞いていた通り、66€だろうと思っていたら、なんと請求額が96€。
…96€!96€!
これはさすがにおかしいと思って、
「え、どういうこと?昨日66€って言ってたやん?」
「あれはパーマ代だけの値段だよ。君がカットしてっていったから、追加で30€ね。」
一体どういうことなんだ。何が起きているというのだ?
あのクソ技術のクソカットに、30€も支払わないといけないのか?…
人は、美容室に行ったら、パーマだけをあてて帰宅するものなのか?
なぜパーマ代とカット代が別なのに、カットの前に追加でお金がかかることを言わないんだ?ていうか、普通カットするやろ。
もう、めちゃくちゃ混乱しました。あれだけ心を乱されたのに、まだ乱してくるのか!
いくら抗議しても値段は変わらないっぽかったので、精神的にも肉体的にも限界が近づいていたので仕方なく、ほんとうに仕方な~く、めっちゃ嫌そうな顔を敢えてして96€を払いました。
クソババアに満面の笑みを見せられながら、ようやく退店。
店内で起きた3時間のバトルを振り返りながらしばらく歩いていると、「怒り」を通り越した「呆れ」から来るものなのか、謎の笑みが浮かんでいました。精神崩壊の瞬間でした。
ドイツの美容室に行くと、こんな感じで精神と体力が削られます。くれぐれも気を付けてください。美容室に行くときは、事前に友達や日本人からのおすすめを聞いておくべきです。あと、カットだけならだいたいのお店が9€とか15€とかです。30€なんかしません。
少し高くても、旅行がてらにデュッセルドルフの日本人街で散髪してもらうのがいいと思います。
次、散髪するのが怖いよう……
KENGO
シュツットガルト&エスリンゲンのクリスマスマーケット
シュツットガルトのクリスマスマーケット
シュツットガルトのクリスマスマーケットはガイドブックにも書か
行く曜日は事前から日曜日と決めていました。
日曜日の朝10:35発のバス(Flixbus)に乗り、
KornwestheimからStuttgart Hbf(シュツットガルト中央駅)へはS4に乗って約10〜
いざ、中央駅前へ!
こっちに来てシュツットガルトに行くのは、
シュツットガルトのクリスマスマーケットは中央駅から少し歩いた
確かに規模はでかいんだけどー…
期待値上げすぎた感が半端なかったです。想像では、
ちょっと期待はずれ感あったものの、
ちょうどお昼頃になっていたので、
ただ、
くるみ割り人形も初めて実物を見ました。
一通りグルッと回ったあと、
半端ねえ!エスリンゲン、半端ねえ!
中央駅に辿り着き、Esslingen(エスリンゲン)へ。
Esslingenに着いて最初に目に留まったのがこの煙突。
エスリンゲンのクリスマスマーケットの正確な場所はあんまり調べ
マルクト広場(Marktplatz)
そしてその目玉のクリスマスマーケット。
夜になったらシュツットガルト中央駅のマーケットに戻るかという
散策しているとお腹も減ってくるので、途中でクレープとか甘〜
街散策してる時に城壁っぽいものが目に入ったので、
さっきまでいたところが一望。
城壁を登ってる途中、
帰りはEsslingenから中央駅乗り換えでKornwest
まとめ
・シュツットガルトの中央駅周辺のクリスマスマーケットは、
・クリスマスマーケットでシュツットガルトに行くなら断然エスリン
クリスマスマーケットの時期も丁度折り返し地点。まだまだ飲んだりまっせ!!
KENGO
ドイツの日本食事情
日本人ならちょっとは気になる海外の日本食事情。
えっ?寿司しかないの!?
カールスルーエで2ヶ月を過ごしてみてよく目にしたのは、「SUSHI」「
ただその見た目はあんまり美味しそうに見えないし、
よくよく見てみると、普通のスーパーストアでもお米や海苔は普通に売っていました!
「アジアの心臓」ってなんだよ!とツッコみつつも、なんとどちらも99セントとびっくり!
カールスルーエでも数少ないアジアンストアにも行けば、他にもお箸やまきす、うどん、そばの乾麺、キッコーマンの醤油、みりんなんかは売っています。電気屋に行けば、種類こそ少ないものの、炊飯器は24€で買えました。
こんなに寿司文化が進んでいるとは思ってもいませんでした…
むしろ、カールスルーエで日本食と言えば寿司しかないというのが現状です。
カールスルーエでの寿司体験
さて、こっちのお寿司がどんなもんか試してみようということで一度だけ、そのクソたっかい寿司弁当を買ったこ
食べた時の感想はうーん、なんだろうこの惜しい感じ。醤油が日本のものと違って甘みが足りない。
回転寿司にもトライしました。
ネタの種類も写真にあるようにある程度豊富であり、
サイズは手毬寿司ほどの小ぶりなサイズなので、
あとの日本食文化はというとカールスルーエではほとんど見当たりません。たまーに日本語の表記での看板が街中で目に留まったりしますが、大好物のラーメンはここでは食べられません。噂によると、そういう店ではうどんは食べられるようです。
デュッセルドルフは日本食がなんでも揃う
ラーメンが食べられなくなって2か月を過ぎようとしていた11月中旬。ドイツ人の友達に会いに行きがてら、ラーメンを食べにドュッセルドルフに行きました。デュッセルドルフは日系企業が集まる経済都市で、インマーマン通りには日本食が充実しています。このインマーマン通りを歩いていると、日本語表記、そして日本語が結構聞こえてくるせいで、日本にいるような錯覚に陥りました。そのぐらい「日本」です。
そして、当初の目的であったラーメンを食べに行くことに。
行ったところはラーメン匠(初代)。ドイツ在住の日本人の間では有名な店です。2号店の2代目匠もあったので、さぞかし儲かっているんだろうなと思いました。土曜日のお昼に行ったのですが、お店の中に入るまでに40分ぐらいは並んだような記憶があります。並んでいる人は日本人だけに限らず中国人、ドイツ人家族などなどここにはラーメン人気があるようでした。
待ちに待ったラーメン。
ああ・・・もう・・・とにかく・・・おいしい!(いま食べたい・・・)
2か月ぶりということもあったのですが、それがなくても普通に日本で食べてもかなりレベルの高いラーメンでした。値段はちょっと高めで11.8€とか(大盛り)でしたが、こっちでは頻繁に食べれるものではないし、このクオリティならありかなと思いました。
インマーマン通りには日本食レストラン以外にも日本食を売っているスーパーが3,4店舗ありました。
友達によると日本人が経営している所と韓国人が経営している所があるらしいです。
一応興味本位で全部回ってみました。もちろん値段は高いですが本当になんでも揃う。店での違いによって取り揃えているものが違ったりしたんですが(古本の小説を売っているところもありました)、まあ基本的にはどこでも同じ印象を受けました。
調子に乗って大好きな抹茶味のお菓子と「久保田」を買いました。ちなみにお酒の種類も豊富です。
日本食スーパーをあとにして、日本人がやっているパン屋さんにも行ってみました。
そういえば日本独自のパン文化ってあまり意識したことなかったですが、メロンパンもあんぱんもおかずぱんもこっちでは見かけたことないなあと気づかされました。こっちでは基本的に硬めのパンを使ったサンドイッチやらあまったるいパン、ピザ系のパンしかないです。
これまた調子に乗って抹茶あんぱんを買いました。(どんだけ抹茶中毒なんだよ(笑))
とってもおいしかったです。
まとめ
・カールスルーエではお米、海苔、炊飯器は普通に手に入るが、寿司以外の他の日本食文化はあまり浸透していない。
・回転寿司は食べ放題システムが基本
・おいしい日本食を食べたければデュッセルドルフへ行け!
仲良くなった友達とかパーティーで日本食を振舞おうと張り切ってこっちに来るときのトランクの
ただ、お好み焼き粉(1kg)、お好みソース、カレーのルー、抹茶系のお菓子とかはカールスルーエでは売っていなかったので、これらに関してはかなり重宝しています。
ちょうど昨日、ルームメイトのウズベキスタン人にお好み焼きを食べさせたのですが、
「なんだよこれ、うますぎるやないかい!!」
と絶賛していました。うれしい限り。
もっと日本食、特にラーメンがドイツにも浸透してほしいなあと思いました。
KENGO
Novemberは散財の月💸
(FBに載せていた11月分の内容をそのままコピペしました。12月からはこちらで近況報告をするつもりです。)
12月に入ってカールスルーエの寒さは増す一方ですが、寒いところ大嫌いだった割には意外と順応できてて、最近はこの寒さは大したことないなぁと思うようになってて自分でも驚いてます。
家が決まったこともあって、初期投資がたくさんかかったし、年末の予定でだいぶお金使いました。クレジットの請求額がどんどん膨らんでいく… 円安も進んでて痛いです。
生活
研究
研究のほうはというと、KITでのタール除去の触媒の研究も11月の1ヶ月で漸く全体像が見えてきました。9つのパートナーが協力して2020年まで続く、高効率のバイオマスガス化発電プロジェクトの「ガス精製」のパートを任されているようです。
ガスから発電させる際に、従来のようなガスエンジンを使うのでなく、SOFCという(いわゆるエネファームのようなもの)燃料電池を使って電気と熱を作り出す計画なのが自分にとっては目新しかったです。
ガス精製の肝となるのはやはりタール除去を可能にする触媒の開発です。結構大事なパートなのにその部分に関してはKITでは自分と指導教官の実質2人でかなり手探りな感じでやってます笑
実際のところ、自分がやってるのは、「新たな触媒の作成とその特性分析」に集約されます。
作成の部分では「触媒に用いる金属物質の組成」×「金属物質を吸着するためのサポート材の特性・形状」を考慮しつつ、どのように金属物質をサポート材に吸着させるかも考えて触媒を作ります。
分析の部分では、作り出した触媒の特性を知るために、触媒を反応炉に取り付け、そこにタールのモデルとなるナフタリンを高温条件下で当てます。どの程度タールが触媒の作用で分解されるかをリアルタイムで測定し、変換効率を出していきます。また、触媒自体の金属物質の分布や比表面積の測定も行います。
実験中に実験機器の圧力が不安定で、付きっきりにならないといけないことを除けば、順調です。と言ってもまだまだ自分であれこれできる立場にないので、感覚としてはRAに近いような感じ。まだまだ自分の意見を出せるほどの知識が伴ってないので、もっと頑張らないといけないですね。
実験機器を1人で使い放題なのはありがたい反面、研究所には同じ世代の人がほとんどいないので日中は心理的になかなか辛いときもたまにあります。まあ、マイペースに着々と事を進めていけるというのはメリット。より一層孤独に強くなりますな笑
その他、ひと言
バーデンバーデン・フリードリヒス浴場は裸の楽園!?
前回の投稿から3週間ぐらい経ちました。無事に空き部屋を契約することができてネットもサクサク!ようやく腰を据えて家でも勉強できそう。この件に関してはまた別の機会に投稿します。今回はバーデンバーデンへ行った内容を書いています。ちょっと長いかも知れないですが、是非読んでくださいまし。
バーデンバーデンとは?
以前からドイツのガイドブックを見て気になっていたバーデンバーデン(Baden-Baden)。Badenとは「入浴する」という意味なのですが、そんなことは知らなくても、この名前は一度聞くとあまり忘れないでしょう。
ドイツでも有名な保養地として名が通っているらしく、そんな場所に2000年前にローマ人によって発見されたという源泉を使った歴史ある温泉施設があります。130年以上の歴史あるローマン・アイリッシュ式のお風呂文化を体験できるのが売りらしいです。
温泉施設はフリードリヒス浴場(Friedrichsbad)とカラカラ浴場(Caracalla Therme)が有名ですが、
ちなみにカラカラ浴場は水着着用らしく、
全裸で混浴といったスパ施設は日本では全く聞いたことがないですが、
銭湯・温泉好きな僕からしたら、「海外のお風呂文化はもちろん知っておきたい。」というのが表向きなモチベーションで、裏では「全裸混浴」
ちょうどフランス留学中の高校からの友達がカールスルーエに遊びに来ていたのですが、カールスルーエは特に見どころもないし、ほとんどの場所が絶賛工事中なので、一緒にバーデンバーデンのその施設に行ってみることにしました。
いざ、バーデンバーデン、フリードリヒス浴場へ!
僕が今いるカールスルーエからバーデンバーデンへは電車で片道約30分、7.10ユーロ、駅から施設のある市街地まではバスで片道10分、2.4ユーロ、バス停から施設までは綺麗な街並みの中を徒歩10分ぐらい、となかなか安いし、少し遠出してのんびりするには良いところです。
ただし、駅からバスに乗る際には、駅があまり観光地化されておらず目立った看板が全くなく分かりにくいので、バスも路線図を見ながらどれに乗るか見極めなければならないのが難点。
バスはLeopoldsplatzへ行くのが一番近いですが、バスの関係で一つ手前のHindenburgplatzで降りて歩くのもできます。バスは休日でも10分おきにありましたが、夜になると本数が少なかったです。
特にLeopoldsplatzから駅に帰る便は要チェック!僕らは帰りのLeopoldsplatzからBaden-Baden Bahnhofへの便の時間を確認するのを忘れており、時間も限られていたのでタクシーを使う羽目になりました…
浴場の料金・システム
フリードリヒ浴場の基本料金は25ユーロ。
サウナはインストラクション通りに回りますが、全部で17行程あ
基本料金の25ユーロだと最大3時間まで施設内に
入り口はエントランスに向かって右と左であり、右と左にそれぞれ
ちなみに月・木・土は男女別浴で、あとの曜日は混浴です。
でも、ガイドブックによく載っている最後のドーム状の浴場だけは入り口
「なんやねん、結局混浴やんけ!」
各行程の時間はうろ憶えですが、行程は以下の感じでした。
1.シャワー3分
2.48度のサウナ5分
3.58度のサウナ5分
4 & 5 & 6.(マッサージオプション付けるとここで30分マッサージ)
7 & 8. 45度のスチームサウナ10分
9.36度の入浴10分
10.34度の入浴15分
11.28度の入浴5分
12.シャワー3分
13.18度の水風呂入浴一瞬だけ
14.タオルでドライ4分
15.保湿クリームを塗る
16.レストルームで毛布にくるまり保温30分
17.リーディングルームで30分
最初の8行程で身体の温度を徐々に高め、
17行程
リーディングルームと言ってもインスタントの紅茶が飲めるぐらい
体験した感想
最初のサウナ2
ちなみに低温サウナの部屋ではタイル絵が綺麗に描かれてありました。
そして、これも想像できると思いますが、この28〜36度の低い温度
友達は気のせいだろうと言っていて何も感じていませんでしたが、
なるほど、
それは28度の浴槽5分。
28度の感覚
他の人はその28度の浴槽をどうしていたかというと、
最後には、とどめの18度の水風呂でフィニッシュ。
身体は完全に凍りました。同時に
次行くならもう少し、
気になったこと
新しい場所で新しい体験をすると他の人がどうしているのか気にな
1.裸になることに対する抵抗
ここは全裸で混浴ということを受付で必ず確認させられますが、
やましい気持ちはある程度抑えてない限り、
ただ、
女性の方も、あまり裸を見られているという意識をしすぎてはいけないと思います。そこではそれが普通なので、裸でいることを嫌がっていると逆に目立ちます。
2.施設内は静かにしなくてはならないというルールが一応ある
日本のサウナだったり、
最初は戸惑いましたが、
3.浴槽で泳いじゃったりする
浴槽は40cmぐらいの浅いものもあれば1mぐらいの深いものも
浴槽で泳ぐのはこちらでも実はタブーなのかもしれないですが、
4.アンダーヘアの処理
自分はここに行く前にアンダーヘアの処理についていろいろと調べましたが、結局処理せずに行きました。
施設内には自分たち以外にもアジア人もまあまあいたし、
アンダーヘアを処理せずに浴場を使うことに関して欧米人はどういう感覚を抱いているのか、
まとめ
・ローマン・アイリッシュ式の温泉とサウナは確かに身体の正常化には良さ
・じんわりと温められる新鮮な感覚とは裏腹にそれをぶち壊すような
・逆に日本のお風呂文化が知りたくなる。
今度は、カラカラ浴場や他のスパ施設にでも行って、気ままにのんびりしたいと思います。またそのレポートも出来ればやろうかな。では!
KENGO
Oktoberは家探しの月🏠
(FBに載せていた10月分の内容をそのままコピペしています。)
結論から言うと、1ヶ月かかって無事に家を見つけられました。サポートしてくれた方々に感謝します。ありがとうございました。下のほうに家を探し終えるまでの苦悩の日々を綴っています。これで研究もその他の勉強も遊びも加速できるぞ😁
Finally, I got accommodation in Karlsruhe after spending 1 month on searching for it. I want to thank you all who supported me like giving some valuable hints to search accommodation, introducing your friends, translation, and so on.
At last, I can speed up my research, study what I have wanted, and enjoy my free time!!
--------------
ドイツに着いて約1ヶ月。異国に移って、その土地の時間の感覚と生活の勝手と自分のそれらを擦り合わせて、リズムを作り上げるには、これまでの経験上1ヶ月はかかるだろうと思っていた。でも今回はそういうことと同時に家探しをしなくてはならなかった。残念ながら大学を通じて寮を振り当てられることはなく、どう頑張っても出国前にドイツの家を決められなかったからだ。
過去にドイツで長期滞在したことのある数人に家探しのことを聞くと、物件情報が集まっているサイトWGgesuchtを通じて連絡を取って、現地で直接その物件を訪問して、物件のオーナーやフラットの場合はフラットメイトとも会ってから決めたほうがいいということだった。
それを聞いたときは、「なるほど、確かにそうだな。」と腑に落ちていて、現地に着いて2週間もあれば住む家が見つかるだろうと軽く考えていたが、現実はそんな甘っちょろくなかった。
フタを開けると、同じホステルに滞在していた大学生は皆家探しを既に敢行しており、ドイツ人ですらなかなか決まらないという事態だった。あとで分かったのは、カールスルーエ工科大(KIT)は卒業の時期は一斉ではなく、個人個人の自由であり、卒業に必要な単位と論文を書いて承認されればいつでも可能ということだった。これはあくまで推測だが、新学期が始まる10月は新入生が一斉にカールスルーエにやってくる一方で、上級生の卒業時期が曖昧なため、空くはずの部屋が空かないということで深刻な家不足が起こっているのだと感じた。
ここからが神経をすり減らして生活する地獄の日々の始まりだった…
KITの研究室のほうでは、デスクワークをするスペースとしてなんと一人部屋が与えられ、大学での諸々の手続きを終え、任された実験をやっていくなど、割と順調な滑り出しであった。私生活でもドイツ人の友達が少ないものの友達が数人でき、言語を教えあうタンデムのパートナーも見つかり、孤独ながらも適度に息抜きができるようになった。10月の唯一のビッグイベントはKITで同じ時期に留学しに来ている日本人とシュツットガルトのフォルクフェストに行けたこと。再びあの雰囲気を味わえるとは思ってもみなかった。
ただ、そうした楽しみもほんのひと時。あとの私生活の時間のほとんどは家探しにつぎ込む以外なく、それが終わらなくてはビザの申請など前に進まない状況であった。ドイツで家を探すときは基本的に不動産屋の出る幕は少ないらしい。家を探すにはWGgesuchtのようなサイトを通じてメールを送るのが主流。家が決まる過程では、オーナーが物件情報を載せて、オーナーが新しい入居者を選ぶパターンと空き部屋が出るフラットのフラットメイトもしくはその部屋の本人が募集をかけて新しい入居者を選ぶパターンの2パターンが主流だが、中には友人を介して家探しをして決まることも多々あるらしい。どの場合でも直接その物件に訪問したあとにオーナーもしくはフラットメイトが入居者を選んでいるのがほとんど。
ちなみにKITの国際課や学生課のようなところにも駆け込んだりしたのだが、私の場合、交換留学生ではなく研究室へのインターンであるためKITの学生ではないという扱いであったことが分かり、ほとんど力になってもらえなかった。ただ、力になってもらったとしても、深刻な家不足であることに変わりないことは確かだった。学生寮もパンパンであり、いつ空くか分からないし、空いたとしてもそれを待っている入居予定者が何人もいるということだった。もうそうなっては仕方がないので、ドイツの家探しのやり方に則って、サイトと大学構内で個別に募集がかかっている物件情報を得て、メールを送りまくった。
朝、研究室に着くとメールチェックと家探し。実験の合間に家探し。ホステル帰っても家探し。約1ヶ月、ずっとそんな感じだった。物件を探してはテンプレメールを適度にアレンジして投下。その件数は150件は優に超えてたと思う。そのうち訪問できたのが7件。自分がドイツ語をうまく話せないということ、6ヶ月しか住まないということ、理由はそれ以外にもたくさんあるだろうが、一つの家に10人以上も応募者が殺到している中で選ばれることがないまま時間だけが過ぎた。メールでやり取りして決めた訪問予定自体を入居者が決まったからという理由でキャンセルされることもあった。(それにはさすがにキレた) 断られすぎてもしかしたら訪問時や訪問後に何か間違ったことをしているのかもしれないと何度も思った。
ある日、不運なことに、他のホステルに比べて圧倒的に安かった(6ベットドミトリー、一泊14〜19€)ホステルから追い出されることになった。理由は「滞在しすぎ」ということであった。規約で14日以上は泊められないことらしかったが、すでに21日が過ぎており、「そんなんいきなり言われても知らんがな」のリアクションをとっていたが、なんともならなかった。家探しのための格安の生命線が一気に切れた。慌てて、安めの新しい生命線を探す。生命線を探すための生命線を探す不毛な時間。それでも諦めたら何も変わらない。だから探し続けるしかない。どこかで聞いたことのあるような気がする心理状況だが、本当にそうだった。
下手したら不法滞在になるかも…
でも一回EU圏から出ればまた3ヶ月間滞在期間延長できる?そしたらビザの申請は要らない?その間はずっと住所不定でも生きてはいける?研究室の自分の部屋に住めば居住費はタダ?みたいなことすら考えていた。(今思うとそれもいい手なのかもしれないが確実に不自由するだろう。)
なんとか次の1週間を寝泊まりできる環境を抑え、ほぼルーティーン化した家探しを続けた。10月の初めは、「11/1から入居可能」が並んでいた物件リストも、いつしか「12/1から入居可能」になっていた。もしいま住む家が決まったとしても12月までホステル暮らしをしなくてはならない可能性が非常に高くなっていた。ルーティーン化しているためほぼ無表情でパソコンの画面を見つめていたが、内心では相当焦っていた。このまま家が見つからないまま、ほぼ違法な強行手段に出ることになるのか?と思っていた。
かなり悲観的になりながら、家探しを続けていたある日、変なメールが1通来た。それは短文で「うちの部屋、見に来たい?」みたいなものだった。どこから自分の連絡先を知ったのか、そして、それは以前自分がサイトを通じて送った物件の人なのか全く見分けがつかなかった。同じような名前をたくさん見ながら、とにかくメールを送っているので、どの物件が誰々さんなんて全く覚えてないのだ。送った先の人の名前は、送信履歴から辿ればほとんどわかるのだが、今回の人はAntonioであっても、自分がメールを送ったことのあるAntonioではなかった。怪しいと思いながら、藁にもすがる思いで家探しを続けていたので、その怪しい誘いに乗っかることにした。それから2,3通やり取りしたがいずれも短文。怪しさが増すばかりだったが、後には引かなかった。
そしてその訪問予定日。来てみると割と通学にも便利な地区であった。静かな住宅街が並ぶ。最寄駅についてすぐAntonioから電話が来た。10分遅れるらしい。とりあえず、教えられた住所の前の建物で待っていると、レンタカーのバンに乗ってやってきたグラサン姿のお兄さんが目の前に現れた。自分の名前を聞かれた。イケている雰囲気が漂っていた。
車から降りてこっちにやってきて、第一声が「チャオ!」ガッチリと握手した。案内された家はまだ改装中。ただ、話を聞くとそれは来週には終わってる予定で、3人部屋で家具付き、冷蔵庫はそれぞれ1台ずつ、食器も部屋ごとに色分けされるらしい。他の家では見たことないフラットに対しての哲学があった。そして広大な庭が付いている。
実はこのAntonio、あとからわかってきたのだがなかなかのやり手であった。この年の8月に約5600万円で三階建ての家を丸々購入したらしい。各階でフラットシェアを学生に向けてやっていく予定で、ゆくゆくは広大な庭のほうにもデカいフラットを建設する予定らしい。自分も薄々感じていたがこのカールスルーエという街、不動産で確実に儲かる気がしてならなかった。学生数に対して大学近郊のフラットの数が圧倒的に足りておらず、郊外に追いやられる人達もたくさんいる。そんな状況を知ってのことであろう、Antonioはイケていた。
見せてもらった部屋はもちろん新品の家具が入っており、ほかの設備についてもピカピカのまま。キッチンが広いこと、冷蔵庫が一人1台というのが自分にとっては嬉しいことだった。なにより、他の家では1年間など長い期間契約するのが基本であるところに対し、最低契約期間は3ヶ月であり、退去もフレキシブルにできるらしく、その際は新たな入居者を自分が探す必要が無いということだった。料金は少し高めの設定であったが、家探しに難航している上にここに来てなかなかの好条件の物件に当たっていた。
入居者の決め方や他の応募者の数について詳しく聞くと、「他にも訪問予定の人が4人ぐらいいるけど、基本的に早い者勝ちだよ」と、聞いた瞬間、迷いなくその場で契約を即決した。というかいままでのそういう状況に来ることがなかった。スーパーマリオだと、どうあがいてもなかなかクリアできなかったステージで急に才能が開花して突破できた感覚だった。
そこからの話は早かった。何度もさっきから話していた内容を確認し、「もうこの部屋は君のね!」と口約束ではあるが確約することができた。この口約束はやり手のAntonioのことだから信頼できた。この2,3日で契約を結ぶためにまた会う運びになった。
その帰り道に、一瞬で沸き起こった達成感と沸々と沸き起こる充足感で満たされた時、偶然、綺麗な夕焼けを見た。それが10月史上、最高の瞬間だった。
こうして家探しの呪縛から解放され、明日からは心機一転、研究とドイツ語の勉強に専念できる。入居日は11月に入ってからすぐらしいがいまにも待ち遠しい。はやく日本から持ってきた味噌汁が飲みたい。
だが生活面についての心配事はこれで終わりでは無く、まだ序章であるのは間違いない。これから待ち受けてるのは、家が決まってから進められる住民登録、保険への加入、ビザの滞在許可申請などである。家探し以上に面倒なことになることはなさそうだが、これらに関してはすんなり進んで欲しいものである。
最後に。今回の家探しを手伝ってくれた人達に感謝したいです。自分の誕生日がきっかけでメッセージをくれた、フィリピン留学時代に出来た友達がカールスルーエの友達と繋げてくれたり、浪人時代の友達、大学の先輩、所属していたインカレの先輩が友達の友達経由で家探しをサポートしてくれました。本当に本当にありがとうございました。
それではまた!
KENGO